13
「あらあら!いかがしました!」
ベックマンが見付けた高級旅館へ入ると仲居が驚いて2人を見た。
「足を滑らせて川に落ちてしまって、空いてる部屋はあるか?」
ベックマンが人の良さそうな笑みを懸命に浮かべた。
「それが、本日は団体のお客様が入ってまして。……離れなら空いておりますが」
仲居が申し訳なさそうに言う。
「空いているならそこで良い。まだ時間は早いが良いか?」
「はい、それはもちろん。あ、少々お待ちください」
仲居はすぐにバスタオルを持って来る。
時間も早いので他の客もおらず、2人は注目される事なく離れの豪華な部屋へ案内された。
「大浴場は後10分程で入れます。ここの離れには特別露天風呂がついていますので、ご自由にお入り下さい。浴衣はこちらに」
夕食の時間やその他もろもろを説明し、仲居は「服は洗濯もいたします」と言って出て行った。
「副社長、私先に行きます」
「俺も行こう」
2人は着替えを持つと大浴場へと向かった。
離れからは少し離れていたが、やはり誰ともすれ違わずに行けた。
「はぁー!生き返るー!」
温かいお湯に浸かり、冷えきった体は徐々に温まって行った。
「寒かったから、本当に良かった!幸せー!」
○○はうきうきと広い温泉を堪能した。
ここは地元でも有名な温泉宿だ。
高級でも有名で旅行雑誌の常連。
そんな場所の離れなど、一泊いくらするのか○○には見当もつかなかった。
「…………ま、まぁ、大会社の副社長だし。ここは任せよう」
○○は汗を滴ながらそう呟いた。
「わぁ!このシャープ良い香り」
○○はシャープやボディーソープ、洗顔も充実していてかなりご機嫌だった。
脱衣場にも角質落としや化粧水、乳液、クリームなども充実していた。
「明日朝起きたらお肌つるつるになるかな?」
○○は温泉を満喫していた。
「副社長?何してるんですか?」
やっと温泉から出て、浴衣を着こなした○○が脱衣所から休憩処へ行くと、ベックマンがお椀を持っていた。
「しじみ汁だそうだ」
「しじみ汁?」
○○は不思議そうにベックマンに近付く。
お椀の中にはしじみが入っていた。
「麦茶とかじゃないんですね」
○○は珍しそうにお椀を見た。
「……良いな」
「へ?」
「浴衣」
ベックマンの言葉に○○は顔を赤くする。
やはり、化粧を落とすとどうも上手く表情が隠せないでいた。
「あ、ありがとうございます。そ、その副社長もお似合いです。えっと、色っぽくて」
○○が何とか言い返そうとベックマンの浴衣姿を褒めたが、色気があり過ぎて直視出来ずにいた。
「そうか」
ベックマンは小さく笑った。
そんな会話をしていると、団体客らしい人の流れが大浴場へとやって来た。
「行くか」
「っ!は、い」
ベックマンが○○の肩を抱くと、自然な動作で離れへと足を進めた。
それから仲居に連絡をし、服を預けた。
「明朝までにクリーニングいたします」と言うと濡れた服を持ち去った。
(……そう言えばこれで服が帰って来るまでは副社長と2人で過ごさなきゃいけないのか)
今更ながらこの状況に少し緊張して来た○○であった。
「飲むか?」
ベックマンが急須を持っていた。
「あ!やります」
○○は慌ててベックマンへと手を伸ばす。
「…………大丈夫か?」
ベックマンが眉間にシワを寄せる。
「お茶くらい私だって」
○○は急須を受け取ると茶筒を開ける。
「…………えい」
少し考えてから急須に茶葉を大量に入れた。
「止めろ。俺がやる」
お湯をそそごうとしたところをベックマンが止めた。
「………………お願いします」
不服そうに○○はベックマンに急須と茶筒を渡した。
ベックマンはくわえた煙草を口の端に移動させ、急須に入った大量の茶葉を一度茶筒へと戻した。
それから茶筒の蓋へ適量茶葉を入れる。
お湯を直接湯飲み入れる。
急須へ茶葉を入れ、湯飲みのお湯を急須へと入れる。
少し急須を揺らし、時計回りに5回回し、テーブルに急須を置く。
それからやっとお茶として出たものを湯飲みへとそそいだ。
もちろん、最後の一滴までちゃんと注ぐ。
「…………へぇ」
○○は不思議そうにお茶を飲む。
「…………美味しい」
○○は驚いて呟いた。
「うん、良い茶葉だな」
ベックマンも満足そうに頷いた。
「お茶を入れるのも大変なんですね」
○○はふぅとため息をついた。
「面倒でもやるとやらないとでは味が違うからな」
ベックマンは煙草を灰皿に置き、お茶を飲む。
「…………ダメだ。私には出来ない。絶対結婚とか出来ないです」
○○はイタズラっぽく笑った。
「俺とか?」
「そうですね」
2人はくすくすと笑った。
「そいつは、残念だ」
○○はベックマンが吹かす煙草の煙を目でおった。
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