「こりゃ、暫く帰れそうにねぇな」

ヘリで西方に着いた。その上空から地上を見下ろせばその規模に思わずため息を吐く。

「だが、暴れ甲斐がありそうだ」

中也はそう云って口元を歪ませた。

「おいナマエ、起きろよ」
「んー・・」

隣で呑気に寝ているナマエにそう声を掛ける。だが「うーん」と椅子の上で器用に丸まった彼女の眼が開く事は無い。

「ったく」

そう小さく呟いて其の寝顔に顔を近付ける。絶えず揺れているその髪が僅かに頬に触れて、思わず目を細めた。

(無防備に眠りこきやがって)

彼女とコンビを組む様になって四年が経過した。もっと前から傍には居たが、彼には別の相棒が居た。彼女はそんな二人の補佐に過ぎなかった。あの日、あの男が忽然と消える迄は。

(糞、厭な事思い出しちまった)

未だにあの日々の事は頭から消える事は無い。屹度きっと、其れは自分だけでは無いのだろうと思って中也は小さく舌打ちを漏らす。

肘掛けに肘をついて外に目を向ける。だが其れは一瞬で、矢張り其の寝顔へと視線を戻した。

(・・髪が)

顔に掛かっていた。無意識に手を伸ばし、其れに触れ様とした。

「!」

其の瞬間、指に僅かな痛みが走った。見れば愛用の手袋ごと自分の指に一本の切り傷が出来て居た。

「・・無防備とは、飛んだ勘違いだな」

血の滲んだ指を口に含んでそう笑った。彼女に纏う風、彼女は其れを疾風はやてと呼ぶ。宛ら其れは番犬の様で、彼女から離れる事は珍しい。

其れは奪う事しか出来ない彼女が、唯一命を与えた者でもある。

手前てめぇは良いな」

−−彼女に触れる事が出来るのだから。
心の声を思わず漏らしそうになった。そして彼はそんな中也の言葉を聞いたかの様に彼の登録標識トレードマークでも在る帽子を舞い上がらせた。

「あ!手前てめぇ!俺の帽子を返せ!」
「・・煩いなぁ」

ふと、そんな彼の声にナマエの重い瞼が漸く開かれた。

「って、何してんの中也」
「チッ!俺が、聞きてぇ・・っ!」

ナマエの横の中也はベルトで固定された身体から必死に手を伸ばし、フワフワと浮かぶ帽子に手を伸ばしていた。

「ふ、あははっ!」
「!」

其れに思わずナマエは声を上げて笑い出し、中也は目を見開いた。彼女がこうして笑うのはどれ位振りだろうか、と思ったからだ。

「っ本当、中也って小っさいな」
「・・うるせぇ、手前てめぇとそんな変わらねぇだろうが」

照れ隠しに視線を逸らして頬を膨らませた。そんな風に笑われたら、怒る気も失せる。

「疾風、」

彼女が一声そう言えば、舞っていた帽子は彼女の手に収まった。

「はい」
「おお、有難な」

ナマエはそっと中也の頭に其れを乗せ、微笑んだ。

「やっぱり中也には其れが無いとね」
「・・まぁな」
「センスは兎も角ね」
「おい」

クスクスと笑うナマエを一喝して睨んでも、彼女に其れは通用しない。

「でも、疾風が私以外と遊ぶのなんて初めて」
「・・嬉しかねぇよ」

先程のは遊ぶ、と云うよりかは遊ばれた感が強い。不貞腐れた様にそう云って頬杖を付けば、やっぱり隣の彼女はクスクスと笑う。

「屹度、中也が好きなんだね」
「・・手前てめぇは如何なんだよ」

え、とナマエが声を漏らしてハッとした。勢い良くナマエを見れば、案の定ポカンと惚けた顔の彼女が居て、途端顔が熱を発した。

「否、今のは信用してるか如何かとかのだな」

こう云う時、人は自分で驚く程饒舌になる、と云うのは彼には当て嵌らなかった。

(あー、糞っ!)

無意識に出てしまった言葉に、頭を掻き毟りたく成る衝動に駆られた。

「・・好きだよ」
「!」

聞こえた言葉に、伏せた顔を思わず上げた。

(・・糞ったれ、)

でも彼女の哀しそうな笑顔に、そう思わずには居られなかった。

「・・着いたみたいだね」

下降し始めたのを確認する様にナマエは、中也と反対側の窓に手を当てて其の景色を見詰めていた。

「・・ああ、」

其の見えない横顔を見詰めながら、短くそう返した。其の肩が僅かに震えている様な気がして、中也は自分の手の平を握った。

(・・俺の、バカヤロウ)

そう、心で呟きながら。