「生存兵に依ると組合ギルド襲撃後我々より僅かに早く現場に着いた探偵社が配下の異能者および紅葉の姐さんとナマエを連れ帰ったとの事です」

恐らくは捕虜として。中也の報告内容に鴎外は「姑息な連中だねぇ」と声を漏らす。

「如何しましょう。我々といえども五大幹部二人を人質に取られては迂闊に手が」
「よし!探偵社の社長を殺そう」
「!」

そして鴎外は暗殺、外部の殺し屋を条件に付け加えた。

「手配します」

中也はそう云って会釈をし、最上階の執務室を後にした。

「・・・」

静かな廊下を歩く。其の足取りは重く、上手く息を吸う事が出来ない。

あの後、ナマエとの通信が途絶えてからの記憶は余り無い。ナマエが云った通り既に鴎外の指示で構成員が動いていた。

其奴らから場所を聞き出し、駆け付けた時には既に血の海の中には黒づくめの男しか残ってはいなかった。

連絡を取っている間、彼女は辛うじて隠れたと云っていた。そして其の場所は直ぐに見つかった。そこには唯の怪我では起こり得ない程の血が溢れていたから。

大丈夫、死なない、また後で。彼女の言葉が過っては消えた。こんな傷を負いながら、彼女は何度も自分の名を呼んでいた。

矢張り直ぐに駆け付けるべきだった。恐らく彼女は単騎で有ろうと来ようとした自分を死なせない為にあんな強がりを云った。

痛かった筈だ。苦しかった筈だ。それでも笑っていた。仕事だから、自分の傍に居られないから、と。

「・・くそっ」

ナマエが紅葉と探偵社に連れられたと聞いた時、僅かにホッとした。探偵社に行けば太宰がいる。太宰の異能無効化が有れば怪我をしていても治療が出来る。

鴎外に報告する前に太宰に連絡を入れた。戦争中だ。そんな事がバレれば其れこそスパイ等を疑われ罷免や処刑だろう。

だが掛けずには居られなかった。唯、無事だと、それだけ聞きたかった。

『ナマエちゃんは意識不明だ』

だが聞こえた言葉は余りにも残酷だった。その声から其れが嘘で無い事が厭と云うほど分かるのがまた厭だった。

連絡をしていた時の状況を話せば、太宰から『だからか』と声が漏れた。

『外傷は取り敢えず与謝野先生のおかげて綺麗になっているよ。だが明らかにナマエちゃんの傷だけ他の者とは違う物が混ざっていた』

それが何故か分かった、と太宰は納得した様だった。

『だが其れによって出血が非道い。正直見付けた時はもう死んでいるとさえ思ったよ』

太宰がそう云う位だ。余程の怪我だったのだろう。なのに護る事も救う事も出来ない自分が腹立たしくて仕方ない。

『ナマエちゃんの事に関しては何か有れば連絡するよ』

そして、眠る彼女の傍にさえ居てやれない。

「ナマエ・・っ」

その悲痛な声は、唯ゆっくりと静かに冷たくその手の平から溢れていった。





「全く、君の相棒は何を考えているんだ」

今は戦時中。況してやその戦争相手に連絡をして来るだなんて、と太宰は目の前で眠るナマエに語り掛ける。

「・・屹度、君の事しか考えて無いのだろうね」

フッと笑ってその青白い顔に掛かった髪を掻き上げた。ピクリとも動かない身体。今にも消えてしまいそうな吐息。

間違いなく彼女が一番重傷だった。良く僅かでも息が合ったとさえ思う程だ。彼女を抱えて探偵社に走っていた時、必死に彼女の名前を呼んだ。

何度呼んだか、他に何を叫んだかは覚えていない。それは屹度自分達より後に来た中也も変わらないだろうと思った。

「・・私はね、」

ふと、ナマエの手を握り締めて太宰が静かに口を開く。

「自信が無かったのだよ」

其れは四年前の話しだった。街で会った時、彼女は震えた声であの時の事を呟いた。だけど思わず彼女の言葉を遮ってあやふやにした。

「君の言葉を聞くのが怖かった」

太宰のそう語る表情に何時もの悠々しさは無い。何処か自嘲めいた渇いた笑いが一つ溢れた。

「私は、君が好きだよ」

初めは興味だった。彼女は自分の予想の範囲外を行く。初めて会った時も驚いた。本当に其処に人が居るとは思っていなかったから。

突然中也と仲良くなったり、名前で呼ぶ様になったり、気付いたら私の背中を見つめていたり。そんな小さな驚きの連続からこの想いは始まった。君の気持ちだけは、歴代最年少幹部だった自分でも読めはしなかった。

あの日、何度君に伝えようとしたか分からない。どんな言葉を掛ければ君は自分と共に来てくれるのか。何百と云う言葉を思い浮かべたけれど、答えは出なかった。

結局、そのまま逃げる様にマフィアを出た。亡くした友人との約束を果たす為に。

「こんな事云いたくは無いけれど、中也が少し羨ましかったよ」

ただ真っ直ぐに彼女を見詰める其の瞳。彼女を死なせないと強く宣言した言葉。それに依って彼女が日に日に明るくなっていくのが堪らなく厭だった。

その壁の無い関係性をいつの間にか、彼は作り上げていた。自分も中也と同い年の筈なのに、その扱いは天と地ほどの差がある。

端から見たら自分が天なのかも知れない。だが自分は地に憧れた。自分は彼女に触れられるだけに過ぎない。其れを四年振りに二人が交わす言動を見て痛感させられた。

助けてと電話で云った時には完全に後悔した。あの日、自分も彼女を真っ直ぐ見つめ、言葉なんて無くともその手を引いて行けば良かった。自分だけは其れを出来た筈なのに、と。

「あの日・・」

カタン、と小さくパイプ椅子が音を立てた。立ち上がった太宰は眠るナマエの頬をそっと包み込む。

「私が共に来てくれと云ったら、君は私の手を取ってくれたかい?」

問い掛けても答えは無い。だが淡い期待は最早過去のモノだ。聞かずとも分かっている。今の君なら屹度、自分を選ぶ事は無いだろう。それが重く心にのし掛かった。

「それでも赦して欲しい。君を傷付けてでも、私の傍に君を置く事を」

どうか、私を嫌わないで。祈りを込めてその額に口付けキスを落とした。