「−−・・、」

 朝目を覚ました。自分の部屋ではないのは直ぐに判った。腹部に掛かる重みに首を持ち上げて振り返れば私の背にピッタリと密着したまま眠り続ける上司がいた。

 何時もならば面白がって写真でも撮って上司の弱味リストに付け加えるだけれど、そんな気は微塵も起きなかった。何故ならそれが弱味にならない気がしたからだ。

 パーティー会場に居た時までは普段通りだった筈の彼の変化に隣に居たはずなのにこれっぽっちも判らなかったのが不思議で仕方ない。車で見た笑み、そして私を膝に跨らせて見下ろした彼の微笑みとも取れる笑いに戸惑ってる。

 ほら、今だってベッドを抜け出そうとした私の身体を無言で繋ぎ止めて引き寄せている。そんな事今まで無かったのに。



愛と呼ぶ狡猾さ 参





 私は本部の異能訓練施設へと一人足を運んでいた。ある人物と今日此処で落ち合う約束をしていたのだ。何重ものセキュリティを通過して動く歩道に足を乗せる。暫く景色は変わらず無機質な壁と天井が一体となって頭上で弧を描いている。

 朝と云う事もあり人は少ない。すれ違うのは警備に当てられた下級構成員。それは私に頭を下げて立ち止まり通り過ぎるのを待つ。五大幹部でもない私にそんな事をする理由は目を合わせない様にする為だろう。

 風の噂だ。私と目が合った奴は殺られるかヤラれるか。なんて失礼なものだろうか。私にだって気分があるし年中発情期と云う訳では無い。普段だったら好みもあるし節操だってある。

 唯、欲情と高揚、快感、その範囲が人より少し広く、個々に分別されるはずのそれ等が一塊なだけだ。そしてそれに一度火が付けば自分で制御が効かない。

 まぁだから黒蜥蜴から名目上は昇進扱いで今の上司の元へと移動になった。だが実際の内情は左遷され監視対象にされたに過ぎない。どうてもいい事だが。

 何もせずとも動くそこを抜け一つの自動扉を潜れば、コツンと自分の足音が鳴った。目的の場所にようやく到着したのだ。その部屋をぐるっと見回せば直径百米程の円形になっている。そしてその壁は何メートルあるか判らない分厚い石壁になっていてその空間はヒンヤリとさえしていた。

「遅かったな」

 私の足音に気付いたその空間の中心に居る二人の影の内、黒い外套を羽織った青年がコホッと一つ咳払いをしてそう云った。

「あー...ごめんごめん」

 私は視線を逸らして僅かに顔を顰めた。遅れた理由が言葉の通り上司に捕まっていたから、なんて言葉はとてもじゃ無いが云えそうにない。

 そんな私に目の前の青年−−芥川龍之介は小さく首を傾げた。彼も一応目上の者に当たるのだが私達はこのポートマフィアに来た時期が近い。

 詰まり同期だ。黒蜥蜴に配属されていたという事もありよく二人で訓練と云う名の殺し合いを良くしていた。他でもない、この場所で。

「そっちも久しぶりね、樋口」
「お久しぶりです、名前さん」

 芥川と並ぶ金髪の彼女にそう云えば樋口はそう云って小さく頭を小さく下げた。湧き出る警戒心に思わず口角が上がる。彼女は私が嫌いなのだ。

 まぁそれはそうだろう。彼女が好意を寄せる相手と私はこれから殺し合いをするのだから。その末路は大体第三者の仲裁無くしては止まらない。芥川も戦闘に関して言えば私と変わらないのだ。

 暴れ出したら止まらない。独断専攻の彼と私を黒蜥蜴と云う襲撃部隊は押え付け、管理する事が出来なかった。その事は芥川直属の部下である彼女はよく知っている。私の異能も、そして性癖も。

「それじゃあ始めようか」
「ああ」

 私の言葉に芥川は小さく頷く。それに合わせて樋口は不本意そうに入口に近い壁まで下がって行った。そして私達は笑い合う。この先の殺し合いに高揚しているのだ。不思議と彼と戦う時に限り私は何もせずとも異能が使えた。

 その高揚が欲情となって私を昂らせるのだ。つまり、私はそう云う女だ。殺しの快感もセックスの快感も同義。その間に境はない。

「私から行こうかな」
「好きにしろ」

 芥川の言葉に私は思わず笑みを零す。そして手の平を石で出来た地面へと当てた。

「相変わらずだな」

 地面から次々と現れた同質の塊が私の前に浮かび上がる。それは一つ一つが直径一米はある。当たれば骨折どころか骨が粉砕されるレベルだ。

 私の異能は遠い昔に合ったと云われる錬金術に近い。触れた物と同物質の様々な形のモノを作り上げる事が出来る。だが錬金術と違う処は等価交換ではない事。だから石の塊が現れようと地面には傷一つ付いてはいない。

 異能を使えば気力が奪われると云う点では異能自体が等価交換と云えるかも知れないが今の論点はそこではない。

 異能に目覚めた時こそ小さな塊が浮かび上がるだけで形も歪だったが今では私が一度見た物であれば作れるし、その数も当初とは比べ物にならない程多くなった。

 そのえげつなさ、訓練では無く殺し合いの為のそれに芥川はそう云って口元だけ笑った。

「直ぐに死なないでよ?」
「愚問だ」

 芥川の言葉に私は指を一つ鳴らした。開戦の合図だ。瞬間、私の作った塊がその大きさに似合わない速さで芥川へと降り注ぐ。地面へと叩きつけられたそれは衝撃に依って砕け土煙が僅かに舞った。

「ふふ、そう来なくちゃ」

 私はそう云って笑った。芥川はそれを凡て避け、上空から彼の異能である羅生門を私に目掛けて放ったからだ。それを後転して避けスカートの下に着けた銃を取り出し落下して来る芥川に放った。

「そんな物は通用しない事は知っているだろう」
「そうね、でも...数打ちゃ当たるって云うでしょ?」
「!」

 何処からともなく現れる拳銃に芥川は目を見開く。まるでマシンガンでも放ったかの様な発砲音と火薬の煙にその空間の見通しが絶たれた。私は一つ笑みを零さずには居られなかった。火薬の臭いの中に、血の臭いを感じたからだ。

「流石だ」
「!」

 聞こえた声に目線を向けた。一米先は見えない状態で僅かに彼が発動時に走る赤い閃光を見た。

「っ、!!」

 視界が悪い中、容赦なく彼の飼い慣らした獣が私を襲った。咄嗟に避けたが無傷、と云う訳には流石にいかなかった。

「ふふ...っ」

 負傷した腕に目もくれず私は立ち上がった。

「あはは!矢っ張り最高だよ芥川!!」

 視界の戻ったそこで私は頭に手を当てて天を仰いでそう笑い声を上げた。身体が震えた。恐怖じゃない、私は今楽しくて仕方が無いのだ。そう、こうしている間にも平然と刃を向ける彼のその残忍さが大好きだ。

 再び地面に手を当てて石壁を自分の目の前に作り出す。それは芥川の攻撃を受け止める。そしてそれを予知していた他の獣が石壁を避けて背後から私に襲い掛かる。見えずとも芥川が咳を一つして抑えた手の平の隙間から笑うのが判った。

「.....」

 激しい爆発音の様な音が響き渡った。芥川は終わった、と思った。衝撃で再び視界が悪くなる。石素材で出来た訓練所とは些か不便だ。とこうなる度に思わずには居られない。

「ふふふ」
「!」

 視界が晴れた頃、音の発生地からそんな声が聞こえて芥川は目を見開く。

「流石に危なかった、と云いたいところだけどね」
「...っ」
「あんたの攻撃は分かり易い」

 私が対策をしてないと思った?と笑えば芥川は僅かに表情を歪め、私を睨み付けた。

「来る時に梶井がくれたの」

 私の手にある物、それは梶井基次郎の檸檬爆弾だ。私は背後の羅生門にこれを当てて難を逃れた。そこ迄は予想通りだった。

「でもこれ意外と威力あるのね、服が焼けちゃった」

 上に来ていた物の後ろの布は殆ど無くなり僅かに赤くなった背中が顔を出し少し身体が傾いていたからか右側の袖から鎖骨辺りまでが焼け焦げてしまった。

 下着までもを焼いていた為胸は辛うじて見えていないとは云えそこに布は一切ありはしない。だが私は隠す素振りも見せずに口角を上げた。

「続き、しようか?」

 私の背後に浮かんだ手の平の中のそれと同じ物に芥川は奥歯を噛み締めた。爆弾如きでどうなる訳でもない。だが此処は訓練所。この狭い空間で之を一気に放てば唯では済まない。芥川も、そして私のも。

 それは重々承知だ。だから私は監視下になんて置かれるのだ、と自分自身に自嘲した。

「樋口、ねぇ...芥川殺ってもいい?」

 ふと爆弾を浮かせたまま飛ばされそうな身体を必死にその場に留まらせていた樋口へと視線を向けた。

 私の視線に樋口の表情が一瞬引き攣る。だが直ぐに私をキッと睨み付けた。それは芥川のそれによく似ていて思わず笑った。

「なら、仲良く三人でイこうか!!」

 感高い声を上げて私は手を振り上げた。その時だった。

「随分派手にやってんじゃねぇか」

 カツン、カツン、とその足音は気後れする事もなく迷いなく此方へと近付いて来る。それに私は手を振り下げる事なくその人物を視界に入れた。

「良いタイミングですね、中也さん」
「そうみてぇだな」

 もう既にその時私に理性なんてモノは無かった。目の前に上司が現れようとも恐れる事も何もない。狂った殺人者。なんて恍惚とする響きだろうか。

「なら四人で逝きましょうか」

 私は上空に放ってあった爆弾を手を振り下ろして落下させた。激しい爆発に視界が覆われ熱と衝撃が身体を襲う、はずだった。

「...何してくれるんです?」

 私達の足元に落ちるはずだった物。それは一人の男に依って凡て空高く、若しくは壁に衝突させられ本来訪れるであろう衝撃は皆無に近かった。

 私はイキそびれた事に顔を顰めて自らの上司を睨み付けた。夥しい殺気に樋口は震える身体を必死に押さえ込む。

「樋口、芥川を医務室へ連れてけ」
「中也さん、僕はまだ」
「お開きだって云ってんだよ」

 彼の言葉と殺気に芥川は云いかけた言葉を飲み込んで樋口と共にその場を後にした。

「邪魔するなんて酷いじゃないですか」

 もう少しで殺せたのに、と呟く私に中也さんは二人が訓練所を後にしたのを確認してから私へと身体を向けた。

「勿論、相手してくれるんですよね?」

 私はそう笑って銃口を彼へと向けた。向けられた銃口は勿論一つではない。

「面倒な部下だ」
「それはどうも」

 帽子に手を当てた彼が瞬間的に迫って来る。それに私は一つ舌打ちをした。自分もそれなりに体術は習得しているがポートマフィア一二を争う彼のそれに適うはずがない。その上自分の異能は遠距離型。彼の異能は近距離型。相性の悪さは否めなかった。

「おら、如何した。それだけか?」
「...っ!」

 彼の拳に背後へと吹き飛ばされる。何とか衝撃は軽減させたが二撃目が直ぐに迫っていた。石壁を作ろうと屈んでいる暇はない。

「!」
「ふふ、ふふふ」

 だが彼の拳は私が作り出した石壁へとめり込んでいた。それに私は笑わずには居られなかった。

「貴方のお陰で私はまた強くなりましたよ!」
「...そりゃ良かったな」

 私は咄嗟に足先に力を込めた。そうすれば手の平に触れなければ出来なかったそれが出来たのだ。ゾクゾクとした感覚が私を襲う。殺し合いをしているのに彼と身体を重ねている時の様な気分だった。

 だが彼が力を込めればその石壁は簡単に砕けた。硬度や強度が調整出来ないのは万能なこの力の短所でもあった。劣勢は変わらない。

「ほら、捕まえたぜ?」

 散々攻防を繰り返したが矢張り適うはずもなく彼に腕を取られてしまった。私は顔を顰め腕を振りほどこうと力を込めてもビクともしない。それに一つ溜め息を付いて彼を見詰めた。

「仕方ないですね、今日はここ迄にしますよ」
「なんだ、随分聞き分けがいいんだな」

 そんな彼の言葉にフッと笑って彼の胸へと手を当てた。

「当然です、上司命令ですから」

 頬を撫でて唇を寄せれば、彼もその目を細めた。

「!」
「...ふふ、」
「手前...!」

 だが違和感を感じたのだろう。それは私が彼の服に隠し持った短刀に触れたのとほぼ同時にだった。その瞬間私達の頭上に現れる無数の刃。彼の青ざめた顔が何とも私の性欲を掻き立てた。

「正気かよ...」
「貴方と私の血が混ざったら何色になるんですかね」

 その身体をうっとりとした目で抱き締めてそう口角を上げた。

「楽しみですよ」

 私がそう云えばその刃は躊躇うことなく私達に降り注いだ。

「...まぁ、こうなる気はしてました」

 彼に抱き抱えられて見た先には地面を抉るように突き刺さった刃物があった。先程まで私の達が立っていた場所だ。私があっけらかんとそう云えば彼は心底疲れた様に溜め息を吐く。

「!」

 だが次の瞬間彼は口角を上げた。何か私にとっては宜しくは無いであろう事を閃いた様な、そんな黒い笑顔だった。

「...逃がさねぇよ」

 咄嗟に距離を取ろうとした私の腕を彼は掴んでそう云った。何時もなら喜ぶ処だが昨日から様子のおかしい彼に私は嫌な予感しかしなかった。

「お仕置きだな」

 彼は大層楽しそうにその口角を上げてそう云った。