「今頃はどうなって居るかの」

ポートマフィア本部ビル、其処に幹部である紅葉と首領である鴎外がソファーへと腰を下ろしていた。

「また探偵社に人事戦略ヘッドハンティングされちゃったねぇ」
「忙しく成るの」

片手に葡萄酒のグラスを持ち、それを左右にゆらゆらと揺らしながらため息を吐く鴎外に紅葉はクスクスと笑った。

「全く、太宰君が居なくなる事を見越して彼女を二人の補佐にしてたのにねぇ」
「・・そんな昔から考えておったのか」

鴎外の呟きに紅葉は目を見開く。まさかと問えば鴎外は「一つの可能性としてだよ」と呟いた。

「でも、彼女は此処に居れば何れ僅かな事で死んでしまったかも知れない」
「・・そうじゃな」
「難儀だねぇ、此れでも元医者なのに」

鴎外はそう云って何もない宙をみつめた。その瞳にはやり切れなささえ滲んでいる様で紅葉はグラスに口を付けて目を伏せた。

「・・処罰はどうする気じゃ」
「うーん、そうだねぇ」

静かに問い掛ける紅葉の言葉に鴎外はそう云って顎に手を当て天を仰いだ。マフィアを抜ける。それは裏切りだ。それは例え幹部だろうと同じ。否、幹部だからこそその罪は重い。

「今度会ったら抱擁ハグでもして貰おうかな」

だが聞こえて来た鴎外の言葉に紅葉は再び驚き、そしてフッと笑った。−−随分と甘い首領だ、と。

「彼奴は十二才以下では無いぞ」
「確かに!でも、中也君に免じて特別だね」
「そうか、逆に中也に殺されん様にな」
「・・それは怖いね」

二人はそう云って笑い合った。唯静かに二人の幸せを願いながら。





「云っとくがなァ太宰!ナマエに手出したら本気で殺すからな!」
「何云ってるんだ中也。此処は敵地。私が何しようと君は手も足も出せないじゃないか!」
「ぐっ・・!矢っ張り駄目だ!こんな奴と同じ組織なんて!」
「そうしたらまた逆戻りだね」
「だー!クソ!なら手前が辞めろ!」
「やーだよー」

太宰の言葉に青筋を立てながら叫び続ける中也。ナマエは既に二人から離れ探偵社員と共に用意された食事に有りついていた。

「騒がしいねぇ」
「昔からああですよ」
「・・ナマエさん、その冷静さが羨ましいです」
「大丈夫、敦君も慣れるよ」
「彼は此処が探偵社なのを忘れて無いか?」
「忘れてると思います。莫迦だから」

ナマエは自分が話題となっているにも関わらず他人の振りかの如く無視ししながら探偵社員とやり取りをする。そんな中で彼女はふと敦をじっと見詰めた。

「敦君、私ずっと思ってたんだけど」
「はい?なんです?」
「君って虎でしょ?」
「は、はい。そうですけど」

グイッと近付いて来るナマエに敦は云い合いの止まった二人の視線を感じ、横目でチラチラと様子を伺いながらもナマエの問いにそう答えた。

「触っても良いかな」
「え!?えっと、良いですけど・・でもちょっと厭な予感が」
「良いの!?じゃあ失礼して」

敦が云いかけた言葉を遮ってナマエは目を輝かせてその手を敦の頭に乗せた。ゆっくりと左右に動かせば彼の柔らかい白髪がナマエの手の動きに合わせて揺れた。

「あは、矢っ張りちょっと柔らかい」
「そ、そうですかね?」

そう云って笑うナマエに敦は少し照れた様に頬を掻いた。

「敦君可愛い!流石ネコ科!」
「え!?ナマエさん!それは完全にマズイです!」

頬を染めた敦にナマエは思わず抱き着きギュッと腕に力を入れる。そんなナマエの突発的な行動に敦は焦りの声を上げた。

「おい、糞餓鬼」
「あーつーしーくーん」
「ひぃいい!だから云ったのにぃ!」

おびただしい程の殺気が敦を襲い、彼は後悔に震え上がった。

「チッ・・ナマエ、行くぞ」
「は?ちょ、でも」

舌打ちを漏らしそう云って中也がナマエの手を引いた。それはきっと外へ、と云う事なのだろう。だが今は入社のお祝いをして貰っている訳で、そんな自分が抜けるのに対しナマエは少し気が引けた。それでも中也の足が止まる事はなくナマエは戸惑いの表情で探偵社の皆を見詰めた。

「行って来い」
「気を付けて下さいね」
「服でも買って貰っといで」
「じゃあ私もー」
「貴様は留守番だ」

返って来た言葉達にナマエは驚いた。そして有難かった。何も云わずとも察して、そして背中を押してくれる皆の笑顔が。

「行って来ます!」

中也の手を握ったまま、ナマエはそう笑って探偵社を後にした。

「ありゃ今晩帰って来ないだろうねぇ」
「よ、与謝野先生!敦君や鏡花ちゃんも居るのに!」
「国木田君離したまえ!私は彼女を守らねば!」
「貴様は留守番だと云っただろう」
「国木田君の鬼畜ーー!」

ナマエの背中が見えなくなったと同時に皆がそんな会話をした。そしてその日、太宰の啜り泣く声が探偵社に何時までも響き渡っていた。







「で、何処行くのよ」

何時もは専ら車移動の中也が歩きで行くと云って二人で夜の横浜の街を歩く。そんな珍しい彼の言葉にナマエはそう問い掛けた。

「取り敢えず、祝杯だな」
「何時もと変わらないじゃない」

繋がれた手を引かれたまま、そんな中也の言葉にナマエはフッと笑った。まぁでもそれも悪くない。だってこうして触れられて居るだけでも、もう何時もとは違う。

「なら、違う事するか?」
「は・・?」

だがふと立ち止まって妖しく笑う中也にナマエは首を傾げる。彼のその表情はこの四年、否、出会ってから見て来た中で一番楽しそうな笑みだった。

何か憑き物が取れたかのような清々しいものだ。そんな事をぼんやりと思い浮かべていれば中也がナマエのその頬に触れた。それにナマエは思わず目を見開く。

「ちょっと!此処外ですけど!?」
「関係ねぇな」
「なっ・・、!」

引き寄せられた腰に逃げ場を失くす。それと同時に唇が触れた。それを拒めない自分が少し恥ずかしい。だが拒めるはずなんてない。だってそれは望みはしたが諦め、無理矢理胸の奥にしまい込んだ願望だったから。

「今日は帰れると思うなよ」
「ば、莫迦!」
「矢っ張りこの侭うちに帰るか」
「はぁ!?」

僅かに離れた距離で中也は平然とそう云う。それにナマエは顔を赤くして声を上げた。そんな長年一緒に居るにも関わらず初めて見る表情に中也は更に口角を上げた。

「足りねぇンだよ、全然」

何年分だと思ってンだ、と呟く中也にナマエは「・・何年分よ」と呟く様にその言葉を返した。それに中也は一瞬黙り、そして視線を逸らす。流石にそれは気恥ずかしくて云う気になれなかった。

「・・云わねぇ」
「あ、逃げた」

そんな中也に気付いて今度はナマエが口角を上げ中也に詰め寄る。『ずっと前から』彼はそう云っていた。だがそれが何時からなのか、それはナマエの気になる処であった。

「逃げてねぇ」
「じゃあ何年分よ」
「だから云わねぇって!」
「ほーら逃げ、」

ナマエの言葉の途中でその唇が塞がれた。目を見開くナマエに中也はしてやったりの笑顔を向ける。

「手前を黙らす良い方法が見付かった」
「っとに莫迦!」
「なんだ、態とか?」

またしても形勢逆転かの様に中也がナマエの頬に触れたまま顔を近付けていく。ナマエは逆効果だと判っていながらも恥ずかしさから「ムカつく」と悪態を漏らした。

「そうかよ」

そんなナマエに中也はフッと笑って再び唇が重ねた。行き交う人達が二人を見ていた。だが冷やかす様な声は自然と聞こえなかった。それ程二人が幸せそうに身体を寄せ合っていたからだ。

不釣り合いな筈の華やかな街。だが今はその街の光、音、空気、全てが二人の為だけに存在している様にさえ思えた。二人を中心に世界が周り、そして笑っている。そんな大袈裟で、且つ不思議な感覚だ。

「・・矢っ張り家だ。帰るぞ」
「はぁ!?もう!本当勝手なんだから!」

ゆっくりと唇を離した中也はそう云って足早に歩いて行く。だがナマエのその手はしっかりと繋がれたまま、離す気配は微塵もない。ナマエもそう云いながらもそんな中也の温もりを噛み締めていた。

そして二人は夜の街へと消えて行く。


掴んだその手を離さないと

新たな誓いを胸に刻んで。










【完結】

御愛読有難うございました!