はぁ、と俺は心でため息を吐く。やっちまった。事後思った言葉はそれだけだった。仮にも任務中な上に俺は名前のお目付け役の五大幹部だ。

 なのに有ろう事か俺から吹っ掛けた。オマケにまるで独占欲を匂わせる様な言葉まで吐いた。何を考えてんだ俺は。手前の部下、しかも問題児相手に、だ。

 つくづく名前を求める自分の身体に嫌気がさす。そしてそれは身体だけに留まらなくなっている事も俺を苛立たせる要因となった。



愛と呼ぶ狡猾さ 弐





 事を終えた俺達は少しざわつき始めた会場を足早に後にした。俺の愛車に乗り込んで一つ息を吐く。もう少し遅かったら警備の奴らに会場へと閉じ込められる所だった。

 改めて自分のした事に嫌悪感を抱かずには居られない。上まで止められていたシャツのボタンを二つ三つ外してそんな感情を紛らわす様に音楽を掛けた。

「おい」

 ふと横で後ろの席に置いて合った検問対策で用意して置いたスーツの着替えを取る名前に俺は声を掛ける。夜とは云え助手席で平然と着替え始める此方は「何ですか」と俺の顔も見ずに応えた。

「二人殺されたってどう云う事だ」

 それは会場を後にする時に聞こえて来た情報だった。それに名前は「ああ、そう云えば云ってませんでしたね」と悪びれる様子なく云う。

「ターゲットとヤッてた女性です」

 恐らく娼婦でしょう、と名前は云った。それに俺の頭の中は混乱する。一体どう云う事だ、と。問題は殺されていた人数じゃない。何人殺したなんて事を俺にとってはどうでもいい事だ。

「手前が男とヤッてたんじゃねぇのかよ」
「私?」

 俺の言葉に名前は何の事だとでも云いたげに首を傾げる。そうしたいのは此方の方だ。

「私がする訳無いじゃないですか、その後中也さんとするのに」

 恥ずかしげも無く云った名前の言葉に過剰に反応してしまいそうになるのを堪えた。だが、なら話しがおかしい。

「でも手前は咥えただの下半身が痛いだの云ってたじゃねぇか」
「死んだ彼女が、です」
「は?」

 名前の言葉にイマイチ理解が追い付かない。そんな俺に此方は一つため息を吐いて言葉を続けた。

「部屋に入ったら娼婦と事を始めていて、彼女の表情からそう思っただけです」

 詰まりは男のを咥えてたのも挿れられてたのも名前じゃなく娼婦の女で、それを見ていた此奴は女の感情が伝染して不愉快になり更には下半身の痛みまでも伝わって来て殺した、と云う事らしい。

 ならなんだ。俺は勘違いをした挙句任務中にも関わらず名前を抱き、恥ずかし言葉を吐いて此奴の苛付く笑みに晒されたって事か。...本気で死にてぇ。

「...はぁあああ」
「幸せ逃げますよ、中也さん」

 名前は携帯を弄りながらハンドルに凭れる俺にそんな言葉を掛ける。恐らく首領に報告しているのだろう。全く、このため息は一体誰の所為だと思ってやがんだ。

「はぁ、中也さんの所為で厭な事思い出しました」
「俺の所為かよ」

 一気に疲れを背負った俺に名前は容赦ない。着替えと報告を終えて此奴が俺との行為で乱れた髪を解き手ぐしを通していく。俺の鼻が名前の匂いを感じ取って思わず視線を前に向けたまま顔を顰めた。

「あ、彼処に寄って下さい」

 そんな俺に気付きもせずに名前が指さしたのは視界に入った一軒のコンビニだった。上司を足に遣いやがってと思ったがそんな細かい事を云う気にもなれず俺は返事もせずにウインカーを左に出してコンビニへと駐車した。

「中也さん、私あのアイスが食べたいです」
「ああ、そうかよ」

 止まったそこで名前は店の看板にデカデカと売り出されたソフトクリームの写真を指さした。なんだ、此奴も女っぽいと云うか子供っぽい処もあるんだな、なんて思ったのも束の間。

「買って来て下さい」
「はァ!?」

 次に出た名前の言葉に俺は思わず声を上げて其奴を見た。そんな俺に構いもせずその目は早くしろとでも云っている様だ。

「今日の御褒美はあれでいいです」
「それならさっき...!」

 俺はそこまで云ってハッとした。名前があの笑みを浮かべたからだ。ゆっくりと口角を上げ俺を見つめる。妖しくて勝ち誇った様な笑みだ。

「さっきのは中也さんの意思じゃないですか」
「!」
「初めて中也さんから求められて、凄く興奮しましたよ」

 名前のその笑みがゆっくりと俺に近付いてくる。

「なんで、って聞いたら怒りますか?」
「...っ」

 名前の細く少し冷たい指が俺の頬を撫でる。俺は湧き上がる衝動を掻き消す様に奥歯を噛み締めた。

「くそ...っ!」

 荒々しく舌打ちをして苛立ちに任せて車を飛び出す。

「私ミックスでお願いしまーす」
「死ね!」

 窓を開けて俺の背中にそんな声が聞こえて思わず拳を握る。完全に弄んでやがる。だが律儀に名前に云われた通りのモノをレジにて頼む自分がいる。情けなさ過ぎて泣きたくなった。

 それに彼奴は今日は此れが御褒美だと云った。ふとなら今日はこのまま帰るのかと思ってハッとする。なんで残念がってんだ俺は!心でモヤモヤとした感情を叫びながら髪を掻き毟る。

「あ?」
「お、お品物です」
「...どうも」

 チラッと視界に入ったソフトクリームを辿れば気まずそうに店員がそれを差し出していた。俺は名前御所望の物を同じ表情で受け取って店を後にした。...本当、何をやってんだ俺は。

「うん、まぁまぁですね」
「...そうかよ」

 車に戻って差し出したそれを口に運んで名前がそう云った。俺はハンドルに上体を預けた形でやる気なく運転をする。

「中也さんも食べますか?」

 車を発進させた俺に名前はそんな事を聞いて来た。それに視線を此奴にやりもせずに窓に肘を付き「いらねぇ」と返す。甘いもんなんて食べる気分じゃない。

 女はむしゃくしゃした気分をそんなもので紛らわす事が出来るらしいが意味が判らない。普通の女ですら理解出来ないのだから隣の奴なんて到底理解出来ないのだろうな、なんて事を浮かべた。

「まぁまぁ、そう云わずに」
「あ?いらねぇって云って、」

 そう云う名前に頬杖を付いた顔を上げて彼女を見た。その瞬間強引にジャケットを引き寄せられた。

「っ、」

 唇とその舌に依って俺の口の中が一瞬で甘ったるくなる。鼻につくその甘さはアイスの所為か彼女自身の所為か判らなかった。

「...褒美はいらねぇんじゃ無かったのかよ」

 離した唇でそう云えば名前は顔を顰める俺とは対照的に自分の唇を舐めて口角を上げた。

「中也さんは此方の方が良いかと思って。それにご褒美なんて貰えるだけ欲しいと思いません?」

 助手席に背中を戻した名前はそう云って小さく笑う。俺は少しベタついた自分の唇を拭って「そうかよ」とぶっきら棒に返した。

 そして俺は車の当初の目的地を変更した。名前の顔は見なかった。どうせ笑ってる。あの妖しく勝ち誇った様な苛立つ笑顔で。案の定俺のスピーカーから流れるお気に入りの曲を小さく歌う始末だ。

 本当、ムカつく。だが俺は口角を上げた。...手前のその言葉を後悔させてやる。頭の中はそれだけだった。その瞬間、名前の鼻歌が止まった。今更察しても、もう遅い。

 俺は自室のある高層マンションの駐車場に車を止め何を話すでもなく自宅へと入る。それに矢張り何か云う訳でもなく名前が着いてくる。

 ガチャ、と背後で戸締りの音がする。慣れたもんだ。ご褒美は大抵俺の部屋で差し出されるのだから。俺は廊下を歩きながらジャケットを脱いでシャツの釦を凡て外していく。

 僅かな手荷物をリビングの机へと置いて髪を掻き上げた。遅れて名前がリビングへと入って来る。部屋の隅に荷物を置いて同じ様にジャケットを脱ぎ皺にならない様に衣紋掛けへと掛ける。

「と云うかまず部屋に入ったら電気くらい点けて下さいよ」

 そう云って名前はスイッチへと手を伸ばす。だが俺はそれさえも無視して電気を点けようとしたその手を背後から掴んだ。振り返った名前の表情に僅かに驚きが滲む。そんな名前の珍しい顔にさえ、俺は欲情した。

「...っ本当に、今日はどうしちゃったんですかね。私の上司は」

 暗いままの部屋のベッドに捨てる様に名前を放れば彼女は肘を立てて上体を起こす。俺はシャツを脱ぎ捨てて名前へと覆いかぶさった。

「っ、」

 顎に手を当てて唇を重ねる。徐々になんて生温い口付けはしない。俺達にそんな駆け引きは要らない。始めから啄む様な口付けに名前は目を細める。

 そのまま名前の服を脱がせていきその素肌が露わになる。そこに手を這わせれば名前から吐息が漏れた。それと同時に名前の手も俺の身体を髪を撫でる。熱を帯びた微笑みを口付けをしながらも零す名前。

 此奴はやたら俺の髪を弄る。それが俺は心地好くも何だか子供扱いをされている様で癇に障る。だから更に口付けを深くする。そうすれば名前の顔が歪み手に力が入ってまるでそれは俺にしがみつく形になる。その時俺に優越感が生まれ体温が急速にあがる。

 先刻一度身体を重ねたからか、先程とは違い少し余裕があった。自分の下で乱れる彼女を見下ろしても我武者羅になってしまう事はなく寧ろ俺は笑っていた。

『それにご褒美なんて貰えるだけ欲しいと思いません?』

 ああ、だったら望み通り与えられるだけ与えてやる。手前がもう要らないと泣き叫んだって与え続けてやる。この言葉を聞いてから俺の頭はそう繰り返していた。

「っ、まだ...する気ですか」

 何度目かの避妊具の交換時に名前が遂にそう漏らした。呼吸の荒さがその胸の上下運動に依って伺える。顔を顰めた名前の表情に俺の口角は最大迄上がった。

「ああ、俺はまだ与え足りてねぇからな」

 力を無くした名前の身体を手を引いて起き上がらせ自分の上に座らせた。暗がりでも判るその滲んだ汗で張り付く此奴の髪を掻き上げ、頬を包んで触れるだけの口付けをした。

「っ何なんですか...今日の貴方は、」

 理解に苦しむ名前の表情に俺はフッと笑った。ずっと考えてた。俺は何で此奴と身体を重ねる度に苛立つのかと。それは俺に余裕が無くて名前には余裕があって、遊ばれている様な感覚があったからだ。

 だが何故それに苛立つ?名前が遊びなら俺もそうだと割り切ってヤレばいい。だが俺はそれが出来ない。自尊心か?ただの見栄か?否、違う。俺は名前に俺を見て欲しかった。自分の欲を満たす大勢いる存在の一人だと思うから触れるのも触れられるのも腹が立つ。

 だが俺は名前に触れたくなる。相性もあるだろうがそれだけじゃないんだ。俺に唯一己の欲を分かち合い相乗効果を生む存在に成りたいと云う感情があったから、俺は此奴を抱くんだ。

 だが今の此奴にそんな絵空事の様な愛を囁いたって笑われるだけだ。だから身体に叩き込んでやる。それが俺の、俺達らしい愛の伝え方の様な気がするから。

「何だろうな、手前で考えろよ」
「意味が判らないのですが」

 案の定名前は戸惑い、それを掻き消すかの様に顔を顰めている。今日は此奴の珍しい表情をよく見れる。そんな事が嬉しいと思う俺は、矢張りそう云う事なのだろう。だがまだ云わない。此奴の辞書に、身体にその言葉を刻むまでは。