episode 5「途切れた言葉」


 避難する前に子供達が生活していたカレー屋へと足を運んだ。其処には店主がお玉を握ったまま息絶えている。

−−すまない。
 そう心で呟いて開いたままの瞳をそっと閉じた。彼もまた、子供達と同じ様に死ななくて良かったはずなのに自分を取り巻く環境にいた為に死んだ。

−−護らなければ、彼女だけは。
 そう思えばいつかの彼女が次々と俺の脳内を駆け巡った。

 初めてあった日の事、夢を話した時の事、共に歩いて来た何年もの時間を思い出した。その中の彼女はどれも眩しい程輝きを放ちながら笑っていた。俺はその温かさに心を奪われていた。

 先日、此処で彼女に云おうとした言葉を紡がなくて良かったと思った。あの言葉を彼女に伝えていたら、俺は屹度何処かで戸惑う。それは屹度命を左右する。余力を残したまま戦える相手では、ない。

 それこそ己の何もかもを賭けて、あの子達の仇を討つ。そう唱えれば俺の頭にはそれだけになっていた。目の前で散った護れなかった小さな命達。待っていろ。今、逝くから。

 敵の本拠地に向かう途中、太宰、そして初めて会う少年と言葉を交わした。何方も険しい表情をしていた。行ったら死ぬ。彼等の瞳にはこの後の俺の結末が見えていたのだろう。だがそれでも止まる気はない。

「ようこそ、サクノスケ。乃公達の世界へ」

  ミミックの長、ジイドはそう云って俺を迎え入れた。俺達の異能は同じ物だった。数秒先の未来が見える。故に戦闘は困難を極める。

 どちらかが銃を構えれば何処に向かって弾が飛んでくるのが判る。だから避ける。だがそれさえも予測される。だからそちらに銃を向ける。それをも予測して避ける。

 二人は忙しなく動いていた。だがそれも頭の中の出来事だ。実際に身体は一ミリだって動いてはいない。相手に異能は使えない。それが無駄だと察したのは同時だった。

 不思議な空間だった。会話をしていなくとも相手が何を云うかが判りその応えすらも互いに判る。動かず、喋らず、俺達は俺達を理解し始めていた。

 やがて異能を使う事なく行われていた戦闘も動きを止める。そして口を開いた。

「何故求めた」
「お前は何故殺しを辞めた?」

 闘う事しか頭にない男に問答は通じないらしい。互いに銃を構えながら俺達は長い話しをした。

「俺は小説家になりたかった」
「小説家か」

 あの日の光景が霞んだ。

「お前なら書けると云われたが正直疑問だった」

 小説を書く事は人を書く事だと本をくれた男は云った。殺しばかりしていた俺に書ける訳がないと思った。だがその言葉は俺の中に留まり、そして囁き続けた。

「だからある人に訊いた。そうしたら」

 そこで言葉が詰まった。彼女は目を輝かせていた。俺が"海の見える部屋"で物語を完結させる日を待ち侘びていた。少し、罪悪感が湧いた。

「...気付いたんだ。俺は、自分の手で書きたい」

 書いて、彼女に読んで欲しいのだと。今更彼女の叫び声が聞こえた。俺の名を呼ぶ声と「行かないで」と云う涙ながらの叫びだ。銃を持つ手に少し力が入った。

「友人への最期の別れと、彼女を泣かせたままな事が心残りだ」
「そうか」

 最期の時が近付いていた。矢張りそれもお互いが感じ取っていた。俺は心で二人に謝罪した。そして願わくば、

−−幸せになってくれ。
 一瞬だけ瞳を閉じて、彼女に別れを告げた。過ごした年月に反比例してそれは短く、拙いものだった。

 俺が瞳を開いた瞬間、二つの拳銃の引き金が引かれた。二つの銃声は一つになり互いに放たれる。


−−名前、俺はお前を
 心で紡いだ言葉は胸に襲った痛みに掻き消される、はずだった。


「...どうして、」


 衝撃で背後に倒れ込んだ先で俺は目の前の光景に目を見開いた。手の平に付いた自分のものではない真紅色に眩暈がした。

「何故来たんだ...っ名前!」

 彼女は俺にしがみつき、俺が受けるはずだった銃弾をその身体に受けていた。俺の声に彼女がゆっくりと俺の胸に埋めていた顔を上げた。痛みに依って腕も身体も小刻みに震えている。だがそれでも彼女は俺をギュッと抱き締め、そして笑った。

「ごめん、作之助」

 何故彼女が謝るのか理解出来なかった。否、何故彼女の存在に気付かなかった?未来を見る事の出来る、俺とジイドですらも。

「私、知ってたの。子供達がトラックで死ぬ事」

 彼女の途切れ途切れの言葉に目を見開く。乱れた呼吸を整えようと彼女は精一杯息を吸った。

「最初は、貴方の死ぬ処を見た」

 それは数日前のカレー屋での事だったと彼女は云った。俺は心であの日か、とふと思い出した。彼女に言葉を告げようとしたが突然顔色を悪くした彼女を家まで送って行った日の事だ。

「信じられなかった。自分の見たものに」

 そしてその後、子供達に触れた時に五人とも同じ光景が見えたらしい。悪夢かと思った。と彼女は顔を顰めた。

「知らなかったの。あれが、本当になるなんて...っ」

 彼女はそう云って大粒の涙を零した。そして頻りに「ごめん」と呟いた。まるで自分が殺してしまったかの様な罪悪感に襲われている様だった。

 だが子供達が自分が見た通りの死に方をして屹度俺も死ぬのだと思った。だから必死に「行かないで」と叫んだ。

「...異能力者、だったんだな」
「そう、みたい」

 彼女が死を見たのは俺が初めてだった。だからこそ戸惑い、信じる事も打ち明ける事も出来ずに抱え込んでいた。

 だが未来を予見する俺達と似た異能力だからこそ、彼女は俺達の世界へと入り込んだ。同じでは無かったが為に俺とジイドは理解出来なかった。

「でも、良かった」

 彼女はそう云って俺に微笑んだ。震えた手が俺の頬を撫でた。ひんやりとしていた。それは一瞬にして俺の心を底冷えさせた。

「作之助を...護れて」
「名前!」

 彼女の手が滑り落ちる。俺の肩に項垂れ、大きく肩で息をしていた。俺は彼女の肩を支え叫んだ。彼女の背中に開いた穴から止めどなく血が流れていた。如何して。そう思わずには居られなかった。

 これ以上巻き込んではいけないと思った。自分の所為で誰かが死ぬ事なんて間違っていると、そう思った。なのに。自分は怪我なんてしていないのに手が震えた。それに耐え切れず俺は彼女をギュッと抱き締めた。

「...作之助、」

 それに彼女が一つ笑みを零した。

「私、ね」

 俺の首筋に彼女の荒い息と言葉が降り注ぐ。

「初めて作之助を見付けた、あの日から」

 俺は固く目を閉じた。やめろ。もう口を開くな。紡ぎたい言葉は一つだって声にはならなかった。

「作之助が、」

 そこで、言葉は途切れた。