「ねー!ちょっと見てよ此れ!」

ふとナマエが一つの軒店で足を止めた。少し興奮気味に話す其の横に並んで「何だ」とナマエの手元を見つめた。

其処には明らかに目付きの悪い帽子を被った猫の縫いぐるみが並んでいた。

「縫いぐるみって柄じゃねぇだろ」
「煩いな、知ってるっての」

そんな中也の言葉にナマエは不貞腐れた様に中也を睨みつけた。

「じゃなくて、此れ中也にそっくりでしょ」
「はぁ?」

ずん、と目の前に差し出された其れに中也は思わずそんな気の抜けた様な声を上げた。

「笑える、エリスちゃんに買って行こーっと」
「いらねぇと思うけどな」

はぁ、とため息を吐いて、中也は「他に何を買って行こうか」と商品を選ぶナマエの楽しそうな横顔を見詰めた。

「・・何してんの?」

ふと怪訝そうにナマエが顔を上げる。自分の髪に違和感を感じたからだ。

「髪は触れんだな」
「まぁ肌じゃないからね」

そう云ってまた商品に目をやるナマエを気にせずに、中也は其れを触り続けた。

(サラサラだな)

ほぼ無意識だった。前屈みになった顔の横に流れる其れに気付いたら触れていた。指で摘んで撫でて絡ませて、初めてまともに彼女に触れたな、なんて思った。

「あんた死にたいの?」
「そんな訳ねぇだろ」

あっそ、と、ナマエはその行動を容認した。何せ彼女に触れて一度死にかけた事のある彼が、無謀な事をするとは思えなかったからだ。彼なら大丈夫だろう、と変な安心感がナマエにはあった。

其れは偏に、何年もの間に積み重ねた信頼の賜物だろう。

「後は、何処が触れんだろうな」
「・・〜〜っ」

中也の心の声だった。ほぼ譫言の様なモノだったが、口から漏れていた。其れにナマエは驚き、だが意識しない様にと堪えたが駄目だった。耐え切れず持っていた彼似の目付きの悪い猫を其の顔へと力任せに押し付けた。

「ぶ!て、手前てめぇ!何すんだ!」
「煩い!中也が買って来てよ!」
「はぁ!?なんで俺がこんなモン」
「いいから!」

何なんだ、と豹変したナマエの気迫に押し負けて中也は渋々其れをレジへと持って行った。

「・・こっちの台詞よ」

熱を持った頬を隠す様に、彼が触れていた部分で顔を隠した。其処にはまだ彼の感触が残っていて、ナマエは思わずそう呟いた。

「・・っばか」

やたらと心臓が煩くて、苦し紛れに口元を押さえてそう云った。



****



そして数ヶ月にも及ぶ西方の鎮圧任務を終え、二人は横浜のポートマフィア本部に帰還をした。

「失礼します」

其の足でビルの最上階へと位置する執務室へと二人して向かった。それは他でもないポートマフィア首領ボスへの挨拶の為だ。

「やぁお帰り、思ったよりも早かったね」

そして部屋の最奥にある机に腰掛けた森鴎外は二人にそう声を掛け、机に肘を付いて指を絡ませる。

無事帰還して何よりだ、と威厳を纏わせて呟く。それに二人は「有難う御座います」と声を揃えた。

「ナマエくんは怪我してないかい?君の怪我は小さくとも命に関わる可能性が大きいからね」
「肩に少し。ですがもう殆ど塞がりました」

なので心配には及びません、とナマエは報告をする。それに鴎外は小さく「なら良かった」と椅子に背を預けて微かに微笑んだ。

「長期の任務で疲れただろう、今日はもう下がっていいよ」

其の言葉に二人は頭を下げ、静かに鴎外に背を向けた。一歩二歩、出入り口の扉へと二人で足を向けたその時だった。

「あぁ、でも」

思い出した、と云わんばかりに鴎外が口を開いた。それに二人は足を止め、僅かに振り返る。

「次はもう少し慎重に頼むよ、異国民相手となると色々厄介だからね」

その言葉に二人は目を見開き、背筋に悪寒が走った。慌てて身体を鴎外に向け、勢いよく頭を下げた。

「「申し訳ありません」」
「いいよ、許容範囲内だったからね」

にしても君達揃い過ぎ、と笑われ、二人してお互いを見詰めた。

「ほらね」

だが其れすらも鴎外に笑われる始末だ。「だから此の任務も早く終わったんだろうね」と首領ボス自ら言い訳を付け足した。

其れに気付いた二人はもう一度頭を下げ、今度こそその場を後にした。

無言のままエレベーターのボタンを押す。其れは彼等が来た時のままだった様で、直ぐにその扉が左右へと開いた。

「・・はぁ、疲れた」
「・・同感だな」

中に入り扉が閉まった途端、二人はその壁に背を預けてナマエは床を、中也は天を仰いでそう呟く。

あの人に隠し事は効かない。其れこそ常に監視が誰か付いているのか若しくは盗聴でもされているのではと勘繰ってしまう程だ。

冷や汗で手の平が僅かに湿っている。先程の会話だけで此の二人にそうさせる彼は何とも末恐ろしい男である。

手前てめぇは此の後どうすんだ」
「最終の報告書作ってエリスちゃんにお土産渡して来るよ」
「なら、俺は部下の様子でも見て来るか」

漸く帰って来たとは云え、彼等は五大幹部の一角だ。やる事は山の様にある。其れにうんざりする時期は過ぎ、毎日の様に働くのが普通になっていた。

中也の言葉にナマエは「宜しく」と一言呟く。其れに中也は「ああ」とだけ答えた。

「今夜食事でも行くか」
「やった、中也の奢りっ」

下降するエレベーターの中で、そんなたわいも無い会話をする。中也がそう云えばナマエは「どうしよっかなー」と僅かに胸を躍らせた。そんなナマエに彼は「何でそうなんだよ」と呆れ顔でそう言葉を漏らした。

「まぁ、考えとけよ」
「はいはーい」

そしてナマエが降りる階へと到達し、彼女は壁から背中を離す。

「じゃ、また後で」
「おう」

その手を振る背中をゆっくりと見送って「さっさと片付けるか」と一人呟いて自分もエレベーターから降りて行く。今夜の事を思えばその口元が自然と緩んで、任務の疲れなんて何処かへ飛んで行ってしまった。

だがそんな微かな浮かれ気分も途中で会った黒蜥蜴の広津の言葉によってガタガタと音を立てて崩れた。足早に進む其れは荒々しく塵一つ落ちていない床を踏み付ける。

顔は険しく、通りすがる部下の挨拶をことごとく無視して一つの部屋の扉を開けた。

「相変わらず悪巧みかァ太宰!」

部屋に入って階段を降りた先に手を固定され捕まっていた虜囚−−太宰治の姿が其処にはあった。

「その声は」
「こりゃ最高の眺めだ、百億の名画にも勝るぜ」

実に其れは、四年振りの対面であった。