太宰と敦の二人に依って、横浜が廃墟となる事態は避けられた。だが被害は少なくは無い。ポートマフィア首領である鴎外と中也はズラリと並べられた遺体袋に思わず顔を顰めた。

「被害総数は?」
「直轄構成員が十八、傘下組織を含めると百近い死者が出ています」

そして中也は「太宰が止めなければこの十倍は被害が出ていたでしょう」と不本意そうに付け足した。

首領ボスとして先代に面目が立たないねぇ」

鴎外は困った様に言葉を漏らす。そして背後の扉が開き、二人にその影が歩み寄る。

「おや、紅葉君!」

其の影に気付いた鴎外はそう声を上げて両手を広げた。それに紅葉は苦笑いを一つ零した。

「太宰の奴に探偵社を追い出されてしまいましてのう」

宿泊費代わりに伝達人まで押し付けられたと、紅葉は一枚の紙切れを袖口から取り出した。

「探偵社の社長から茶会の誘いだそうじゃ」
「・・成る程、そう来たか」

紅葉の言葉に鴎外は静かに笑った。そして眉を下げ表情を固く変化させた。

「其れで、ナマエ君は」
「・・わっちが見たのは二日前じゃ」

紅葉はそう云い辛そうに目を伏せた。

「瀕死の状態じゃよ、見ているのも辛い程にな」
「・・そうか、だがマフィアうちに運ばれていたら命は無かっただろうね」

鴎外の言葉に紅葉は静かに頷く。

「済まんの、中也。私だけ帰って来てしもうて」
「・・否、無事で何よりだよ」

そう辛そうに微笑む中也に、紅葉は「有難う」と一つ言葉を零した。

そしてその日の内にポートマフィアの首領、武装探偵社の社長の密会が行われた。其処で話されたモノは敦からの提案。

ポートマフィアと武装探偵社が手を組んで組合ギルドを此の横浜から追い出す、と云ったモノだった。だが双方すんなりと受け入れるにはしがらみが多すぎる。

其処で武装探偵社社長−−福沢諭吉は一時的な停戦を申し入れた。そして今夜組合ギルドに囚われた夢野久作を奪還しに行く作戦を話す。

それを邪魔するな、と福沢は申し入れた。何故か、それは双方の唯一の共通点である"この街を愛しているから"との事だった。

そして其の晩、"二つの黒"が動き出す。

「最初に云っとくがなァ」

月夜に照らされて中也が人の山を踏み台にして目の前の人物に指を指す。

「此の塵片したら次は手前だからな」
「あーあ、矢っ張りこうなった。だから朝から遣る気出なかったのだよねぇ」

そう云って太宰は頭を抱えた。

「全く、ここ数年で最低の一日だよ」
「何で俺がこんな奴と・・」

そう云って二人はあの頃と変わらず云い合いをしながら夢野が居る山小屋へと足を踏み入れる。

「・・ほら、いたよ。助けを待つ眠り姫様だ」

太宰がそう指差した先には、木の根に囚われた夢野久作がいた。

「眠り姫様ねぇ・・」

其の言葉に中也は呆れた様に復唱して視線を流す。

「・・彼奴あいつはまだ目覚めないのか」
「それは、君の眠り姫様の事かい?」

中也から擦っておいた短刀ナイフで木の根を切り落としながら太宰は問い掛ける。

「他に誰がいんだよ」
「否定しない処が腹立たしいね」
「なっ・・、チッ」

中也は僅かに顔を赤らめて、それを掻き消す様に舌打ちをした。そして木の根を切り終えた太宰が夢野の異能発動の鍵となる人形を、中也が夢野を背負って来た道を戻って行く。

「で、どうなんだよ」
「ああ、話しの続きだったね」

そうだよ、と中也が苛立ち気に肯定して、扉を開き足を一歩踏み出した。

「!?」

其の瞬間、中也の首に何かが巻き付き、彼の身体が最も簡単に宙を舞った。

「チッ!」

山小屋の壁へと激突し、其処には大きな穴が空いた。中也はその衝撃で口元から血を滴らせ舌打ちを漏らす。

「むぅ、流石組合ギルドの異能力者。驚異的な頑丈タフさだ」
「踏むな!」

顔を上げた中也の頭を太宰は容赦なく踏み付けてそう感心する。

「来るぞ、如何する?」

立ち上がった中也は口元を拭いながら太宰にそう問い掛ける。目の前の敵はその触手の様な腕を自在に操り、「あんな攻撃、小指の先で撃退」と迄云い掛けた太宰を吹き飛ばした。

「太宰ィ!?」

異能無効化の異能力を持つ太宰が派手に飛ばされた事に中也は驚き、慌てて彼へと駆け寄った。

「うふ・・うふふふ」
「気持ち悪ィな、撲ち所が悪かったか?」

俯きながら笑う太宰に中也はそう怪訝そうに云う。だが顔を上げた太宰の表情に笑みは無く、その口元を紅く濡らしていた。

「あの触手・・実に不思議だ」

異能無効化が通じない、彼は静かに呟く。

「莫迦な、有り得るのか」
「私の無効化に例外はないよ」

驚く中也に太宰は「可能性は一つしかない」と僅かに冷や汗を浮かべて笑った。

「あれは異能じゃないんだ」
「はァ・・!?」

そして二人は仕方なく"昔の遣り方"を行う事にした。太宰が囮となり、その背後から中也が飛び出しその手を敵の胸へと突き立てる。

「重力操作」

彼がそう云って手を引き抜けば、敵は地面へとめり込んだ。

「御見事」

既に高みの見物かの様に座り込んでいた太宰はそう云って腰を上げる。

「ったく・・人を牧羊犬みてぇに顎で使いやがって」
「牧羊犬が居たら使うのだけれど、居ないから中也で代用するしか無くてね」
「手前・・」

そんな云い合いをすれば、敵の触手が太宰を襲った。負傷していた腕をギブス事引き千切り、太宰は又しても吹き飛ばされた。

「おいおい、こりゃ本気マジでどういう冗談だよ・・」

月さえも隠してしまいそうな勢いで、人であったはずの敵が肥大していく。それは既に人とは呼べず、中也は血の気が引いていく感覚を覚えた。

そしてハッとして吹き飛ばされた太宰へと駆け寄ると、そこには腕を無くし痛みにもがく太宰の姿があった。

「中也、死ぬ前に・・聞いて欲しい事が・・」
「なっ、何云ってやがる!手前がこんな処で・・!」
「ばあ」

素っ頓狂な声と共に現れた引き千切られたと思われた太宰の腕に、中也は太宰の胸倉を掴み拳を震わせた。

「手品してる暇があったら、あの悪夢をどうにかする作戦を考えろ!」

ビシッと音を立てて巨大な其れを指差す中也に、太宰は満面の笑みで「諦めて死のう!」と笑った。

「もう残った手は一つしか無いしね」
「一つって・・」

その言葉に中也は掴んでいた胸倉を離した。

「汚濁をやる気か」

彼からの無言の提案、それは彼の誓いの日と同じモノだった。

「恐らく、ナマエちゃんに致命傷を与えたのは彼だよ」
「!」
「彼女が触れたにも関わらず本質である"命"が奪われなかったらしい」

太宰がスラスラと言葉を並べる。だが中也はその説明等頭に入って来なかった。

「彼女が負傷して異能力が弱まっただけかと思ったけれど、どうやら相手が悪かったみたいだ」
「・・おい」

小さく呟く中也に、太宰は「ん?」と首を傾げた。

「ナマエが、目覚めたのか・・?」

彼の言葉を聞く限り不自然な点が多い。まるで彼女がその瞳を開き、あの時の状況を説明したかの様な詳細を含んだ言葉に中也はその鼓動を速めた。

「・・・あ」
「おい手前、真逆とは思うが俺に黙ってようとした訳じゃねぇよな・・」

太宰の余りの間に中也はその胸倉を再び掴んだ。

「ナマエは、目覚めたんだな・・?」

手が震えた。その瞳はまるで乞うかの様に不安気に太宰を見つめる。そんな中也に太宰はため息を一つ吐いて視線を逸らした。

「目覚めたよ、昨日ね」
「・・そう、か」

中也は心底ホッとした様に笑みを浮かべその手を離した。それに太宰は「あーあ」と不満気な声を上げた。

「中也のそんな顔見たく無かったから、黙ってようと思ったのに」
「は?」

不貞腐れた子供の様に云う太宰に中也はそんな声を上げた。

「いいから仇、打って来なよ」
「・・ああ」

そう云って太宰は敵へと指を指した。それに中也は頷いて身体を向けた。

(待ってろ、ナマエ)

此れが終わったら、迎えに行ってやるから。その口元は自然と綻んだ。もう直ぐだ。やっと会える。やっと、ナマエに。

「人の相棒傷付けた償い、きっちりして貰うからな」

そして汚濁を始める中也の背中を、太宰はジッと見つめていた。

(悪いね、中也)

その瞳に色は無く、感情もない。

「君はもう、彼女には会えないよ」

戦う背中に掛けた言葉は、余りにも無情だった。