「馬鹿、バーカ、ばかやろう」
「・・・」

殲滅を終え宿舎ホテルへの帰り道、疾風に寄って暢んびりと浮かんだ負傷者−−ナマエ。彼女は唯でさえ男にしては小さめな彼の頭に被せられた帽子を落ちていた小枝で叩いていた。

「だーっ!鬱陶しい!悪かったっつってんだろ!」
「あ、ちっさい人が逆ギレした」
「・・手前てめぇっ!」

あの後、彼の異能力大奮発に寄って数十分と掛からず今日の任務は終わりを告げた。だが其れ故にその前の異能力を余り使わずに、と言うのが無駄になってしまった。

「まぁ、もうそんな居なかったし誰かしら逃げた痕跡もないから良いけど」
「・・おう」

そう云うナマエに中也はバツの悪そうに呟いて視線を逸らした。

「全く、命より任務でしょ」

首領ボスの命令は絶対。其れはマフィアの掟最優先事項だ。

「受けた攻撃は其れ以上で返せってのもあんだろ」
「残念、命令の方が優先度が上です」

ピシッと音を立てて小枝を振り下ろせば、「痛え」と呟きが聞こえた。

「ってかあんたに援助サポート何て必要無いんじゃ・・」
「!」
「私も漸く幹部に成れたし、戦闘形態フォーメーション変えた方が良いかな」

うーん、と唸るナマエに一瞬胸が縮小した。コンビ解散、なんて云い出すかと思ったからだ。でも当の本人は其処まで頭が回っていない様で、そんな事を考えている中也を余所に仰向けになりながら未だに唸り続けている。

「そんなもん後でいいだろ」

其れより早く帰って手当てだ、と言う中也に、ナマエはゴロンとまるで其処に寝床ベッドが有るかの様に空中でうつ伏せになる。

「別にもう血止まったし」
「そう云う訳にはいかねぇだろ」

だが彼女の手当ては実に面倒だ。何せ彼女に触れれば死んでしまう。幸い怪我をしても手術や医者の力を借りなければ成らない様な大怪我は避けられていた。

だが其れ以前に彼女は痛みに慣れてしまっていた。例え腕に穴が開こうと、当て布ガーゼを当て包帯を巻くだけの自然治癒が殆どだからだ。

其の傷口が酷い時は元医者でもある首領ボスが一度だけ縫合をしてくれた事がある位だ。其れにも触れられないと云う事で大分時間が掛かり「お願いだから怪我しないで」何て言われた位だった。

「大体手前てめぇが怪我なんかするからだろうが」
「そりゃそーですけどー」

中也の言葉に今度はナマエがバツの悪そうに視線を逸らした。一応スカートの下に小型銃ハンドガンを隠し持ってはいる。体術も其れなりに習得した。だが問題は四年前から訓練出来る相手が居ない事だ。それ故に彼女の技能スキルも其処で止まってしまっていた。

「・・怒られるかな」
「・・如何だろうな」

ナマエは青く澄み渡った空を見上げ、中也は何の変哲も無い地面を見つめ、同じ様にため息を吐いた。


***


「ほら、押さえろ」
「はいはい」

宿舎ホテルへ戻り、ナマエの部屋で手当てが始まった。血塗れになったコートの侭お湯に浸け、半分渇いて固まった血を流す。そして結び目を解き傷口を洗う。そうすれば再び僅かに血が腕を伝った。

弾は矢張り貫通していた。左腕の前後に同じ穴がある。中也は肌に触れない様に慎重に其の傷口を確認して思わず顔を顰めた。

「ったく、女の癖にほいほい傷作りやがって」
「好きで作ってんじゃないっつーの」

そんな事を話しながらも時たまナマエは痛みに顔を歪める。その度に中也は「大丈夫か」と声を掛けた。

やり辛いとは云え彼等が共に居るのはもう四年。それは手慣れた物だった。一時間と掛からずに包帯巻になった左腕に思わずナマエは笑った。其れにも中也は「なんだ」と首を傾げた。

「・・否、毎回ありがと」
「・・ああ」

中也は分かっていた。彼女が何故、哀しむ様に、懐かしむ様に笑ったのか。だからこそ何も云わずに珍しく礼なんて云うナマエに突っ込みもせずに其れだけ返した。

「あーあ、土まみれ」
「な!手前てめぇ、何やって!」
「何って、着替え」

そうサラッと云ってワンピースのボタンを取って行くナマエに中也は「バカヤロウ!」と焦った声を上げた。

「俺が部屋出てからやれよ!」
「いーでしょ、全裸になる訳じゃ有るまいし」

気持ち悪いんだもん、と土まみれの服を脱いで衣装棚クローゼットにしまってある服を漁っている。

(っとに、人の気も知らねぇで)

部屋の壁に寄り掛かって片手で視界を覆った。平然と下着姿で「何れにしようか」なんて悩んでいる彼女に思わずため息が漏れる。

(もしや俺、男として見られて無いんじゃ)

ハッとして浮かんだ考えに中也の心が真っ二つに折れそうになった時、ナマエは「中也」と彼の名を呼んだ。

「やっと着替えた、か」
「何方がいいかな?」

其の目を漸く解放した中也の視界に入って来たのは、未だに下着姿で二着の服を掲げ呑気に首を傾げるナマエだった。

「ばっ!いいから早く着ろよ!」
「うわ、ノリ悪ー!モテないよチビ助!」
「誰がチビ助だ!」

はぁ、と一つため息を吐いて再び其の顔を手で覆って俯いた。締め切った窓の外からは僅かな街の音が聞こえ、先ほどの戦闘が間近で行われて居るとは想像し難い。

未だに唸り続けるナマエに視線を外しながら腕を組んで顔を上げた。

「・・右、」
「え?」

ふと囁く様に言葉を零した中也にナマエも顔を上げた。

「だから、手前てめぇは右の方が似合うって云ってんだよ」

ぶっきら棒にそう云う中也にナマエは自分の右手に持った服を見詰めた。それは春の空を思わせる様な蒼色スカイブルーのワンピースだった。

今まで着ていた赤色とは真逆に近い色に、ナマエは少し考え、それでもフッと笑った。

「・・じゃあ、こっちにする」
「・・早く着ろよ」

ナマエの言葉に照れ隠しの様にそう呟いて、中也は壁に背を預ける。そして間も無くしてナマエが「どう?」と中也に声を掛けた。其の言葉に中也は今度こそ顔を上げ、しっかりとナマエを見詰めた。

「!」
「本当に似合う?何か違和感しか無いんだけど」

そう心配そうにナマエは其れを着た自分の姿を確認して居る。半袖の落ち着いたフレアのワンピース。背中には腹部ウエストを絞るリボンが揺れた。

其れを着たナマエはマフィアだなんて気配は微塵もさせず、良い意味で何処にでもいる唯の少女の様だった。

「・・でも腕がなぁ、外套コートとか無いかなー」

そう云ってナマエは又しても衣装棚クローゼットを漁る。彼女の異能力上、肌を出すのは些か危険過ぎるからだ。そんなナマエの背中に中也はゆっくりと歩み寄った。

「!」

そして其の肩にフワリと何かが覆い被さった。少し驚いて振り返れば、直ぐ近くに中也がいて僅かに胸が跳ねた。

「・・やるよ」
「え、でも」

其れはいつも彼が袖を通さず肩に掛けていた物だった。明らかに安物では無さそうな其れは、彼の登録標識トレードマークの一つでも在る訳で、ナマエは思わずそう言葉を返した。

「いいんだよ、家に同じ物が有るしな」
「同じ物・・」

ナマエは少し怪訝そうにして「本当謎だわ」なんて言葉を漏らした。そんな彼女の表情を鏡で映したかの様に中也も同じ様に怪訝そうな顔をする。

「そんな事云ってっとやらねぇぞ」
「要ります。ありがとうございます」

即答してそう云うナマエに、中也はフン、と鼻を鳴らし「汚すなよ」と付け加えた。そして肩に掛けられた其れを腕に通せば、少し大きいながらも違和感無くその裾は舞い、スッとナマエの身体に沿って落ちて行った。

「似合う?」
中々まあまあだな」
「何よそれ」

袖を広げて見せるナマエに中也は無愛想にそう云う。そんな中也にナマエが頬を膨らませれば、彼はフッと笑みを零した。

「それじゃ、飯でも食いに行くか」

ナマエの横を通って中也は廊下へと続く扉へと足を向けた。何時間もの任務で彼の腹の中に在るのは僅かな水分位だろう。手当ても終え気が抜ければ、其の空腹が彼の殆どを支配していた。

「・・中也って、こんな匂いがするんだね」

ナマエの言葉に驚いて振り返れば、外套コートの襟を持ち上げ、其れを鼻に付けるナマエがいた。

「何か、中也に抱き締められてるみたい」

そう云って笑う彼女は心底嬉しそうで、中也は思わず後ずさって其の顔を隠す様にナマエに背を向けた。

「・・っ馬鹿な事云ってないで行くぞ」
「はいはい相棒」

やたら上機嫌な声が後ろから聞こえて、中也も人知れず笑みを零した。










Sky Blue【スカイブルー】
−澄んだ空の青色