「・・っ、」

ナマエは一人、災厄でも現れたかの様な攻撃を掻い潜り公園の木の陰に其の身を隠し座り込んでいた。

『おい!ナマエ!返事しろ!』

先程から耳元でずっと声が響いている。如何やら無線が開きっぱなしになっていた様だ。

「煩い・・聞こえてるよ」
『!』

何とかそう声を発して返事をする。だが息は乱れ、視界がまだ僅かに揺れていた。

『・・っ怪我したのか』
「怪我で済んで良かったよ・・何たって、他は全員殺られた」
『なん、だと・・!?』
「疾風のお陰で間一髪・・自分じゃ、反応し切れなかった」

正直、何が起きたのか、どの奴の異能でやられたかすら怪しい現状にお手上げだった。

「聞いて、中也」
『其処から動くなよ!一歩でも動いたら殺す!』

無線機越しでも彼が走っているのが分かった。話しを聞かない彼に一つため息を漏らして手の平を見詰める。

(これは、アウトかな)

抉れた腹部から流れる鮮血の量にそう思わずには居られなかった。陰に逃げられたと云えど彼女の怪我は重傷だった。

腹部のみならず口元からも血が伝って、其れを手の甲で拭う。

「中也、聞いてよ」
『・・っ』
「大丈夫、対した怪我じゃないし」

ね、と云えば中也がようやく黙った。

「敵は六人。紅葉さんとの連絡が途絶えた事で屹度首領ボスももう動いてると思う。だから、此処には来ないで」
『!』

其の言葉に中也の足が止まったのが分かった。

「ねぇ中也、無線機付けといて良かったよ」
『・・手前てめぇ、本当に大丈夫なんだろうな』

はは、と笑うナマエに、中也は疑念を抱かずには居られなかった。

風が止んでいた。それに気付いて、矢っ張り彼と私は一つなのだと知る。

あの四年前、太宰がマフィアを去った日の事だ。本部ビルの屋上に中也といた。置いて逝く位なら、自分を殺してからにして欲しかったと話した私に、中也は何も云わなかった。

その場所は、あの人が何時も唯ぼんやりと立っている場所だった。その背中は寂しげで、世界に問い掛けている様だった。

自分は何故此処にいるのか、何故生きているのか、と。私は何時もそんな背中を見つめていた。普段は悠々としている彼だが、だからこそその瞳が何を見ているのか知りたかった。

彼が消えたあの日、彼が立っていた場所に立った。だけど唯街が見渡せるだけだ。だが彼には屹度その先の何が見えていたのかも知れない。私には見えない何が。

如何して何も云わずに消えてしまったのか。私が一度でもその背中に声を掛けていたら、一度でもその背中に寄り添っていたら、一度でも自分の気持ちを伝えていたら、貴方は私を連れて行ってくれたのだろうか。

そんな事をひた隠しにしながらも考え続けた四年間だった。だけど応えは出なかった。今思えばそれが応えだったのかも知れない。

−−風が、吹いた。あの日、私の髪を撫でた風に誘われて私はビルからその身を投げた。無情にも慌てて駆け寄った中也の手をすり抜けて堕ちて行く身体。彼が私の名を叫ぶ声が聞こえた。

今となっては死にたかったのか、そうで無かったのかは分からない。あの人の元へ行けるかも知れないとでも思ったのだろうか。でも予感がした。疾風が来てくれる予感が。

案の定、下から突き上げる風に包まれた。堕ちて行く速度が落ち、やがて私の身体はゆっくりと浮上した。屋上に再び足を付けた時の中也の顔は情け無くて、思わず笑った。

そして私は二つ目の絶望を抱えた。そんな私を感じたからか、疾風は私から片時も離れる事は無くなった。結果的に荒治療の様な形になったのだ。そして中也もずっと私の傍に変わらず居てくれた。だから私は今こうして居られるのだ。

それが救いだった。何で今更そんな事を思うのだろうか。まるで走馬灯の様だ。

疾風を感じない。感じられない。如何やら来る所まで来てしまっていた様だ。矢張り私は死ぬのかも知れない。

「ねぇ、中也」
『・・なんだよ』

ぶっきら棒に云う彼に思わず笑う。耳から聞こえる彼の声が心地良くて、そのまま眠ってしまいたかった。何時からだろうか。遠くから私を呼ぶ声があの人では無く、彼になったのは。

「太宰さんと三人で敵組織壊滅させた時の事覚えてる?」
『・・ああ』
「あの時二人で怪我してさ、もうダメだと思った」

それでも中也を逃がさなきゃと彼の前に立った。思えばあの時から私の胸の片隅に彼はずっと居たのかも知れない。私も気付かないずっと奥の方に。否、逆だ。近過ぎて気付かなかった。彼があまりにも真っ直ぐに私を見つめ、接してくれるから。灯台下暗しとはよく云ったものだ。

「私がありがとって云ったらさ、中也は"くだらねぇ"って云ったよね」
『だからなんだよ・・っ』
「でもさ、矢っ張りその言葉しか浮かばないんだよ」

貴方に対して、云いたい言葉なんて。それが可笑しくて笑った。

「だから、ありがと。中也」
『・・っバカヤロウ』

そんな彼の言葉にまた笑う。「今度はバカヤロウか」と。

『死ぬな』
「・・死なないよ」
『今すぐ逃げろ』
「それは、無理そうだな」

視線を流して耳を澄ませば二つの足音が近付いて来るのが分かる。もう既に此処に居るのがバレている。

「ちゃんと、仕事しないとさ」
『手前はまだそんな事』
「あんたの傍に居られないでしょ」
『!』

痛む腹部を抑えて立ち上がる。激痛に身体が傾いて、背後の木に寄り掛かった。

「っく・・!」

途端、木の根がナマエの首元を襲った。締め付けられるそれに顔を顰める。

『ナマエ!おい!ナマエ!』
「っ、聞こえてる・・てば」

灰と化したそれにようやく首が解放されて口を開く。

『やめろ、頼むから・・っ』
「なに、弱気な声・・出してんのよ」

死なないって云ってるでしょ、と途切れ途切れに言葉を繋ぐ。彼の声にあのビルから舞い戻った時の中也の表情が何故か浮かんだ。今彼はあの時の様な泣きそうな顔をしているのだろうか。

「中也・・っ、ねぇ」
『帰ったら何でも聞いてやる!だからもう止めろ!』
外套コート・・汚しちゃった」

汚すなって云って貰ったのに。それでもそこから僅かに彼の香りがして、思わず微笑んだ。

『ナマエっ・・逝くんじゃねぇ!』
「ばーか、誰の相棒だと・・思ってんのよ」

ハッと笑って背後の気配に意識を移した。木を操る異能力者ともう一人の髪の長い陰気臭い男が僅かに見えた。

「じゃあ、後でね中也」
『おい!ナマエ!ナマエ!』

其処で無線機を切った。まだ彼は何か云って居たが、彼と云い合い出すと日が暮れてしまう。こんな絶望的な危機を目の前にしても、何故か笑っていた。

「大丈夫だよ、中也」

そう云って木の陰から駆け出した。痛みに気が遠くなる意識に鞭を打って一歩一歩踏み出して行く。見れば陽気な男の首元から枝が出ている。となれば先程の攻撃は此奴だ。ならばまだ異能力が分からない陰気臭い男の方から片してしまおうと瞬時に思った。

自分の異能力は触れただけで殺す。それに一人の男を置いて例外はないから。

「やっと出て来たねレディ!」
「面倒、早く・・帰りたい」

そんな二人にスカートの下に隠しておいた小型銃ハンドガンを向けた。二発、三発、二人に向けて発砲する。そんな攻撃が通用しないのは判っていた。あくまで奴らに近付く為に、態と満身創痍に突っ込んで行く女を作り上げた。まぁ結果的にはそうなってしまったのだけれど。

「っく!」

陰気臭い男の気持ちの悪い異能の手に案の定捕まった。何の感触もと云えない自分の首に巻き付いたそれに思わず顔を顰める。でもそれでもいい。触れられればこっちのモンだから。

「なんか、チリチリしてる」
「僕の木も灰になってたよ、彼女の異能力じゃない?」

だが彼は平然と其処に立っている。パラパラと灰になるのは触れている部分だけで、その身体はいつになっても消える気配がない。

「なんだ、いるじゃん」

私より化け物が。そう云ってナマエはフッと笑った。


「−−ごめん、中也」


その瞬間。口元に笑みを浮かべたままの彼女の身体を、何かが引き裂いた。