「良く働くじゃねぇか」
「そりゃどうも」
囲まれていた人数が半分位になった所で中也が横のナマエにそう言った。其れは彼なりの賞賛で、口角を上げた彼にナマエは余裕の無さそうにそう答えた。
「二人体制も悪かねぇな」
対異能組織を相手にこの余裕は何なのか、とナマエは改めて中也の化け物っぷりに内心驚いていた。彼は褒めてくれている様だが、正直着いて行くのがやっとだ。
だがこの化け物に着いて行けてる時点でここ数年の自分の成長に感謝した。此れも偏に太宰の訓練のおかげだ、と。
だがそんな緊迫状態の精神がそう長く続くはずもなかった。疲れがない訳ではないが其れほどでもない。それ以上に気が重く、其れによって注意力が欠けた。
そんな中でも此処に居る異能力者が遠距離タイプが居ないのが幸いだった。触れた物の重力を操る中也と、触れた物を灰と化すナマエに無謀に突っ込んでくる奴は居ない。
「さァ、次はどいつが相手だ?」
中也が右手を掲げる。其の細長い指が次の獲物を欲しているかの様に手招きをする。
敵は何故此れだけの戦闘を行っているにも関わらず援軍が来ない事に焦りを感じていた。
其れは他でもない。太宰の所為である。彼は先に上層部へ回り込み、戦力を削る役割を見事に果たしていたのだ。其れに幾らか安心して、僅かに気が緩んだ。
「ッ!」
「!」
其の瞬間、音も無く閃光が走った。遠距離タイプが居たのだ。唯一其の種類の男は二人の何方かが消耗し、確実に射止められる瞬間を狙っていた。
そして其れはナマエの肩口を貫いた。心臓へと一直線に向かっていた其れを僅かにズラす事で精一杯だった。
「ミョウジ!」
「っ、馬鹿!」
「!」
其の男はこの瞬間も狙っていた。負傷した一人に駆け寄る、もう一人の其の隙を。
「チッ・・!」
否、何方かと云えば二発目が本命だった。二人の戦いや其の態度を見ていれば何方を先に片付けなければならないのかは一目瞭然だ。
中也を仕留める為にナマエに先ず攻撃をした。非道なマフィア相手と成れば其の作戦が成功する可能性は五分五分だっただろう。だが彼等はかかった。男達が一様に笑う姿が見えた。
「中原さん!」
吹き飛んだ中也をナマエは撃たれた右肩を押さえながら叫ぶ様に呼んだ。彼の其の大きくは無い身体が壁にめり込み、崩れた破片がパラパラと俯いた彼へと降り注いだ。
「クソが・・っ!」
彼は口元から溢れる紅い血を拭って相手を睨み付けた。ナマエは意識のある中也に僅かに安堵するも、状況は最悪だ。
男の攻撃は中也の胸を抉る様に放たれた。其れこそナマエに向けた一撃目が威嚇程度だったと思う程に。何とか瞬時に防御し、其処に穴が空く事こそ無かったが其れでも衝撃は凄まじいものだった。
逆に云えば良く防いだものだ。あれが中也でなければ殆どの者が一撃であの世逝きだっただろう。
「!」
ナマエは中也を庇う様に彼の前へと立ち塞がった。射抜かれた右肩に連動して右半身全てが震えている。身体に穴が空くと云う事はこんなにも痛いのか、と何処か他人事の様にナマエは感じていた。だが滴る血をも掻き消す様にナマエは拳に力を込めた。
「中原さんは太宰さんと合流して」
「手前、何言ってやがる・・っ」
膝を着いたまま、中也は其の言葉に顔を顰めた。彼女の云わんとしている事が分かったからだ。
「二人が揃えば、何とかなるでしょ」
顔は見えずとも、彼女がフッと笑った気配がした。
ナマエは怪我をしたからか、さらなる危機感からか、先ほどまで散漫になっていた意識がやたらくっきりとした。此れが最後だと、思ったからかも知れない。
「太宰さんと心中したかったけど、残念」
ぽたり、ぽたりと床に其の鮮血が音を立てる。動け、動け。大丈夫、この人を逃す位の隙は作れる筈だ。一瞬、一瞬有ればこの化け物なら逃げる事くらい容易いだろう。自分に言い聞かせる様に頭の中に言葉を浮かべた。
ナマエは全神経を集中させていた。不思議と肩の痛みが和らいだ気がした。否、其処まで神経が回らなかっただけだ。目の前の明らかなる劣勢の状況に、相手の一人一人の僅かな動きに神経を注ぎ込んだ。余裕なんて、最初からなかった。
「短い間だったけど、あんたといるのも楽しかった」
不躾で口が悪くて、いつの間にか気を使う事を、恐れる事を彼に対しては忘れていた。其れこそ、自分に触れる事の出来る唯一の彼の様に。
異性の友人、何てのも悪く無いと思った。彼に云ったら上司の間違いだろうと怒られそうだけれども。
「ありがと−−中也、」
そう、振り返って笑った。彼の、少し驚いた様な空の青色の瞳と目が合った。
「早く立ってよ、その位」
「・・くだらねぇ」
「え・・?」
ナマエは俯いたままゆっくりと立ち上がる中也のその物々しい気配と言葉に思わず首だけ振り返った。
「其れが手前の遺言とでも云いてぇのかよ」
「中原さ、!」
横に立った彼の表情は伺えない。だが彼が逃げる気が無いのだけは分かった。そんな彼の名前を呼ぼうとしたが途中で彼愛用の帽子を自分の頭に被せられて言葉が遮られた。
「中也でいい」
ぶっきら棒にそう言う彼に目を瞬かせた。
「太宰と心中とか巫山戯てンのか」
−−あんな奴に渡してたまるか。
ふと胸に過ぎった感情だった。情ない。彼女が消耗してた事に気付いてやる事も出来なかった。幾ら部下が優秀だろうと上司が此れじゃ面目立たない。
(この状況も、此奴の怪我も、全部俺の所為だ。お前ならそう云うだろ、太宰)
あんな奴でも相棒だ。そして自分と同い年にも関わらずその内面は大人びた所がある。ぶん殴られても文句は云えない。だが、だからこそ其れは否定したかった。
「そんな事絶対させねぇ」
その時には中也がナマエを庇う様に敵の前へとその身を晒していた。鋭い眼光が敵を捉える。
「手前は、俺が死なさねぇよ」
今度は彼が振り返って笑った。そしてナマエが驚いた瞳を中也に向ける。其れを満足そうに見つめて、中也は敵へと視線を変えた。
「ったく、此れは使いたく無かったんだけどな」
あーあ、と一つ大袈裟なため息を吐いて中也が自身の右の手袋を外した。
「まァ、あの糞太宰もそろそろ来んだろ」
「真逆、」
中也の口振りにナマエは此処へ向かっている途中の太宰と中也の会話を思い出していた。
『まぁ、如何にも成らなかったら選択肢は一つだよ』
『チッ!やっぱりそうなるのかよ』
『当然だろう、相手は異能力集団だ。一般人だらけの敵拠点を落とすのとは訳が違う』
太宰の言葉に中也は心底嫌そうに舌打ちを漏らした。
『何の話しですか』
『ああ、ナマエちゃんはまだ知らなかったね』
問い掛けるナマエに太宰はそう云って人差し指をナマエの額に当てた。
『なーに、小さな混沌の到来だよ』
ふふ、と笑う太宰と、不機嫌極まりない中也。其れを交互に見て、ナマエは唯首を傾げた。
「ちょっと、何する気・・!?」
左の手袋を外した中也の背中に焦りを含んだナマエの声が飛んだ。そんなナマエの声に中也は振り向いて「ああ」と声を漏らした。
「どうせ使う事になる気はしてた」
彼が行きにあの話しをした時、既に其れは確信に近かった。でなければ彼があんな風に云うはずが無いからだ。気に食わない。だが信頼はしていた。でなければ相棒なんて糞みたいなモノは務まらない。
「手前は巻き込まれない様に其処にいろ」
ナマエは不安気な瞳のまま、彼に託された帽子を胸でギュッと握った。其れにフッと笑って中也は其の足を敵へと向けた。
「"汝、陰鬱なる汚濁の許容よ"」
彼が言葉を発すれば、宙に黒い球体がふわふわと現れた。ナマエは帽子を握る手に一層の力を込めて心で其の名を呼んだ。
(中也・・)
広い広い部屋が禍々しさを増していく。其の空気に敵も思わず足を竦ませた。
「"更めてわれを目覚ますことなかれ"」
そして中也の指先、身体を黒い何かが侵食して行く。床は剥がれ宙に浮き、其の背中は最早彼のモノとは思えなかった。
「全く、予定より随分と早く使ったね」
「!、太宰さん」
茫然と見つめていたナマエの肩を合流した太宰が掴んだ。
「外へ出よう。此処では巻き込まれる」
「でも!中也が!」
「!」
引き寄せられる肩にナマエは力を込めた。太宰は其れに僅かに驚いて、そしてフッと笑った。
「大丈夫だよ」
「・・分かりました」
太宰の言葉にナマエは渋々頷いて其の足を外へと向けた。ふと振り返れば一心不乱に全てを破壊して行く中也の後ろ姿が見えた。
「・・・」
そんな彼女を太宰は横目で見た。右肩に傷を負っているのが見えて「だからか」と納得した。
(にしても、)
外への道を走りながら太宰は先ほどのナマエを思い返していた。一緒にいた時まで"中原さん"と呼んでいたはずの彼女が"中也"と呼んだ。
此の短時間で何が有ったのか想像は出来たが、彼女の心の変化は予想外だった。
(やっぱり私も、君が嫌いだよ中也)
この瞳には自分しか映っていないと過信していた。今この時迄は。