「この場合は?」
「そうだな、恐らく次がこうだから、此れをこうして」
「成る程」

ナマエの手の中には複数のカードが握られ其れを太宰が背後から指差す。目の前には同じ様に敦がカードを持ちながら渋い表情をしていた。

「二体一ってズルくないですか」
「仕方がないだろう。彼女は幼い頃にやった切りで規則ルールを覚えていないと云うからな」

普段なら来客時に使用するであろう応接間。其処で彼等はカードゲームをしていた。次々と上がる中、ナマエと敦の攻防が其処では繰り広げられていた。

「さぁどうぞ、敦君」
「・・・」

太宰に促されて手元のカードを見詰める。「出せない」そう呟いて敦はカードの山から一枚其れを取る。

「次はこれ」
「・・・」

ナマエがカードを出し、敦がカードを取る、その作業が三回程続いた。

「はい、おめでとう」

最後の一枚を手放した処で太宰がそう云ってナマエの頭を撫でた。

「・・負けた」

ガクッと項垂れる敦の手には多くのカードが残っていて、ナマエは思わず苦笑いをした。

「ごめんね、敦君」
「いえ、良いんです」
「じゃあ、罰ゲームとやらだよね」
「え、いや、あはは・・」

ふふ、と笑みを変えたナマエに敦の血の気が引いて行く。

「ご愁傷様だな、敦」
「怪我したら妾が治療してやるから」
「・・アリガトウゴザイマス」

そして恐る恐る敦はその顔に掛かる前髪を上げる。それに近付くナマエの手。その先に見える笑みに敦は悪魔のそれを垣間見た様な気がした。

「ぎゃああああ」

バチン!と物凄い音が敦の額を直撃した。しなるナマエの指が食い込み弾かれる。その途端敦は額を押さえながら床を転げ回った。

既に探偵社の男達がナマエの指の餌食となっていた。国木田、谷崎、そして敦。三人の額は赤く腫れている。

「ごめん、加減したんだけど」
「ありがとうございます・・」

そんなナマエに敦は彼女のなけなしの努力に感謝した。

「今戻った」

ふと探偵社の扉が開いた。そこには中年の和服を着た男が立っていた。

「お帰りなさい、社長」
「ああ、・・来客か」

太宰に社長と呼ばれた男−−福沢諭吉。ナマエでも探偵社員の名前までは把握していなくとも、彼の名は知っていた。

(彼が、探偵社の頭か)

自身の首領ボスと比べても遜色ないその威厳に僅かに顔を顰めた。

「!」

そしてナマエは足元に気配を感じてそこを見る。すると黒い塊が彼女の足元に転がっていた。

「だ、太宰さん!」

彼女は思わず慌ててその足を上げ、背後にいた太宰にしがみ付く。

「なんだ、猫は嫌いか」
「き、嫌いではないですが・・」

その慌て様に福沢は問い掛ける。如何やら此れは彼が連れて来た者らしい。

猫と云わず動物は好きだ。だがマフィアでの彼女の異能実験にて使われた物の多くがこう云った動物であった。

人間以上に彼等を殺めた。それが一種のトラウマになっていた。彼等は弱すぎる。指先一つでその姿は消えてしまうのだから。

「大丈夫だよ」

だが太宰にそう云われ、恐る恐る人差し指を猫に差し出す。その黒猫は二回彼女の指の匂いを嗅いで、その身を摺り寄せた。

「ほらね」

太宰の言葉にゆっくりとその小さな身体を抱き上げる。「にゃー」と一つ鳴けば、ゴロゴロとその喉が音を立てた。

「・・可愛い」
「珍しく足元を離れないと思ったら、其奴は貴女に会いたかったのかも知れんな」
「私に?」

福沢はフッと一つ笑って奥の部屋へと消えて行った。

「そうなの?」

膝の上で寛ぐ猫を見降ろして撫でる。するとその返事とでも云う様に「にゃー」と鳴いた。

「私でもナマエちゃんの膝枕なんてしてもらった事無いのに」
「何故猫と張り合う」
「あはは・・太宰さんらしいじゃないですか」

そんな時、一つの電子音が部屋に鳴り響いた。

「誰の電話だ」

国木田が辺りを見回してその音の発信源を探す。

「・・私、です」

ナマエは外套コートの内ポケットから徐ろに其れを取り出した。手が、震えていた。その音に一気に現実に引き戻されたのだ。

「・・ナマエです」
『遅ぇ』
「中也・・」

電話の相手は中也だった。出るのが遅かったからか、彼の声は少し機嫌が悪い。

『任務だ。迎えに行くから何処にいるか教えろ』
「・・・」

彼の問いに答えられない。頭は真っ白になっていた。ああ、私は何をやっているんだろう。彼に合わせる顔がない。思わず手の平で顔を覆った。

『おい、ナマエ。手前てめぇ今どこにいる』

異変を察知したのか、中也の声に僅かに焦りと苛立ちが含まれた気がした。

「探偵社」
『はぁ!?手前てめぇ何でそんな処に!』
「・・なんでだろう、分かんないや」

そんなナマエの耳に盛大なため息が聞こえた。それに思わず目が潤んだ。

「ごめん、中也・・」

彼から言葉は返って来ない。当然だ。呆れて言葉も出ないのだろう。敵拠点で笑って、カードゲームなんかして、猫と戯れて、こんな時間過ごした自分に。

「ごめん、やっぱり・・大丈夫じゃなかった」

先日車の中で彼に云ったばかりだ。もう大丈夫だ、と。だが実際に太宰に会って、敵である筈の彼等と友人の様に接して、一体何をしているのか。全然、大丈夫なんかじゃなかった。

明日には彼等を殺せと命令されてもおかしく無いのに。

「私、あんたの云った通りバカだよ・・」

気付けばその瞳から大粒の涙が流れ、見上げる黒猫の顔に落ちて行った。それによって黒猫はナマエの膝から飛び降りる。空いた其処から熱が引いて、その熱と一緒に自分も消えてしまいたかった。

「本当、大馬鹿過ぎて・・っ笑える」
『ナマエ、』

何故、如何して太宰はこんな事を自分に味合わせたのだろう。こんな時間、マフィアの自分にしたら眩し過ぎて溶けてしまいそうだ。

苦痛以外の何物でもない。なのになんで。

「もうやだ・・っ、訳分かんない」

頭がぐちゃぐちゃで、涙が止まらなくて、如何したら良いのか分からなかった。それでも一つだけハッキリと分かったモノがある。

「助けて・・っ中也」

彼に、会いたいと云うこと。混乱する頭に浮かんだのはそれだけだった。

『・・五分で着く。電話はこのまま繋いどけ』

其の言葉に無言で何度も頷いた。探偵社の皆は何故彼女が泣き出したのか分からなかった。何故、電話口の相手に「助けて」等と漏らすのか、と。

「!」
「やぁ、中也。私だよ」

耳に当てたままの携帯電話を背後の太宰が奪ってそう声を上げた。

「矢っ張り手前てめぇの仕業か、太宰・・っ」

中也は聞こえて来た声に思わず携帯電話を握るその手に力を入れた。ミシッと機械が僅かにしなる音がした。

『彼女なら傷一つ付けずに私が送り届けるから安心したまえよ』
「巫山戯てんのか手前てめぇ、其奴に指一本でも触れたら殺すぞ」
『その場合の触れたらは殺したらかい?それとも』
『きゃ!』
「!」
『抱き締めても駄目って事かな?』
手前てめぇ・・っ!」

太宰の直ぐ近くからナマエの小さな悲鳴が聞こえた。恐らく太宰が背後からナマエを拘束しているのだろう。昔みたいに。

その姿が安易に想像出来てアクセルを踏む足とハンドルを持つ手に力が入る。

「中也、私の言葉を忘れてはいないよね」
『・・・』

泣き続けるナマエの頭を撫でながら、太宰は中也に問い掛ける。だが言葉は返って来ない。

「予言は当たるよ、必ずね」

まるで確信したかの様な口振りだった。

「・・帰ります」

ふとナマエが立ち上がる。だがその手を太宰が掴んだ。

「・・もう、やめて下さい」
「ナマエちゃん、君には」
「何も聞きたくない!」

そう云って力任せに手を振り払う。途端、窓硝子が割れ、部屋の中を風が疾った。

「な、なんだ!?」
「いきなりすごい風が!」

其れは塊となり、太宰に降り注いだ。

「・・彼にも、嫌われたモノだね」

太宰は靡く髪を押さえながらそう困った様に笑った。

「疾風、ごめんね」

風を纏う彼女に探偵社の皆は目を見開いた。

「如何いうことだ太宰。彼女は触れたモノを灰にする能力じゃなかったのか」
「ああ 彼はね、可哀想なお姫様への神様からの贈り物プレゼントだよ」
「はぁ!?」

国木田は太宰の言葉の意味が分からずに、その顔を険しくした。そしてそのまま扉へと向かうナマエに、太宰は何時もの様にその名を呼んだ。

「またおいでよ」
「・・・」

そんな言葉にナマエは怪訝そうに顔を顰める。矢張り彼の思考は分からない。正直もう何も考えたくなかった。

「ナマエ!」

その時、探偵社の扉が勢い良く開いた。帽子を被り、ナマエと同じ外套コートを羽織り、焦った表情の中也が其処にはいた。

「中也・・」
「ナマエ」

其処を今まさに出て行こうしていたナマエと目が合って、中也は其の肩に入った力を抜いた。

「・・無事か」

近寄ってそう問えば、ナマエは俯いて首を縦に振った。

「ごめん、私・・っ」

今止まったばかりの涙がまた溢れた。そんなナマエの髪に触れながら見つめた。

「気にすんな、相棒だろ」

其の優しい言葉にナマエは泣きながら笑った。そして中也はそんなナマエに愛用の帽子を押し付けた。

「そんな顔、他の奴に見せんじゃねぇよ」
「そんな非道い顔してる・・?」
「まぁな」

そんな中也にナマエは「ぶっ飛ばす」と声を漏らした。

「帰るぞ」
「・・うん」

そう云って中也は警戒しながらナマエを先に扉から出した。そして振り返る。其の先には勿論太宰がいた。

「随分仲良しみたいだね」

頂けないな、と太宰は口元だけ笑って云う。

「・・何を企んでやがる」
「何にも」
「彼奴を掻き乱して楽しいか」

電話口でのナマエは既に自分で自分が何を云っているのかも分かってない様な状況だった。あんな取り乱した彼女は初めてだった。

其れほどに此処で起こった事は彼女の心を動かし、そして混乱させたのだろうと推測していた。

「こんな事する位なら、あの時」

其処まで云って、中也は自分の言葉に舌打ちをした。何を云おうとしているのか、と。

「・・邪魔したな」

そうして二人は探偵社から去って行った。

「・・おい太宰」
「なんだい国木田君」

荒れ散らかったその場で、国木田が静かに口を開いた。

「彼等は一体何者だ」
「ああ、マフィアだよ」
「はぁ!?」

サラッと云ってのけた太宰にクドクドと文句を垂れ続ける国木田を無視で彼は彼女と座っていたソファーへとうつ伏せに倒れ込んだ。

(本当、予想以上だよ中也)

その表情からは何時もの悠々しさが消え、険しさだけが残った。