「なーにニヤけてんのよ」

気持ち悪い、と先を歩いていたナマエは思考を過去へと向けていた中也の顔を覗き込んだ。

「別に対した事じゃ、って手前てめぇ今何て云った」
「気持ち悪い」
「コノヤロウ・・!」

顳かみを痙攣させる中也にナマエは即答する。中也が右手に握り拳を作れば、ナマエは「怖ーい」と思ってもいない様な声を笑いながら上げて前を向いた。

思えばあの日から自分達はこんな感じだ。齢が近いとかそう云った事もあっただろう。だけどそれ以上にお互いの前だと気楽でいられた。

周りの言葉を借りれば二人は良い意味で悪友だった。顔を合わせれば云い合う事は日常茶飯事。一度首領ボスの前でしてしまい殺気に震えた事も有る。

あの時は二人で"死んだ"と肝を冷やした。だが其れも最終的には呆れた様に笑われて終わった。

「懐かしいな」
「なんか云ったー?」
「何でもねーよ」

ふと思い出した事に思わず笑みが零れた。彼の言葉に前を歩くナマエは「変なの」と云ってまた辺りを見回し始めた。

(何時からだろうな)

彼女の其の色めいた瞳が自分に向けられれば良いと思い出したのは。否、其れは屹度きっと初めて彼女の手を引いて、其の哀しみの塊みたいな瞳を見た時に始まっていたのかも知れない。

でも、何年も其れを自覚出来ずにいた。そして、其れを自覚したその時の事は今でもハッキリ覚えている。忘れ様にも忘れられない。

其れは彼の、誓いの日。



****



「はああああああ」

対敵拠点にて、二手に分かれた三人はそれぞれ別ルートで浸入していた。

「うるせぇ女だな。ため息くらい飲み込め」

この頃ナマエ、中也、太宰の三人での任務はお決まりになっていた。始めの頃は勉強という名の実戦に過ぎなかったが、何かと仲の良いのか悪いのか分からない二人の補佐マネージャーを云い遣わされていた。

だがナマエは思った。自分からしたら中也と差して仲が良い訳ではない。見るからに。其れに加え補佐が必要な二人だとも思えない。彼等は戦闘と成ればポートマフィア一と云っても過言では無い破壊力を秘めていたから。

其れはここ数年勉強という事で同行させて貰った彼女が一番身に染みていて、未だ未だ素人の彼女から見てもそれは明らかだった。なのに何故自分がこの役を首領ボスから言い渡されたのか、疑問はあった。

だが彼と居られるなら幸運ラッキーだと思った。自分が唯一何も心配せずに傍に寄り添える彼と歩けるなら。

そして何時からか、中也とナマエが攻撃人アタッカー、太宰が作戦立案、隠密行動と分類された。ナマエは攻撃人アタッカーと云っても飽く迄援護サポーターだ。

彼女の異能力は威力は完成済みだが制御などの点を見ても未だ未完成。だがどんな異能力者だろうと彼女の体格の二倍三倍の強者だろうと触れれば勝ち。其れはポートマフィアに取っては途轍もない戦力になった。

だが逆に触れられなければ意味はない。彼女には途方に暮れそうになる程過密な体術の訓練が与えられていた。だが苦ではなかった。何せ訓練の相手は太宰を於いて行えない。彼女がそれを身に付けるのは周りの予想を遥かに上回って早かった。

だが彼女の能力は其れだけではなかった。

「風野郎はまた"散歩"か」

中也の言葉にナマエは「うーん」と煮え切らない返事を返す。

「さっき迄いたんだけどねぇ」

彼女のため息の原因でもある彼女に纏う風−−疾風はやてだ。

彼女が彼に生を与えたのは父を亡くし亡霊の様に毎日を送っていた時だった。庭で徐ろに手を掲げていた。家族を亡くした全ての原因が此処に在るのだと思うと、何度も切り落としてしまおうかと思った。

だがそうなると身体全てを刻まなくてはいけない事になる。少し想像して辞めた。出来る気がしなかったからだ。

正直、父を目の前で失っても半信半疑だった。自分の所為だと云う頭がその時は未だ無かったからだ。だからその後彼女は一種の"実験"をした。

先ず家にあった物に触れた。消えた物は何も無い。次は植物と動物だ。何方も駄目だった。触れた三秒後に何方も散り散りになってしまった。

如何やらこの異能力は"命"に反応する様だった。少なからず生きている物。流石に人では試せなかった。否、試すまでも無かった。

現に目の前で父親を殺しているのだから。

そんな時、突風が吹いた。ナマエの髪を舞い上がらせ、開け放ったままの窓がガタガタと音を立てた。だが彼女はその手を下さなかった。

何でもいい。誰でも良い。−−この手を掴んで。

切実な願いだった。そんな事をしても誰も掴んでくれない事は分かっていた。でもそうせずには居られなかった。

途端、彼女の掲げた腕に風が纏った。時計回りに腕を這い、身体を這って頬を撫でた。驚いて目を見開けば其れは優しくナマエの全身を包み込んだ。

「くすぐったい」

父を亡くして、初めて口にした言葉だった。

まるで生きているかの様に動く其れを彼女は疾風はやてと名付けた。だがこの頃の彼は生を受けてはしゃいでいる子供の様に色々な所を駆け巡っていた。

其れは彼女がマフィアになった後も変わらなかった。此方の言葉は通じている様な気もしなくも無いが、相手の声が聞こえる訳では無い。

彼女の異能力の訓練は専ら疾風の制御だった。まともに出来た試しは無いが。太宰は疾風についてこう云った。「君が奪った命が彼と成って君の傍に居るのかもね」と。

正直驚いた。疾風を得た当時、彼女が殺したのはその家族。彼なりの慰めに過ぎないのかも知れない。それでもナマエは一つ涙を零さずには居られなかった。まるで命を奪ってしまった家族達は、君を責めては居ないだろう、と云われている気がしたからだ。

だが太宰がそう云ったのは其れほど疾風に関しては説明が出来ないモノだったのだろうと思った。と云うか此の時は自分の能力で生まれた物がすら正直怪しかった程だ。

そして灰化に関しても太宰が調べを受け持った。発動条件としては肌が触れ合う事。データ的には服の上からならば触れる事が出来ると云う結果も出たが、矢張り不意の事故を恐れてナマエは他人との接触を断った。

「居ないモノは仕方ねぇだろ、俺達で行くぞ」
「・・了解」

そして二人は正面からその対敵拠点の建物へと足を踏み入れた。

「油断するんじゃねぇぞ。相手は異能力者の集まりだ」
「其れが出来る程慣れてないけど」

そう、此処は異能力集団の対敵拠点だ。近頃抗争が悪化して来た此処を壊滅させる為に彼等は送り込まれた。

「仕事、此れは・・私の仕事」

まるで自分に云い聞かせる様にナマエは呟く。其れを中也は横目で見て聞いていた。彼女は殺しの任務になると決まってそう呟いていた。

初めて殺したのはマフィアになってから半年後だった。拳銃で殺した。マフィアここにいる為だ。そう思うと其れが正当化された様な気がした。胸の奥が小さく騒ついたが、気付かない振りをした。

だが彼女が銃を使ったのは後にも先にもこの一度切りだけだった。能力を使いたく無かった。だがどうせ殺すのなら、痛みの無い方が良いと思い直したからだ。

「・・居たぞ」

柱の影に隠れて廊下の先に三人の姿を確認した。中也の言葉にナマエは無言で頷く。

「異能力を使われる前に殺す、何せ未だ未だ敵は五万といるからな」
「了解」

そしてナマエの返事を聞いて中也が走り出す。その後を追ってナマエも走った。

「浸入、しゃ」
「先ず一人」

中也が走った勢いそのままに一人の胸へとその手を突き立てた。

「奇襲か!、!?」
「・・二人」

ナマエもその先にいた一人の肩に手を掛け、その身体がフワリと宙を舞った。その間片手で首をなぞり男の後ろへと膝を着いて着地したと同時にその者は灰と化した。

「糞・・!」
「おせーよ」

そしてナマエを飛び越える様にして中也が三人目へと迫り、息の根を止めた。

「まァこんなモンか」
「下っ端だろーね」

ナマエの言葉に中也は「ああ」と自身の服を叩きながら云った。

「次はもっと愉しませてくれる奴だといーけどな」
「・・猫じゃらしでも買って来ようか」
「おい、そりゃ誰に使う気だ」
「勿論おま、・・中原さんです」
「手前今お前って云い掛けやがったな!」

そんなやり取りに思わず声を上げる中也にナマエは「馬鹿!シー!」と人差し指を立てた。

「誰だ!」

だが時すでに遅く、次々と人が集まって来て二人はあっという間に囲まれてしまった。

「ちょっと!何してくれてんのよ中原さん!」
「手前の所為だろうが!」
「責任転嫁か!女々しいな中原さん!」
「手前!中原さんって付けときゃ赦されると思ってんのか!」

敵の中心に居るにも関わらずそんな云い合いをする二人に敵も呆れた様に笑った。

「餓鬼が来るじゃねーぞ」
「まぁ、もう帰れねーけどな」

泣いて許しを乞え、だなんて云い出す輩に二人は思わず黙り込んだ。

「仲良く死にな」

そう言って一人の男が背後からナマエの首に手を伸ばした。

「っ、」

一瞬にして空気を遮断されナマエは顔を顰める。

「・・っとに、此れだから野蛮な奴は嫌い」
「同感だな。まるで品がねぇ」

解放された首を摩りながらナマエが呟き、中也は其れを肯定した。彼女の背後で灰が舞い上がり、二人を囲んで笑っていた奴らは顔色を瞬時に変えた。

「異能力者か・・!」
「じゃなきゃこんな所に身一つで来る訳ないだろ」
「本当馬鹿。誰かさんみたい」
「そりゃ誰の事だ」
「勿論、」

ナマエが其処まで云った所で敵が走り出す。

「あんたしかいないでしょ」
「手前、本気マジで後で覚えとけよ」
「生きてたらね!」
「ハッ!上等だ!」

二人もその黒の外套コートを靡かせて戦闘態勢へと入った。