背を向けた彼女に寄り添う様に身体を密着させる。俺の腕は彼女の首の下を通り、その手で髪を撫でた。
未だ眠る彼女の口から小さな声が漏れる。以前なら職業柄か、それだけで飛び起きていたのに今はその気配すらない。
そんな彼女に一つ笑みを零して上体を少し上げ頬に口付けを落とす。俺が此奴に愛を囁く迄のカウントダウンを心の中で始めた。
愛と呼ぶ狡猾さ 禄
「おい、そろそろ起きろ」
髪を撫でながら耳元でそう囁く。だが矢張り彼女のその瞳が開く事はない。これは安心仕切っているからか?と都合良く考えて思わず笑みが漏れる。
だがそこそこいい時間だ。このままにしてやりたいのは山々だが遅刻なんてモノは俺の信念や美徳に反する。
仕方無く俺は名前の耳元に口付けをする。すると此奴から小さくも甘い声が漏れて少し後悔した。俺は意に反してリップ音を響かせながら口付けを繰り返し、形に沿って舌を這わせる。ピクン、と名前の肩が跳ねた。
「う、ん...」
名前が起きた気配がした。目覚めたばかりだと云うのに僅かに火照った身体に疑問を抱いている様な声だった。だが俺は構わずにそこを責め続けた。
「ん!ちょ、中也...さん!」
何してるんですか、と名前が振り返って俺から距離を取ろうと腕を伸ばす。
「手前が中々起きねえのが悪い」
「は!?」
その腕を掴んで名前の後頭部を引き寄せ口付けを交わす。朝に不釣り合いな程深いそれに身体の中心が熱を持つ。
「それに、二人の時はそうじゃねぇだろ?」
「...っ」
俺の言葉に名前は細めていた目を鋭くする。だが濡れたその瞳で睨まれ様とも俺を煽るだけだと此奴は知らない。
「中也さん、時間...!」
「なんだよ、命令無視か?」
「云ってる事が無茶苦茶!」
内股に這わせた手に名前が顔を背けその刺激に耐える様に表情を歪める。そんな名前に俺の口角は上がりっぱなしだった。それも此奴が顔を歪める原因の一つだろう。俺はそれを知っていて尚止めようとはしなかった。
「...いってらっしゃい、中也」
事を終えて支度をし、玄関にてぶっきら棒にそう云う。厭々云っているのを隠しもしない名前に一つ笑った。
どうやら今日此奴は非番らしい。つまらねえなとも思ったが家の鍵を無理矢理渡し「手前が居なきゃ俺は家に入れねぇからな」と云えば名前はその表情を更に険しくしたのは数分前の話しだ。
俺は上機嫌に名前に一つ触れるだけの口付けをして「イイ子にしてろよ」なんて冗談半分で云えば「上司命令とあらば」なんて不機嫌極まりない連れない言葉が返って来た。
そんな名前に笑みを零して俺は家を出た。ここ数日間で彼奴の仮面がボロボロと音を立てて剥がれ落ちて行くのが愉しくて堪らない。
何時も悠々として妖しい笑みを浮かべていた彼奴は最早俺の前には居ない。その事が途轍もなく俺に優越感を与えていた。
恐らく屹度名前はもう俺以外とは寝れないだろう。パーティー会場での任務の日からそう云う抱き方をして来た。愛のない行為なんて二度と出来ない身体へと仕向けた。
厭でも口角が上がった。そう、俺は今日名前に云う。この行為の理由を、訳を、俺の言葉で彼奴に囁いてやる。
否定なんてさせやしねえ。出来ないのは名前の身体が一番良く判っているはずだ。俺は足早に本部へと向かい仕事を始めた。夜が待ち遠しくて仕方無かった。
◇
「此れであちら側もうちの傘下に入る事を了承しました」
「うん、素晴らしい戦果だ」
最後の任務の報告を首領に告げれば首領は微笑んでそう云った。それに俺は「ありがとうございます」と頭を下げる。
「流石中也君だね。君に任せた名前君も上手い事コントロールしてくれている様だし」
「いえ、」
助かるよ、と云う首領に俺は内心「当然だ」と呟く。笑いたくなるのを必死に堪えて俺はもう一度礼を云った。
「ああそうだ。今臨時で名前君に任務に行って貰ってるよ」
だが次の首領の言葉に心臓が飛び跳ねるのを感じた。思わず一瞬目を見開いて首領を見る。
「ちょうど皆出払ってしまっていてね。非番の処申し訳なかったのだけど彼女しか空いて居なかったんだよ」
「...そうですか。因みにその任務は」
「と有る御仁の暗殺だ」
彼女の得意分野だろう?と首を傾ける首領に心で舌打ちをした。
「報告は」
「まだだよ」
「書類は有りますか」
俺の言葉に首領は引き出しを開けて幾つかの書類の中から「これだよ」と一枚の紙を掲げた。俺は素早く首領の元まで行きそれを受け取る。目を通せば思わず眉間に皺が寄った。
「ありがとうございます。俺はこれで失礼します」
「ああ、ご苦労様」
そして足早に首領の執務室を後にする。だから首領の「何か不味かったかな」なんて呟きは俺の耳には届かなかった。
執務室を出て直ぐに名前の携帯に連絡を入れた。だが電源を切っていて繋がらない。それに今度は音にして舌打ちをする。
首領から受け取った書類に書かれていたホテルへと車を走らせる。苛立ちと焦りに俺はアクセルを思いっきり踏み込んだ。
名前のターゲットは裏組織の幹部だ。素行の悪い女好きだと書類には書かれていた。確かに首領の云う通り彼奴の得意分野だ。
だがそれは以前の名前の話しだ。今の彼奴に前と同じ様な殺し方が出来るのか正直不安な処だった。だがそれ以上にその殺し方を俺がさせたくはなかった。
冷酷非道なポートマフィアの上司としては失格だ。俺はそれを出来ない様に仕向けたのだから。行為をしながら殺す事が出来るなら今日に限ってはまだ仕方がない。傷が付くのは俺の心だけだ。
だがもし名前がそれを出来なかったら?相手は一般人じゃない。小さな組織とは云え幹部相手だ。異能が使えない彼奴が無傷で敵を殺せる保証はなかった。
それに彼奴は俺の下に来る前は銃を持ち歩かなかった。何故ならどうせ凡て脱ぐからだ。身体の何処かに銃を忍ばせればその時点で殺しがバレるリスクが高まる。と成れば名前は武器も無い事になる。最悪のケースが俺の頭を過ぎった。
「!」
もう少しで目的のホテルに着く。そんな時俺の携帯が鳴り響いた。画面に出た名前に俺は急いでそれを耳に当てた。
「手前今何処にいる」
『中也、さん...』
電話越しに聞こえた苦しそうな名前の声に俺はハンドルを持つ手がギリッと音を立てた。
「何処にいるって訊いてんだよ」
苛立ちに口調がキツくなる。同じ言葉を繰り返して俺は名前からの返答を待った。
『ホテルの、裏道です』
「直ぐに行くから其処から動くんじゃねぇ」
『...判りました』
俺は電話を切り乱暴に助手席へと投げ付ける。もう目的のホテルは目の前だ。恐らく名前は裏口から逃げたのだろう。適当に路駐をして俺は走り出した。
その姿は直ぐに見付かった。裏路地に座り込むのは其処に不釣り合いの色だったからだ。
「名前!」
その人物の名前を呼んで駆け寄り肩に手を掛ければ俯いていた顔がゆっくりと俺を見詰めた。
「...やってくれましたね、中也さん」
はは、と乾いた笑いを零して名前はまた俯く。少し見えた彼女は見た事もない程蒼白で弱々しい。
「怪我してんのか」
俺は名前の言葉を理解する前にそう声を掛けた。此奴は俺の問い掛けに小さく首を横に振り、それに俺はようやく肩の力が抜けた。
「...ターゲットは」
「殺しましたよ」
相手が銃を持ってて良かった、と名前は顔を上げ背後の壁に後頭部を押し付け息を吐いた。
「手前、真逆」
俺の言葉に名前はフッと鼻で笑った。
「本当真逆ですよ。これじゃあ私は本格的に貴方なしでは任務も出来ない」
名前の言葉に目を見開く。矢張り名前の異能は発動しなかった。それに
「貴方以外に触れられる事がこんなに気持ち悪いものだなんて」
そんな言葉を吐く名前を俺は横抱きに抱えて立ち上がった。それに此奴は抵抗も反論もしない。
「遅えんだよ、気付くのが」
バカヤロウ、と呟けば名前は笑った。
「取り敢えず、吐き気が止まらないんで消毒でもして貰えますかね」
「ったく、世話の掛かる部下だな」
フッと笑ってそう云えば名前は俺の胸に頬を寄せた。
「矢っ張り貴方には敵いませんね」
「当たり前だ」
俺を誰だと思ってんだよ、と云えば「本当ムカつきます」と生意気な言葉が返って来た。
「...名前、」
「何ですか」
俺は一つ名前を呼んで俺の腕の中で目を閉じた名前の耳に顔を寄せた。
「俺は手前に惚れてんだよ。そして手前も俺に惚れてる」
囁いた俺の言葉に名前は一瞬驚き、それでも口角を上げて腕を俺の首へと回した。
「そうみたいですね。今知りました」
「だから遅えんだよ」
名前らしい返事に俺はフッと笑ってそう云った。それに此奴は俺の首元に顔を埋める。
「手前は俺のもんだ。判ったな」
「...貴方のご命令とあらば」
その囁きは愛と呼ぶには狡猾で、それでも俺達にお似合いの互いに向けた最上級の愛の言葉だった。
【完】