「待っているだけと云うのは、矢っ張り辛いですね」
探偵社の机に座り事務作業をしていたナマエは、ふと窓から見える空を見上げてそう呟いた。
「そうだな、だが彼奴らなら大丈夫だろう」
同じく探偵社に居た国木田もナマエと同じ方角を見上げて呟く。
敦は空に浮かんだ組合の拠点へと単独で潜入した。其れを太宰が近くの港場で無線機を通して敦と任務を進めている。
「私に、出来る事があれば良いのに」
眉を潜めてそう呟くナマエを国木田は横目で見て手元の書類に目を通した。
「事務作業も大切な仕事の一つだ」
「・・そうですね」
国木田の言葉にナマエはフッと笑った。
「太宰さんはあの時から私に殺し以外もちゃんと教えてくれてたんですね」
だからこそこうして入ったばかりでもやる事がある。それに僅かに心が救われた。
「・・否、それは違うと思うがな」
「え?そうなんですか?」
「先に云っておくが」
太宰に対し疑う事をしないナマエにため息を吐いて、国木田はナマエに近寄った。
「彼奴を甘やかすなよ」
「は、はい」
グイッと顔を近付けて国木田は眼鏡を光らせる。
「判らんな、何故そうも太宰を信用出来る」
国木田の言葉にナマエは思わず目を瞬かせた。
「なんで、ですかね」
そしてフッと笑った。
「私の初恋だったからかな」
初めて会ったあの日。彼の腕に引かれて、その瞳に惹かれた。
『やっぱり君は美しい』
躊躇うことなく差し出された光に眩暈がした。
「・・一寸国木田さん、何ですかその顔」
まるで珍獣でも発見したかの様に見る国木田にナマエは頬を膨らませた。
「否、彼奴に惚れる事が出来るなら大抵の奴はイケると思うぞ」
「如何いう意味ですか」
国木田の言葉に思わず笑ってナマエは「でも」と言葉を付け加えた。
「恋愛は向いてないみたいです。今二連敗ですから」
「・・そうか、なら仕事に打ち込む事だな」
そんな国木田の言葉にナマエは「はい」と笑った。
「そういや他の連中は何処行ったんだ」
こんな大事な時に、と国木田は事務所内を見回す。
「ああ、乱歩さんと谷崎さんは知ってます」
「何?二人は何処に」
「たっだ今ー!」
噂をすれば、と探偵社の扉が開く音がした。
「ら、乱歩さん!?」
「やぁ国木田君!ただいま!」
「お帰りなさい。・・じゃなくて!」
「乱歩さーん!待って下さいよー!」
目の前の光景に国木田は目を飛び出さんばかりに驚き、乱歩は上機嫌に手を挙げる。そして遅れて入って来た谷崎は息を切らしていた。
「疾風と遊んでます」
「疾風・・ああ、お前の異能か」
ナマエの説明に国木田は納得した様で取り乱した自分を落ち着かせた。
「僕も風の異能力者だー!」
「ちょ、危ないですよ!乱歩さーん!」
宙に浮かぶ乱歩と慌てふためく谷崎を見てナマエはクスクスと笑い、国木田は思わずため息を吐いた。
「疾風も楽しそう」
「話せるのか?」
国木田の疑問にナマエは首を横に振った。
「でも感じます。あの子は私で、私はあの子だから」
「・・判らんな」
「ですよね」
ふと疾風がもう別れを告げた彼と戯れてる姿が重なって、僅かに目を細めた。
◇
「凄い・・傷が何もない」
先日探偵社に到着して直ぐ与謝野に身体を見せろと云われて服を脱いだ。そこで自分の身体を改めて見て驚いた。鎮圧任務の時の傷も、異能集団の拠点へ攻め入った時の傷も、鴎外に縫合して貰った痕も、全てがその身体から消えていた。
まるで、あの日々の事自体無くなってしまったかの様に感じた。記憶も思い出も、この気持ちも、一緒に無くなってしまえば良いのに。
違う。失くしたくなんて無い。彼との時間も、髪に触れた指先も、あの微笑みもムキになった顔も全部。
『ナマエ、』
全部、忘れたくなんてない。
「・・っ」
どれだけ泣いても枯れ無い涙がまた溢れた。
「ナマエ、」
傷の確認をしていた与謝野がそんなナマエに声を掛けた。
「っ済いません・・」
「否、泣きたいだけ泣きな」
「!」
無理矢理拭っていた腕を止めてナマエは顔を上げた。
「女はねぇ、泣いた分だけ強くなるんだよ」
ニッと笑ってそう云った与謝野の言葉に、ナマエは目を見開く。
「泣けるって事は、あんたは未だ未だ強くなるよ」
そうすりゃ男なんて選びたい放題だ、と悪魔の如く笑う与謝野にナマエも思わず笑った。
「まぁ、あれも良い男だったと思うよ」
「中也に会ったんですか」
与謝野の言葉にナマエはその顔を拭いながら問い掛けた。
「あんたを助けてくれて感謝するって頭下げられたよ」
「!」
正直驚いた。あの中也が敵に頭を下げるなんて想像が出来なかったからだ。
「惚れた女の為とは云え、中々出来る事じゃないよ」
「惚れた女?」
与謝野から出て来た言葉にナマエは思わず目を瞬かせて、そして腹を抱えて笑った。
「違いますよ、唯の相棒としてです」
「・・彼奴も難儀だねぇ」
「え?」
ため息を吐く与謝野にナマエは首を傾げた。
「でももう、終わりましたから」
「そうかい」
「はい」
◇
(もう終わったんだ)
彼と過ごす日々は。何年一緒に居たんだろうか。探偵社は居心地が良い。だけど胸にポッカリと穴が空いてしまった様だった。
ふと机の上に電源を切った携帯電話が目に入った。其処に付いたキーホルダーを指でなぞれば、また涙が溢れそうになった。
「!」
ふと事務所内に一つの電子音が鳴り響いた。
「はい、国木田」
国木田の物だ。彼は無駄の無い手付きで其れを耳に当て短く言葉を発した。
「そうか、ああ、分かった」
そう二、三相手と言葉を交わして電話を切った。その場にいた者は国木田の言葉を待つ様に彼をジッと見詰めた。
「終わったぞ、何もかもな」
その言葉に歓喜の声が上がった。その言葉は組合との戦争が終わった事を意味していた。敦と太宰が任務を終えたのだ。
「迎えに行くぞ」
「え、私も行っていいんですか」
「何云ってんだい、あんたも探偵社の一員だろ」
「!」
国木田と与謝野の言葉にナマエは驚き、そして笑った。
「はい・・!」
ナマエはそう云って立ち上がった。彼に貰った外套を靡かせて。
(終わったね、中也)
大きな仕事が終わった時は良く二人でそこそこ良いお店に行って食事をした。だがもう其れもない。それが少し切なくて、矢っ張り泣きそうになった。
(ねぇいつか、この想いが消えた日には)
また食事くらい行けるかな、あの日の様に。自分勝手な願いなのは判ってる、でもそう思わずには居られなかった。