「はぁ、」

ナマエは一人、ポートマフィア本部ビル廊下でため息を零した。腕にはエリス宛に買って来たお土産が未だに抱えられていた。

「いらないって云われた・・」

最終の報告書を鴎外に渡しに行くついでに其れを持って最上階の執務室へ再度足を運んだ。

『ご苦労様』
『いえ』
『処でその目付きの悪い縫いぐるみは?』

鴎外がパラパラと報告書を見た後、ナマエの手の中の縫いぐるみを指差した。それに彼女は『ああ』と答え鴎外の隣に居るエリスへと其れを差し出した。

『エリスちゃんにお土産です』

にっこりと笑ってそう云えば、エリスはその縫いぐるみをジッと見つめた。

『エリス、それいらない』
『おやおや』

バッサリと切り捨てられたナマエは思わずそのまま固まってしまった。そんなエリスとナマエに鴎外は困った様に笑う。

『済まないね、折角買って来てくれたと云うのに』
『い、いえ・・』

与えられた衝撃に立ち眩みがしたが、鴎外の言葉にそう云って折り曲げた背筋を戻した。

『では、失礼します』
『ナマエ君、』

消え入りそうな声でそう執務室を後にしようとすれば、鴎外が短くそうナマエを呼び止めた。命令かと思い表情を引き締め背筋を伸ばす。真っ直ぐに見つめた鴎外はフッと笑った。

『其れは、君によく似合っているよ』
『・・え?』

鴎外から出た言葉に、ナマエは思わず間の抜けた声が出た。

『中也には柄じゃ無いと云われましたが』
『あはは、それは非道いね』

一つ笑いを零して、鴎外は尚もナマエを見据える。

『でも、そんな事はないよ』


そんな鴎外の言葉を思い返しても矢張り余り意味は分からなかった。

「じゃあ紅葉さんに上げようかな」
わっちがどうかしたかえ」
「あ!」

そう独り言を呟いた矢先、ナマエの背後から声がした。ポートマフィア幹部−−尾崎紅葉。ナマエが探そうとしていた人物だ。

「いつの間に帰って来たのじゃ」
「つい二時間程前です」

ナマエの言葉に紅葉は「そうか」と微笑んだ。そしてナマエの手の中のにある奇妙なモノのに目を向けてそれを指で弾いた。

「これは?」
「エリスちゃんに買って来たお土産だったんですけど」

ほう、と紅葉は瞬きをする。ナマエの顔が見るからに沈んでいったからだ。

「・・いらないって、云われました」
「それは誠災難じゃのう」

あれも我が儘が過ぎる、と紅葉は困った様に笑った。

「なので、紅葉さんに!」
「いらん」
「・・ですよね」

勢い良く顔を上げたナマエの言葉に紅葉は即答する。何処か分かっていたその答えにナマエは再び肩を落とした。それにも紅葉はクスクスと袖口で口元を隠し上品に笑った。

「まぁ其れはそなたに似合いの様じゃしな」
「それ、首領ボスにも云われました」

でも何処が似合うのかさっぱり分からないと、ナマエは首を傾げる。

「そなた以外は皆分かるじゃろうな」
「えー、何ですかそれー」

頬を膨らませるナマエに、紅葉は彼女の代わりとでも云うように手の中の縫いぐるみを撫でた。

「それも良かろう、にしても服で随分印象が変わるもんじゃな」
「ああ、着てた服が汚れてしまったので」

そんな紅葉の言葉にナマエは上半身を左右に振って改めてその格好を見詰めた。

「・・変、ですかね」

不安気に問い掛けるナマエに紅葉は優しく微笑んだ。

「似合っておる。その外套コートもな」
「!」

ふふ、と笑う紅葉に、ナマエは思わず視線を逸らして縫いぐるみをその赤い顔を隠す様に抱き直した。

「・・ありがとう、ございます」
「変わったのは服装だけでは無さそうじゃな」
「え?」

そして紅葉は意味深な言葉を残したまま鴎外に用があるからとその場を去って行った。ナマエはその綺麗な後ろ姿をジッと見詰めていた。

「どう云う意味だろ・・」

だが既に見えなくなった背中に問い掛けても答えは返って来なかった。

誰かと話すと忘れてしまいそうになる。此処が極悪非道のマフィアであると言う事を。紅葉であれど任務と成れば簡単に何の戸惑いも無く人を殺す。感情を偽れば偽っただけそれはナマエの無意識下で違和感として降り積もった。

だが何が正義かを問うのはとっくの昔に辞めた。だって自分に選択肢はない。此処に居る以外は。

幹部になって力のある者が周りに居れば不用意に殺してしまうと云う危機感が僅かに薄れた。皆ナマエの異能力を理解していたからだ。

特一級危険異能力者。触れた者を例外なく消し去るナマエに与えられたもう一つの肩書きだ。だが最近ではふと其れも忘れてしまいそうになる時がある。

人の温もりを、求めてしまいそうになる時が。

「こんな処に居たのか」
「・・中也」

背後から声がして振り返れば、彼女の相棒が其処にはいた。

「まだ渡しに行ってないのか」

ナマエの腕の中の其れを見て中也が呟く。それに頬を膨らませてナマエは小さく言葉を零した。

「・・いらないって」
「だろうな」

云わんこっちゃねぇ、とでも云うよう彼は笑う。そんな中也に僅かな違和感を感じてナマエはジッとその瞳を見詰めた。

「・・何かあった?」

それに対し中也は僅かに目を見開いた。「何故か」と問えば「何となく」と曖昧な返事が返って来ただけだった。

「なんか、取って付けた様な笑顔だったから」

彼女自身確証があってそう云った訳では無さそうだった。それでも中也は「敵わねぇな」と呟く。そんな些細な変化に気付かれた事が嬉しいなんて、笑えてくる。

「別に、何でもねぇよ」

中也はそう云ってフッと一つ笑って歩き出す。

手前てめぇには渡さねぇよ、太宰)

そう、改めて心で強く呟いた。

「あ、ちょっと何処行くのよ」

少しはぐらかす様に背を向けた中也にナマエは慌てて声を上げた。

「何処って、飯食いに行くんだろ」

首だけ振り返った彼は先程の嘘くさい笑みではなく何時もの様な笑みで、ナマエはその口角をゆっくりと上げた。

「もう、待ってよ」

少し駆け足でその背中を追い掛ける。気付けばその腕に手を伸ばしていた。

「っ!」

それでもその手が彼の腕に触れる直前にナマエは動きを止めた。

(私は、何を・・)

自身の手の平を見詰めた。ほら、やっぱり忘れてしまう。彼と話していると特にそうだ。思えば彼が自分の髪に触れる様になり、彼の匂いを纏う様になった数ヶ月前からそれを感じる様になった気がする。

そんな事、今まで思った事も無かったのに。

触れれば消える。それは彼とて例外では無い。そんな事は、最初から分かっていた筈だ。

「・・置いてかないでよ」
「ナマエ?」

彼女の声の変化に中也は思わず振り返って首を傾げる。見れば俯いてその手の平をギュッと握り締めたナマエがいた。

「あんたは、置いて逝かないで・・」
「!」

言い知れない不安が彼女を襲った。彼に触れて、彼が消えた処まで瞬時に想像してしまった。自分は愚かだ。唯の愚者だ。自分がどんな存在か、己が一番分かっていると云うのに。

もう、一人にはなりたく無かった。自分はさっさと死んでしまいたい癖に勝手だ。それを一方的に、我が儘に彼にぶつけているに過ぎない。それでもそう云わずには居られなかった。

そんな彼女の言葉に中也は自分が思っているよりも早く踵を返す。ナマエの目の前まで来れば、その手は僅かに震えていた。

抱き締めたい衝動に駆られた。例えそれでこの身が消えるとしても構わないとさえ思った。でもそんな自分の欲だけで消えてしまったら彼女は如何なる?自分の為に泣いて、絶望に堕ちてくれるのだろうか。

歪んだ感情だと思った。それも悪くないとさえ感じた。だがそれは出来ない。彼女の傍に居るのは、何時も自分でありたいと願っているから。

「置いてかねぇよ」

そう云ってナマエの溢れた髪に触れた。ナマエはゆっくりと顔を上げる。その瞳は僅かに潤んでいた。

「俺は手前てめぇを手放したりしない、絶対な」

掬った髪に口付けキスを落とした。それは宛ら誓いの口付けの様でナマエは目を見開く。

「にしても、そんなに食い意地張ってんのかよ」
「ち、違うわよバカ!」

ニッと笑う中也に、ナマエは思わず視線を逸らす。

手前てめぇは良く食うもんな」
「ふん、中也もちゃんと食べないと私背越しちゃうからね」
「・・そりゃ怖ぇな」

そして何事も無かったかの様に二人肩を並べてその廊下を歩いて行った。

心に温かい、何かを残して。