「朝から良く食う奴だな」
「だから、」
「チビじゃねぇ」
「・・まだ云ってない」
朝食の時間、異国の地での任務中の彼等の前にはずらりと見慣れない料理が並べられた。
低血圧なのか、将又昨日の酒の影響か、余り料理には手を付けず珈琲を啜る中也と、好奇心で次々と料理に手を出すナマエの姿が其処にはあった。
「にしても、今日は早速出番無しなんてね」
ナマエの手の中の突き匙が小さくて丸い、まるで昨日まで自分が着ていたワンピースの様な色の赤茄子をとらえる。景気の良い音を立てて刺さった其れを口に運べば、艶めいた其の肌の感覚を口内で感じられた。
如何やら昨日の戦果が大きかった様で、参謀から言い渡されたのは待機と云う名の退屈な時間。
「思った以上に長くなりそうだね」
「そうだな」
いつ終わる事やら、と思わず不満が溢れた。
口の中で弾ける音がした。其の音を掻き消す様に呟かれた言葉は僅かに重みと落胆が滲んでいて、彼は己の肘を机に着きその手の平に顔を乗せる。
瞳はナマエを真っ直ぐと見詰め口は三日月型へと歪んだ。そんな中也にナマエは「なによ」と小さく声を掛けた。
「なら、外にでも行くか」
ナマエの顔が見る見る内に笑顔になる。擬音を使うならばパァッとでも云っておこうか。其れを返事と見て中也が立ち上がる。それに続いてナマエも音を立てて立ち上がった。
「でも良いのかな、待機なのに」
「呼ばれたら直ぐ戻れば良いだろ」
そんな中也の言葉に「そっか」と一瞬揺らいだ表情が元に戻る。そして彼女は我先に、と中也の前を歩いて行く。
街に人は疎らだった。予想するに"小競り合い"を恐れた民集は隣街、隣国へと其の身を非難させたのだろう。街を歩く者達の衣服は大体薄汚れ、其の表情には疲れが見えていた。恐らくは金が無く外へ逃れられない者達だろう。
だがそれでも其処から数キロ移動すれば少し栄えた場所に出た。店もあり歩く人々は戦いなどはテレビの中の出来事だと思っているかの様にさえ見えた。
此れだけの距離で此れほどまでの差が出るのか、と二人は思わずには居られない。だが嘆きはしなかった。
一種の癖の様な物だ。嘆いても何もならない事を身に沁みて感じているからこそ、其の胸に痛みを見付けても知らない振りをした。まるで自分の感情では無いとでも云う様に。
「久々にこんな時間に歩いた気がする」
「ま、こんな時でもないと無理だな」
自嘲半分、嬉し半分。彼女はそんな複雑な面持ちで街を歩く。彼等はマフィアだ。どれだけ着飾ろうとも、此方の正義を振り翳そうとも其れは変わらない。
四年前の異国団体との抗争で"異能開業許可証"を正式に政府の異能特務科からを貰ってから動き易くはなったが、彼等が陽の光を堂々と浴びる機会は少ない。
そんな久々の眩しさにナマエの心は自然と自嘲よりも嬉しさが勝った。僅かに其の足取りは何時もより軽い。其れは歩く度に服から香る彼の匂いも相乗効果として重なった結果かも知れない。
(悪くない)
そんな後ろ姿を見て中也はそんな言葉を頭に浮かべた。彼女が自分が選んだ服を着て足を一歩前に踏み出す度に自分が上げた外套が揺れる。
あれは何か、と彼女が余所見をすれば見える横顔は楽し気で、中也は小さな優越感を感じていた。
随分と時が流れたものだ、と思わずには居られなかった。二人が出会った頃の彼女は全てに怯えていたから。
まだ中也も、其の元相棒も幹部候補に挙がったばかりの頃の話しだ。
****
「通信が途絶えた場所は此処だな」
中也は辺りを見回しながら潮風に吹き飛ばされそうな其の帽子に手を当てた。任務の内容は密売商品の入った容器を輸送する筈の同僚達からの通信が突然途絶えた、と云うものだ。其の調査で中也と彼の相棒が揃って此の港へと駆り出された。
「っておい!太宰!やる気あんのか!」
「なら君にはやる気があると言うのかい、中也」
中也に太宰と呼ばれた青年は任務だと云うのに辺りを警戒する中也とは裏腹に海を眺めている。そんな呑気な背中にそう声を上げれば、何とも退屈そうな声が返って来た。
其れに対し中也は「何?」と怪訝そうに顔を顰める。そんな中也に「はぁ」と馬鹿にでもする様なわざとらしいため息を吐いて太宰は首を僅かに中也へと向けた。
「此の輸送の任務は其れなりに大きな仕事だった筈だ。何せ"荷物"が"荷物"だからね」
遠回しな云い方だ。彼は其の"荷物"が入っていた筈の容器に近寄り其の拳をコツン、と音を立てて当てた。
「だが如何だろう、此処には人っ子一人いる気配がしない」
まるでもう既に誰も居ないみたいだ、と太宰は云う。
「更には襲われたと成れば此処一体に血の臭いが充満していてもおかしくない筈だ。だが其れも無い」
そう、誰も居ない。マフィアも、"荷物"も。
「マフィアから"人身売買"を横取りする様な奇天烈な奴らが居ると思っていたのに、がっかりだよ」
そう、今回の荷物は"生きた人間"だ。其のまま海外へと売り飛ばし、彼等の未来は臓器か奴隷。麻薬何て物よりも重罪の任務は恐ろしく静かに失敗していた。
また死に損ねた、何て呟く彼の"がっかり"の基準が中也には分からない。いや、彼の頭を理解出来る人間は広い世界と言えど本の一握りだろうと中也は思う。
「全ては事後、と云う事さ」
と成れば後は地道な作業が待っている。其の作業に於いても彼の右に出る者はいないだろう。
何せ今し方着いたばかりにも関わらず、彼には全て見えている様だったからだ。
「粗方、相手に異能の者が居たのだろう」
其れがどんな物かすら其の目で見ていなくとも調べれば自ずと分かる。其れが彼だ。そして太宰は拳を当てた容器の入り口へと足を向けた。
「入り口が開いたまま、と云う事はやはり"荷物"は空か」
僅かに見えた其れに太宰は興味の無さそうに呟く。中也は無言のまま彼の後に着いて入り口へと回った。
「おや」
だが 其の中を覗いた太宰はまるで豆鉄砲を食らった鳩の様な顔をした。
「おやおやおや」
「何だよ」
そして見る見る内に其の口角を上げて行く太宰に「気持ち悪い」と呟いて中也も其の容器の中を覗いた。
「居るじゃねぇか」
人、と中也は呟く。横の太宰を見れば面白い物を見付けたとばかりに目を輝かせていた。
そう、中に人はいた。だが報告では"荷物"は十人はいた筈だ。其の人物は暗い容器の片隅に其の顔を伏せて膝を抱え込んでいた。
「いやいや、参ったよ君!中也は兎も角、私に気配を感じさせないなんて!」
「おい」
両手を広げ大袈裟に「完敗だ!」なんて言葉とは裏腹に楽しそうな太宰に中也はそう云って睨むも、相手にはされない。分かっている。此れも彼の"嫌がらせ"の一つだと。
「ああ、此れはうちの連中の服だね」
容器の中に散らばるやたらと黒塗りのスーツ。ズボンのベルトに挟まった拳銃。まるで其れは人間だけが溶けて無くなってしまったかの様に綺麗に着ていた時のまま其処にはあった。
「君がやったのかい?」
ピクリとも動かない影に太宰はそう問い掛ける。其の声に怒りも悲しみも有りはしない。有るのは其の人物への興味だけだった。
だが太宰が問い掛け様とも其の身は一ミリたりとも動きはしない。そんな姿を見て中也は死んでるのでは、とさえ思う程だった。
だが太宰はそんな事を微塵も思っていないかの様に散らばった服を飛び越えながら其の人物に近付いて行く。
其の中にはスーツだけでなく普通の服も混ざっていた。屹度、"荷物"だった者の物だろう。そして服の場所には必ず灰が散らばっていた。
「やあ、こんにちは」
太宰は其の人物の目の前迄来ると、中也と頭半分違うひょろっとした其の身体の上半身を前へと折り曲げた。
「うーん、私美しい女性に無視されるのは少ないのだけれど」
「女・・?」
挨拶をしようとも返って来る気配が無いと察した太宰はふと折った身体を元に戻してそう呟いた。入り口で様子を伺っていた中也は思わず太宰の言葉を繰り返す様に言葉を漏らす。
暗い容器の奥。伏せた顔。大きさ的には其れほど大きくは無いが性別を判断出来る様な材料は無かった。太宰を除いて。
「明らかに女の子だろう」
何を云ってるんだ、と云わんばかりに太宰が中也へと振り返る。そんな太宰の態度に顔を顰めて、中也も容器の中へと入り太宰の横に並んだ。
だが其処まで来ても薄汚れた其の人物が女で有ると確証は中也には持てなかった。
「おい、顔を上げろ」
此処で何があった、と中也は威圧をかける。だが其れでもその影は動かない。中也は「チッ」と一つ舌打ちを漏らして膝を抱えた腕を掴んだ。
「手前、いい加減に」
「!」
其の瞬間、伏せていた顔が勢い良く上がった。腕を掴んだ中也と目が合う。確かに、女だった。
其れも中也と幾らも変わらないであろう幼さを残した少女。其の重なった瞳に中也は一瞬胸が鳴った。哀しさを形にした様な瞳だったからだ。
「ダメ!」
「!」
咄嗟に振り払われる腕。抵抗か、と腕に力を込めようとした時だった。身体を襲う浮遊感。何か、大切な物が抜けて行く様な感覚に中也は動きを止めた。
「・・全く」
だが其れも太宰が中也の腕を掴んだ事によって無くなった。ハッとして太宰を見れば至極呆れた表情の彼がいて、中也は何が起こったのかと目を瞬かせた。
「どんな異能力かも分からないのに触れるなんて、君は大馬鹿かい?」
「・・って事は」
太宰の言い草に何時もなら怒鳴っている所だ。だが其れどころでは無い。恐らく、否、間違いなく今自分は死に掛けたのだと悟ったからだ。
「でも今ので確信したよ」
中也の手を離して、其の大きな瞳が溢れそうな程驚いた表情を見せる彼女に太宰は顔を向けてしゃがみ込む。
そうすれば彼女は逃げ場のない場所で更に逃げ込む様に身体を小さくし、壁へと押し付けた。
「此処に居た人達を殺したのは君だね」
其の言葉に彼女は目一杯眉間にシワを寄せ、そして静かに頷いた。