ナマエと別れて直ぐ、自分を探していた広津と出会った。彼はナマエは何処か、と一言聞いて此処にいない事を話せば少し伏せた目をゆっくりと上げた。
『太宰君が捕縛された』
中也は目を見開きそして何故彼がナマエの所在を確かめたのかを瞬時に理解した。彼の言葉に「そうか」とだけ呟いてその場を翻した。
元幹部が捕縛されたと成れば場所は一つしかない。日の差し込む事の無い獄舎に腕を拘束され佇む太宰治が其処にはいた。
「最悪、うわっ最悪」
中也を見るなり太宰はそう悪態を零す。それに対し中也は「良い反応してくれじゃないか」と其の指を鳴らした。
「・・俺と戦え、太宰」
太宰を拘束していた鎖を一振りの蹴りで粉砕した彼はそう云って太宰を指差した。四年振りの対面だろうと漫談に花を咲かせる訳でもなく彼は太宰を睨み付ける。其れに太宰は「中也」と呼んで指を鳴らす。
すると音を立てて腕の拘束具が取れる。詰まり、中也が壊さずとも何時でも逃げられたと云う事になる。
「良い展開になって来たじゃねぇか!」
彼はそう云って走り出す。静かな部屋に彼の声と彼の床を蹴り上げた音が反響した。
「・・最後に教えろ」
二人は元相棒。初めは中也の攻撃を見切っていた太宰だったが、彼の体術と疾さに呆気なく其の首を取られ短刀を突き付けられた。
「態と捕まったのは何故だ」
中也の目は本気だった。今にも太宰の喉を掻き切りそうな瞳。現在太宰が身を置く探偵社、ポートマフィアと云う立場以上に、彼は目の前の太宰を疎んでいた。
「理由次第では本気で今直ぐ殺す」
中也の太宰の首を掴む腕に力が篭り、殺気を溢れんばかりに漏らしてその目は大きく開く。それに太宰は僅かに苦しそうに顔を歪め、それでも口角を最大まで引き上げ中也を見下ろしながら笑った。
「・・一番は敦君についてだ」
「敦?」
其れは芥川達が追っていた人虎の事だった。其の人虎に懸賞金七十億を掛けた人物は誰なのかを調べに来たと彼は云う。それを「その結果がこの態じゃな」と中也は鼻で笑った。
「で、予言するんだけど」
くく、と笑った太宰に中也は「何がおかしい」と顔を顰める。
「君は二つの理由から私を殺さない」
其れどころか情報の在り処を話し部屋を出て行く、と太宰は云う。
「はぁ!?」
相変わらず此奴は巫山戯てやがる、此の状況で何故其れが云えるのか。咄嗟に思考を巡らせた。そして先程彼が「明日、五大幹部会が開かれる」と口にした事が脳裏を過ぎった。
自分もナマエも参加するであろう其の会。だが二人に其の連絡はまだ無い。其れを何故彼が知っているのか。そして彼はこうも云っていた。「上層部に手紙を送った」と。
「"太宰死歿せしむる時、汝らの凡る秘匿公にならん"」
彼が其処に違和感を覚えたのに気付いたかの様に太宰は自身が送った手紙の内容を流暢に語った。
「!!」
そして其れを理解した中也は思わず音を立てて後ずさる。
「真逆、手前・・」
要は太宰を捕縛したものの、彼が死ねば組織の秘密が全てバラされると云う脅しを掛けていたのだ。
其れが検事局に渡れば幹部全員百回は処刑出来る、と太宰は解放された首を鳴らしながら云った。
そして幹部会前に太宰を殺したと成れば中也は独断行動で背信問題となり罷免、最悪処刑だ。
「俺が諸々の柵を振り切って手前を殺したとしても、手前は死ねて喜ぶだけ?」
全てを理解した中也に太宰は「ってことで、やりたきゃどうぞ」と手を広げて笑った。
「・・チッ!」
舌打ちをして短刀を捨てた中也に、太宰は「なんだ、やめるの?」と残念そうに呟く。
そして此の選択すらも彼の意図であり仕込みだった事を知ると中也はその場に項垂れた。
そんな中也に追い打ちを掛ける様に太宰は彼が鎖を切った事により逃亡幇助の懸念を示唆した。最早彼に選択肢は無かった。
そして中也は人虎を担当していたのは芥川だと太宰の欲していた情報をサラッと話し彼に背を向けた。
バカバカしかった。こんな奴だと知っていた。其れでもこの四年太宰が頭の片隅に居座り続けた。自分も、そして彼女も。彼女を苦しめ続けている奴が悠々と笑っている。それが何よりも腹立たしくて仕方なかった。
「・・用を済ませて消えろ」
彼奴に会う前に。そう心で呟いた。これ以上彼奴の心を掻き乱すな。
彼女に関して云いたい事は沢山あった。彼女があの日、そしてこの四年もの間をどんな気持ちで過ごしていたか。今だってそうだ、彼女は屹度・・
でも絶対に云わない。云ってなんてやるもんか。彼奴はずっと、手前を待っている、だなんて。
「どうも、でも一つ訂正」
背を向けた中也に太宰はそう云って彼を呼び止めた。
「今の私は美女との心中が夢なので君に蹴り殺されても毛ほども嬉しく無い」
悪いね、と顳かみに人差し指を当てて太宰は笑う。そんな太宰に中也は興味無さそうに「あ、そう」とだけ返した。
「例えば、ナマエちゃんとかね」
「!」
瞬間、太宰の顔の横を中也の拳が横切った。激しく打ち付けられた壁には彼の拳を中心に罅が入り同時に大きな衝撃音がした。
「・・手前が、その名を口にするんじゃねぇ」
怒り。俯いた彼から湧き上がったモノはそれだけだった。
「・・彼女は元気かい」
「黙れ」
「聞いたよ、最近幹部に成ったんだってね」
「黙れって云ってんだよ」
「でも、彼女は"それ"を望んでいるのかな」
「っ!」
彼を睨み付けながらその顔を上げた。其処には先ほど迄の悠々しさは無く、真剣に問うている様だった。
(そんな事、分かり切ってる)
思わず太宰から視線を逸らした。四年間会っていなくとも此奴にはお見通しだ。彼女の心の中でさえ。
振り上げた拳が滑り落ちる様に降ろされた。壁からはパラパラとその破片が溢れ、床に落ちて行く。其れをジッと見つめた。
彼女は殺しを望んでい無い。それは彼女がマフィアに入った時から一寸たりとも変わってい無いモノの一つだ。
「君が私を殺さない理由のもう一つは、彼女だ」
「・・ハッ」
思わず自嘲の笑みが漏れた。そうだ、その通りだ。上層部への手紙だとか何て関係ない。そんなモノ無くたって殺せやしない。
太宰が死んだ、何て聞いた彼女の顔が、安易に想像出来るからだ。其れこそ彼女は今度こそ這い上がれない程の絶望に飲み込まれるだろう。
四年前のあの日から彼女に掛ける言葉を探してる。でもそれは未だに見付けられずにいた。その上目の前の男が死んだと成れば、情け無くもお手上げだ、と中也は思う。
(其れすらお見通しって事かよ)
彼女だけじゃなく、自分の気持ちも。まるで昨日まで一緒に居たみたいだ。過去に三人で過ごした、あの日々の様に。
「中也、君では彼女を救えない」
「・・っ」
何も云い返せなかった。「なら手前は出来るのか」と思ったが、屹度彼ならやってしまうのだろう。あっさりと、呆気なく。だから言葉を飲み込んだ。
彼女に関して自分が勝てるものは何もない。其れを突き付けられて、どうしようもなく泣きたくなった。
(だが、)
中也は太宰に再び背中を向けた。関係無い。そうだ、あの日宣言した筈だ。彼女を死なせないと決心したあの日に。
「・・手前には絶対負けない」
今度は太宰が黙った。背を向けて居るから表情は分からなかったが、視線は感じたからそのまま言葉を繋げた。
「例え俺が彼奴の眼中に入ってすら無かったとしても」
何年、何十年掛かってもいい。彼奴が傍に居てくれるなら其れだけでいい。
「一生触れられ無いとしても、誰にも彼奴を渡す気なんて無い」
彼女が殺しを望んで無いのは知ってる。それでも彼女は此処に居ようと必死にその感情を掻き消して仕事をしている。それも分かってるから、幹部の話しが出た時も反対はしなかった。
「行っておくがな、太宰」
コツン、と音を立てて階段を登っていた足を止めた。
「決着は何れつける、必ずな」
「それは楽しみだ」
だが、と僅かに首だけ振り返る中也に太宰はその口角を上げた。
「彼女は必ず私の元に来るよ"どちらにせよ"ね」
「・・何?」
その自信は何処から来るのだ、と中也は顔を顰めた。
「私の予言は必ず当たる。知ってると思うけど」
「・・くだらねぇ」
中也は其れだけで云ってその場を後にした。
だが獄舎を出た廊下を幾ら早足で歩こうとも、身体に厭な蟠りがへばり付いて離れない。
(糞っ・・!)
先程の太宰の言葉が頭から離れない。
まるで、呪いにでもかけられた様な気分だった。