突き抜ける程に澄んだ蒼空に神の賛辞を求めるかの様なオルガンの音色と世界に響き渡るソプラノの歌声が吸い込まれる様に上昇して行く。

 小脇に抱えた九十九本もの薔薇の香りが鼻先を掠め、建物の頂に君臨する十字架がこんな俺に慈悲を与えようと優しく輝く。皮肉にも、文句の付けようのない程の祝賀日和だ。

 あの神聖な場所も、計算された天気も、煌めくステンドグラスも、凡ては純白のウエディングドレスをその身に纏い、華やかなブーケを携えた彼奴の装飾品に成り下がる。其の中で笑う彼奴は誰もが羨む神よりも、誰もが愛しむ聖母よりも尊く、美しいのだろう。

 だがそんな彼奴の隣に居るのは俺じゃない。俺の知らない、彼奴の愛する男だ。其れなのに俺は、彼奴への想いを今も壊れそうな程大切に握り締めている。この花束が何よりの証拠だ。

「何やってんだ、俺は」

 こんな処にこんなモノを持って、一体俺は彼奴に何を云う心積りだったのかと自嘲して我に返る。とてもじゃないが「おめでとう」だなんて祝辞は渡せそうにない。ずっと想いを募らせていた心が苦し紛れの抵抗をする。そんな事をしても、傷付くのは俺自身だと云うのに。

 だが元よりマフィアの俺と一般人の彼奴がどうこう成れるとは思っていない。だからこそ、彼奴に何も伝えずに今日と云う最悪の日を迎えてしまった。

「...帰るか」

 踵を返す様に眩しい世界に背を向けた。忘れよう、所詮住む世界が違ったのだと割り切ればいいだけの話だ。彼奴と過ごしたなんて事ない時間を丸めてこの場に棄てて仕舞えばいい。一歩二歩、歩く度に彼奴の笑顔、声、思い出がポロポロと掌から堕ちて行く音がした。

「中也!」

 だが背後から今し方棄てたばかりの声がした。嗚呼、と吐息が漏れ驚きに任せて振り返った事を瞬時に後悔した。揺れる髪と白い布。駆け寄ってくるその笑みは俺が見て来た彼女を塗り替え、眩し過ぎて眩暈さえ起こしてしまいそうだ。

「来てくれないかと思った」

 肩でしていた息を整え、僅かに溢れた髪を耳に掛ける仕草に目を奪われる。心で諦めに似た舌打ちをする。あと少し、あと少しだったんだ。此奴の凡てを、此奴への想い凡てを、あと少しで。

「仕事の合間に寄った。長居は出来ねぇ」

 悪ィな、と呟けばナマエは少し寂しそうに「そっか」とだけ云った。

(こりゃ、忘れられそうにねぇな)

 そう思わずには居られなかった。否、いっそのこと此の儘連れ去ってしまおうか。好きだと云って、傍に居ろと手を引いて、其の純白のドレスを靡かせ此の漆黒の腕に抱き寄せたい衝動に駆られる。

「ナマエ、」

 困らせたい訳じゃ無い。だけどせめて、此の行き場の無くなってしまった気持ちを、想いを口にしたくて名前を呼んだ。

「俺は」

 花束を持つ手に力が入る。なんで、云わなかったんだ俺は。もっと、もっと前から、ずっと、ずっと前から判ってた気持ちの筈なのに。

「中、也」

 思いっ切り花束を引き抜いた。自分に対する苛立ちに任せて。九十九本分の花弁が俺達の間を走り、ナマエの背後へと舞い上がっていく其の中で、目を見開くナマエへ微笑んだ。

「手前の幸せを願ってる。いつまでもな」

 俺はそう自らに永遠に続く呪いをかけて、ナマエに最初で最期の嘘を吐いた。ナマエはただ静かに、涙を堪えながら頷いた。

「ほら、さっさと行け。待たせてんだろ」

 フッと一つ笑ってそう促す。俺に背を向けたナマエの後ろ姿を、作り笑いの消えた表情で見つめた。まだ微かに残った花弁が俺の涙の跡の様に地面に張り付いている。

「...愛してる。屹度、ずっと」

 そう呟いて背を向けた。俺の住む、暗闇に向かって歩き出す。もう何もかも掌から溢れてはくれなかった。溢れたのは棘が刺さり傷付いた事によって流れる紅だけ。だが、だからこそ

「さよならだ」

 伝う紅と想いを握り締め、愛しい君よ、永遠に。



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薔薇の九十九本は「永遠の愛。ずっと好きだった」だそうです。





欺く世界で笑う