- 穀雨 -


四月二十日
あし、はじめてしょうず


「緑が眩しいですね」

 ぽちくんの散歩に菊さんと連れ立って歩いていれば、水辺でふと菊さんが足を止めた。その視線の先には背の低い緑が生い茂っていた。

「あれが葭(あし)ですよ」

 そう教えてくれる菊さんは最近は「生活の先生」のようだ。菊さんがそうやって教えてくれるから今まで気にも留めていなかったものが気になるようになった。道端の雑草にだって名前はあるんだから。

「あしは簾になったり屋根になったり、昔から重宝されていたんですよ」

 菊さんの言う昔が一体いつの話なのかは知りえないが、それでもこの人が言うとそうなんだ、と素直に納得してしまえるのは何故だろうか。
 春昼の日差しは柔らかく、芽吹いたばかりの若い草花は光合成を行うのに必死だ。近くの水面は春の日を反射させて世界をきらきらと煌かせる。

「ああそうだ」

 思い出したかのように菊さんが言う。

「今の時期は穀雨と言って、春の柔らかな雨に農作物がうるおうという意味があるんです。この時期に農作物の種をまくと雨に恵まれ、よく成長するといわれています」

 そう言えばこの頃降る雨はしとしとと柔らかい。春の温かみも相まってなのかもしれない。柔らかな雨の混ざった土の中、種はさぞ柔らかな布団に包まれていることだろう。その中でぬくぬくと成長して、気づけばひょっこりと地上に顔を出す。そうやって私たちに自然からの春の訪れを教えてくれているようだ。

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四月二十五日
しもやみて、なえいずる


「たまは本当に早起きですね」

 誰時、すなわち夜明け前くらいの時。残夜、夜の気配がまだ残る明け方。それから朝ぼらけ。朝がほんのり明けてくる頃。数分ごとに変化するその瞬間にすら名前がある。それを早起きのたまと一緒に感じるのが日課になったのはいつからだったろう。
 一番に目覚めたたまは寝室にやってくるといつもこちら側に来る。隣で寝こけるナマエさんの方は見向きもしない。気を使っているのか、それとも何をしても起きないと見限っているのか。
 着替えて、まだまだ起きそうにないナマエさんを置いて寝室を出ればたまがぽてぽてとついてきた。台所でたまの水を用意すればすぐにちろちろと飲む。それから一緒に居間に移動してテレビをつける。自分より早起きのアナウンサーを見ると、この静寂に満ちる世界で起きているのが自分だけでないと知る。
 春になって空気が冷たくなくなった。そうなって朝の換気が習慣化した。窓を開けて外を見れば、すっかり霜が降りなくなった庭の草木に、今朝はほんのり朝露が乗っていた。
 朝のひんやりとした空気を感じ取ったのかぽちも起きだした。起き上がり、ぐっと伸びをしてくわりと欠伸を零す。人間と同じだ。居間を出たぽちの向かう先は台所。先程たまに用意した真新しい水を、ぽちも日課のように朝に飲む。
 居間に戻ってきたぽちが散歩の催促をする前に、開けた窓を閉じて玄関に向かおうか。

***

四月三十日
ぼたん、はなさく


「これはまた立派な牡丹ですね」

 うちの庭に咲いている種類とはまた少し違うそれをみてほぅ、と関心のため息が零れた。うちの庭に咲く牡丹だって大きく花を咲かせて見頃を迎えているが、それにしても一輪だけでも存在感のあるこれはやはりすごい。
 菊さんがご近所さんの庭先にある牡丹に見惚れていたら一輪手折ってくれたそうだ。一輪挿し、床の間に飾ってよく映える。けれども人目の付かない客間の床の間よりかは、見栄えはよくないかもしれないが居間に飾るほうがいい。見ているこちらも幸せになれる。

「百花の王にふさわしい」

 日常に花が一輪あればそれだけで妙に生活が彩る。菊さんと一緒になってほぅ、とため息をこぼした。

20210420

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