「うーーん!!はい!ってえええい!」

太宰は目の前の意気込みだけは十二分に伝わるが何とも間抜けなナマエの姿にどうしたものかと思う。本当に彼女は予想の範囲外を行く。それが面白くてクスリと一つ笑みを零した。

『出来たのかよ』
「出来ないわよ!あんた教えんの下手なんじゃないの!?」
『あァ!?』

携帯をスピーカーにして電話の相手とそんなやり取りをしている。云わずもがな、その相手はポートマフィア五大幹部である中原中也、昨日から彼女の恋人でもある。

「ああ!疾風!邪魔しないでよ!」
『・・早くしろ、俺はこの後仕事があんだよ』
「煩いな!だったらちゃんと教えなさいよ!」

探偵社の近くの公園、彼女は木に手を当ててそんな事を云っている。朝出社した太宰はナマエの姿が見えない事を国木田に問い掛けた。そうすれば彼からは「異能の使い方を練習してくるって云ってたぞ」と返って来た。

朝っぱらから真面目な事だ、と内心苦笑いを零したがサボる口実にもなると思いこうして彼女を探して此処へやって来た。異能が異能だけに国木田も心配していた様で、太宰の思惑が判ってい様とも彼を引き止めたのは一瞬だけだった。

「ナマエちゃん」

そう一つ彼女の背中に声を掛ければナマエが髪を揺らしながら振り返った。

「あれ、太宰さん」
『なにィ!?』

ナマエの言葉に電話の先の主が声を荒らげた。それに何か云うでもなく彼女は「おはようございます」と頭を下げる。それに太宰も「おはよう」と微笑んだ。

「異能の練習をしていると聞いてね」
「はい・・でも」

そう云ってナマエは表情を暗くする。

「なんか、使い方が判らなくて」

彼女の言葉に太宰は僅かに驚く。確かにナマエの灰にする異能に関して云えば彼女はそれを自分で操った事はない。云ってしまえば初心者へと舞い戻ったのだ。

「疾風はなんかこう意思の疎通みたいな感じでやるんですけど、使おうとすると疾風は動いてくれるんですけど灰にならないんです」

中也の教え方が悪いんですよ屹度、と言葉を漏らせば電話口から「俺の所為かよ」なんて呟きが聞こえた。

「なら此処からは私が教えよう、中也は仕事があるみたいだしね」
「いいんですか!」
『おい手前!何喜んでんだよ!』

折角教えてやってんのに!なんて中也の言葉を無視して太宰は地面に転がった携帯を手に取った。

「じゃあ中也、ナマエちゃんの事は私に任せて仕事に励むといいよ」
『あァ!?巫山戯んな!俺が今からそっちに!』
「来なくていいよー二人っきりでやるからね!」
『手前・・!いいかナマエ!俺が行くまで、』
「ばいばーい」

中也の声を遮って太宰が携帯の釦を押せば其処からもう声は聞こえなくなっていた。

「さ、始めようか」
「はい、お願いします」

そう云ってナマエはまた一本の木に手を当て意識を集中させていた。ナマエの髪を彼女の異能である風が靡かせ隠れていた首筋が露わになる。

そんな背中にゆっくりと近付き、砂色の外套に手を締まったまま彼女の耳元へと顔を近付けた。

「異能のスイッチを入れるんだ。身体の何処かにあるそれを探して押す、それだけだ」
「異能のスイッチ・・」

ナマエは太宰の言葉を復唱して目を閉じた。その横顔に太宰は思わず目を細める。なんて無防備なのか、と。自分がこんな距離に居ても驚きもしなければ顔を赤くする訳でもない。

それは太宰がマフィアにいた時からのスキンシップの結果なのは目に見えていた。だがこうしていると矢張り自分の内なる感情がフツフツと湧き上がって来る。

出し損ねてしまった行き場のない自分の感情。いっその事云ってしまおうか。君を片時も忘れた事なんてない、と。

「・・太宰さん?」

太宰は木に当てたナマエの手に自分のそれを重ねていた。太宰が触れていては異能は使えない。彼の行動にナマエは振り返ろうと首を動かす。

「!」

だがその瞬間自分の肩に太宰の顔が降って来た。彼の黒くサラリとした髪が頬を撫でて表情は見えなかった。

「ナマエ、」

聞こえた言葉といつもと違う切なげな少し低い声にナマエは瞬きを忘れた。太宰の首がゆっくりと動いて視線が重なる。その瞳は何時もあの屋上で何かを見つめていた時のモノによく似ていてナマエの胸が小さく音を立てた。

「私は」
「太宰、さん」

ナマエの瞳が僅かに揺れる。ずっと云えない気持ちを抱えていたのは何も中也だけじゃない。私だってずっと、君の事が

「てっっめぇ!!」
「おっと、」

背後からの殺気と蹴りに太宰はしゃがみ込む。

「やぁ、早かったね中也」
「コノヤロウ・・!」

そのまま振り返ってそう云えば肩で息をしながらご立腹な中也が睨みを効かせていた。

「仕事があるんじゃ」
「んなもん芥川にやらせときゃいいんだよ!」

ナマエが驚いた瞳を向ければ中也は息も吐かずにそう返す。

「・・あんた上司失格だわ」
「人間失格!」
「煩え!」

溜め息を吐くナマエと片目を閉じて指さす太宰に中也は更に青筋を立てた。

「ちょっと!」

そして無言でナマエの手を引き何事かと戸惑う彼女を無視で肩を掴み中也は太宰を睨み付けた。それに太宰はフッと笑う。

−−その嗅覚は流石だ。太宰はそんな彼に感心さえした。手前にそんな資格はない。その目はそう訴えている様だった。

確かに、と太宰は自嘲する。もうこれ以上彼女の表情を曇らせるのが望みな訳ない。それに自分が気持ちを伝えれば彼女は戸惑い、それこそ探偵社に居づらくなるだろう。

今度からは自分に、ずっと中也が味わって来た感情が降り注ぐ。これは、罰なのかも知れない。君を傷付け、絶望を与え、泣かせてしまった事への。

「ナマエちゃん」
「・・はい」

太宰が呼べば中也のナマエの肩を掴む手に力が入る。それに疑問を持ちながらもナマエは小さく返事をした。

「君は異能特務科の監視対象になる」
「!」

特一級危険異能力者。触れるだけで凡てが消え、そしてその風に触れたものも同じ末路を辿らせる事の出来る彼女は政府からそう括られている。

ポートマフィアに居ればこそ手出しが出来なかっただけであり、彼女は本来であるなら獄舎に繋がれるか処刑の身だ。そして探偵社は政府機関に近い組織。それを拒否する事は容易ではない。

それが判っているからだろう、ナマエも中也もその顔は険しく青ざめていく。

「早速要請が来たよ。君を引き渡せ、とね」

それは至極当然の事だった。異能の事だけではない。彼女はマフィアで散々人を殺して来た。太宰だってマフィアを抜けた後に二年間息を潜めなければならなかったがナマエにその期間はない。

「仕方、ないですよね」
「ナマエ、」

そう云って俯いたナマエの手を中也はギュッと握り締めた。それにナマエは顔を上げ心配そうな中也の表情に困った様に笑った。

「こうして触れられる事が出来たんだもん、もう我が儘云えないよ」
「・・っ」

ナマエの言葉に耐え切れず中也は視線を逸らして俯いた。それにナマエは「ごめんね」と一言呟いて太宰を見詰めた。

「私、行きます」

三人の間に静寂が駆け抜けた。「くそ・・っ」と中也がやり切れない思いを吐き出す。それに太宰は一つため息を吐いた。

「君達、人の話しは最後まで訊きたまえよ」

やれやれと首を振る太宰に俯いていた中也も顔を上げ、ナマエと同様どう云う事か、と視線を投げ掛ける。

「君の過去は今知人に頼んで改ざん中だよ」
「改ざん・・?」

ナマエの言葉に太宰は小さく頷く。

「君は今二人いる事になっているんだ」
「・・えーと」
「おい、結論から云え」

まどろっこしい、と中也は苛立ちを隠さずにそう云った。

「つまり、ミョウジナマエと云う人物は今マフィア、そして同姓同名の人物が探偵社に入った、と云う事になっている」

それに二人は目を見開いた。詰まりは両組織に籍があると云う事であり、それは両組織がその人物は自分の組織にいると主張しなければ成り立たない"嘘"だ。

「真逆、首領が・・」

ナマエの言葉に太宰はフッと笑った。

「君の過去の改ざんが終わる迄とは云え、森さんは二つ返事で了承してくれたよ」
「・・っ」

ナマエは思わず俯いた。自分は裏切り者だ。それなのに・・そう思って自分のスカートの裾をギュッと握り締めた。

鴎外とのやり取りは電話だった。そして切り際に鴎外は「次会ったら抱擁させてって伝えといて」と太宰に云った。それに太宰は「死んで下さい」と即答した。そんなやり取りを彼は敢えてナマエに云わなかった。云う必要性は微塵も感じなかったからだ。

「俺が首領に伝えてやるよ」

ただ一言、感謝の気持ちを。中也がそう云えばナマエは小さく頷いた。

「何時まで泣いてんだよ」
「煩い莫迦」
「・・ったく」

口ではそう云うも中也は優しい手付きでナマエを抱き締めてその頭を自分の肩へと当てた。

「さっさと泣きやめよ」
「判ってるわよ・・」

そんな声にフッと笑った。泣いている彼女を抱き締めて慰めてやる事が出来る。それだけの事が中也にとってこの上なく嬉しかった。

そんな二人に太宰は目を細める。これでいい。胸に僅かな痛みを感じてもそれは本心だった。

「君への要請も社長が対応しているからその内撤回されると思うよ」

太宰の言葉に二人は顔を上げた。涙に濡れていてもそれが哀しみのものでは無い事に太宰はフッと微笑む。

「それに、灰にする異能が使えないとなれば君は危険異能力者には該当しないだろうしね」
「・・じゃあ使えない方がいいって事ですか」

ナマエの問いに太宰は頷く。

「君は唯の風使いのミョウジナマエだ」

もう意志に反して命を奪う事のない、ね。と太宰が呟く。その言葉にナマエは再び中也の肩に顔を埋め背中に回した手に思わず力が入った。

「ナマエ、」

そんなナマエに中也も抱き締め返した。「良かったな」彼がそう背中を撫でながら呟けば彼女は一つ頷いた。二人の周りを風が駆ける。優しく暖かな風だった。

ナマエは昔太宰に云われた言葉を思い出していた。『君が奪った命が彼と成って君の傍に居るのかもね』あの時慰めだろうと思いつつも涙が出た。だけど今は本当にそんな気がして矢張り涙が出た。

ありがとう、亡くした家族はまだ此処にいる。そしてそれは中也と同じ様に「良かったね」とそう云ってくれている様で嬉しくて仕方なかった。もしかしたら灰にならないのは彼の、彼等の意志であるのかも知れない。

「意外と泣き虫だったんだな」
「・・中也だって昨日泣いてたでしょ」
「煩えよ」

ナマエの悪態に中也がナマエの頬を包んで顔を上げた。近付く距離にどちらかとも無く目を細める。

「あ、虫」
「っぶ!!」

ばちん!と中也の顔面が鈍い音を立てた。それに目を瞬かせるナマエの肩には太宰の手があった。

「てっめぇ!糞太宰!!何しやがんだ!!」
「否、君の顔に蜂がいたからナマエちゃんが危険だと思ったらつい」
「ついじゃねぇ!っつか絶対嘘じゃねえか!」
「うん」
「あっさり認めてんじゃねぇよ!!」

そんなやり取りにナマエは笑う。涙はもう、流れてはいなかった。そんな彼女に二人は云い合いを止めた。ホッとしたのだ。何よりも彼女の笑顔に。

「探偵社まで送ってやる」
「気が利く!」
「じゃあ三人でドライブと行こうか」
「手前は歩け!!」
「ならナマエちゃん一緒に歩いて帰ろうか」
「あ、はい」
「あァ!?俺と車だ!」
「私と歩きだよ」
「・・もうどっちでもいい」

静かな朝の公園にそんな声が何時までも響き渡っていた。