幸村君は、確かにただの優男ではなかった。彼が殺気を放った時、氷点下の中に裸で放り出されたような冷たすぎる寒気が一気に背中を駆け抜けた。こんなに怖い、と直感が告げた人間なんて他にはいないだろう。けれどなぜだろう。場違いだと分かっているのに、妙にドキドキしてた。すごく幸村君がかっこよく見えた。
「もういいの、幸村君」
「!」
「これはきっと、怒って当たり前のことだから」
「そんなこと、」
「もう私は帰るね」
私の決心はこうも簡単に水泡に帰したわけだ。まあ私も少し迂闊だったけれど。彼らが信者だと幸村君から散々聞かされたし見てきたのに、あんな発言をしてしまった私にも非はある。とにかく、もうこれ以上彼らにとやかく言うつもりは微塵もない。お弁当箱をもって立ち上がり、私はそそくさと屋上を出た。もう彼らとは関わりたくもない。
人通りの多い廊下を歩いて教室の中に入ると、騒々しくクラスの生徒が一点に集まっている様子が見えた。中心に佇むのは汚い顔で必死に苦笑をつくる佐々木だった。話しかけている人物は、主に私の友人二人。
「佐々木さん、何か最近不快なことない?」
「テニス部の奴らに言い寄られて、何もない?!」
「み、皆そんな悪いことしないから、」
「さすが、佐々木さんは優しいね。辛くて言えないんでしょ?大丈夫、私がなんとかするから」
「もう抱え込まなくてもいーんだよっ!」
同姓にここまで愛されるのはもう異常だ。でも佐々木は嬉しそうな顔色を見せず、それどころかむしろ悲しそうだ。まあ皆からの愛の重さに気づいたんだろうか。
「あっ!まことー!」
「佐々木さん、私たち二人の友達を紹介するね」
「広瀬まことって言うんだー!仲良くしてあげてね?あまり笑わないけど悪い人じゃないから!」
「広瀬まこと、ちゃん?」
「……はい」
いや気を使って紹介してくれなくても別によかったんだよ友人。なんとか普通を演じ、薄ら笑いをした。けどやはり頬の筋肉がひきつってうまく笑えない。
「広瀬まことちゃんって、私のファンクラブに入ってないよね?」
佐々木のファンクラブは、今や1000人近くもの生徒が入っているらしい。つまり、私が入ってないのが逆に珍しいようだ。あんな不細工な女子のファンになる方が気を疑ってしまうが。
しかし、彼女はなぜ私がファンクラブに入ってないことを知っているのだろうか。何か恨みでも抱かせるようなことはしてないはずだ。確かに2回顔を合わせたことはあった。その2回とも同じ質問をされはしたが。
「まことちゃん、か」
佐々木がまじまじと私を見ていたなんて、気づく余裕など私にはなかった。