売り言葉に買い言葉だった。
 先にどちらが喧嘩腰になったのかは分からない。

「誰にでもいい顔してるからナマエが勘違いしたんだろ」

 何気ないシリウスの言葉にリーマスが「君はもっと女の子を大切にするべきだよ」と返した。口調こそ穏やかだがそこに含まれるのは嫌味だ。「どういう意味だよ」と噛みつくシリウスに「シリウスのお眼鏡にかなわない女の子達は無視されて可哀そう」と毒づく。「興味ねぇ女いちいち気にしてるほど暇じゃねぇんだよ」と吐くシリウスに、ははと笑ったリーマスは「モテる男は大変だね」と皮肉を返した。



 一月になって大雪が降った。湖も一面凍るほどの寒さだ。図書室も魔法で暖かくされていると言ってもそこまでの道のりが寒い。談話室の一角、テーブルを一つ占領したナマエがレポートを書いていればそこに影が落ちた。視線をあげたナマエがその人物に「どうしたの?」と問う。男子寮から降りてきたリーマスだった。

「今日は図書室じゃないんだね」
「うん、行くまでが寒いし、それにあとちょっとで書き終わるから」

 あと数センチの余白を埋めればレポートは完成する。生憎テーブルの上はインクが乾くのを待っている羊皮紙が広がっていて場所の余裕はない。見たところ手ぶらのリーマスは課題をするためにここに来た様子ではなかった。「ここいい?」と向かいの椅子を引くリーマスに「どうぞ」と座ることを促す。

「最近どう?」
「なにが?」

 羽ペンをインク瓶にさして立たせて、手で羊皮紙の表面を仰いでインクを乾かす。あと少しで書き終わりそうだったのに、と胸の内に小言を秘めたナマエがリーマスに問う。

「シリウスと。よく二人でいるの見るから」
「ああ、うん、まあ普通だよ」

 リーマスにシリウスの話を振られるのは、正直複雑だ。前だったら特に。今でこそ大分昇華できた気持ちが若干ぶり返す。当たり障りのない返答をするナマエにリーマスが何の脈略もなく「シリウスなんかやめた方がいいよ」と言う。

「……どうしたの、いきなり」

 羊皮紙を仰いでいた手が止まる。探るようにリーマスを見れば暖炉の方に視線を向けている。

「シリウスは女の子を大切にしないから」

 リーマスがその言葉を吐いたのと同時に、男子寮のドアが開いてシリウスが降りてくるのが見えた。なんていうタイミング。通り過ぎざま、ちらりと二人の方を見やったシリウスは不機嫌そうにどかどかと足音をさせて談話室を横切った。その背が見えなくなるのを見送ってから「……そうなんだ?」ナマエはうやむやに、そう返すしかなった。



「シリウスは女遊びが激しい」

 リーマスがシリウスのことをこうもあからさまに悪くいうのは初めてで、ナマエは「そうだね」と相槌を打ちながら二人に何かあったのだろうと推察した。
 けれども同時になんで、という気持ちが巡る。今更リーマスに「シリウスはやめておけ」だなんて言われる理由が分からない。シリウスの素行が悪い話は今に始まったことではない。モテるし、正直シリウスに泣かされた女の話はごまんと聞く。多分、男子たちが耳にしているのよりも女子の間で出回る噂の方が数は多いし、内容もえぐい。もちろんその噂すべてが事実とは限らないというのも、女子の中でも周知の事実。噂話は娯楽の一部だ。
 もしかしてシリウスと仲良くしていた自分に、リーマスが嫉妬をして? なんてかつて夢想した自惚れが顔を出す。しかしすぐに「それはないか」と否定できる。今はもう、あのときとは違う。だからこそ、揺らぐ。
 なんで今更。なんで今。シリウスに気持ちが揺らぎかけていたナマエの心がぐらぐらと揺れる。リーマスがシリウスを悪く言う理由も気になるが、それよりもシリウスのほうが気がかりだ。二人に一体なにがあったのか。
 シリウスとは付き合わない方がいいのかな、なんて考え始めたナマエは、そこでふと、付き合うことを念頭に入れている自分に気付いて混乱した。

***


 リーマスの物言いはああだったけれど、シリウスの態度は至って変わらなかった。変わったのはナマエの方だった。傍目にはシリウスとリーマスの関係性は変わらないように思えた。男子の喧嘩は短期決戦だなんて聞くけれど、それでもあんなふうに巻き込まれて気にならないはずなかった。だから、気がそぞろになっていたのは事実だ。
 廊下を歩いている最中に話しかけられて、ぼぅっとしていて「あ、うん、なに?」と返事をすればシリウスは「人の話ちゃんと聞けよ」と肩を小突いてきた。「ごめん、最近寝不足で」と返すナマエに「何してんだよ」と突っ込むシリウス。あんたのことで悩んでるの、何て言えるはずもないナマエは曖昧に笑う。そのまま大広間に一緒に向かおうとして、予約していた本の受け取りを思い出したナマエが「ごめんちょっと図書室行ってから行く」と告げればシリウスは当然のように「しゃあねえな、付き合ってやるよ」と言うが、しかしナマエがそれを「いいよ大丈夫」とやんわり断った。そんなこと今までしなかったのに。「は?」と怪訝そうな顔をしたシリウスを置いて足早に去ったナマエは、自分のその行動の理由が分からなかった。それまで当然のように隣に並んで受けていた授業も、時間ギリギリに教室に入ってシリウスと離れた席に座るようになった。なんでこんなに避けているんだろうかと、ナマエは自問自答を繰り返した。

「おい、ちょっと」

 そんな日が何日か続けばシリウスだって気が付かないはずない。授業が終わって次は空き授業。早々に図書室に足を向けようとしていたナマエを呼び留めたのは外でもないシリウスだった。次が空きコマなのは知られている。今はレポートの課題もない。逃げる口実が見当たらない。それを知ってか知らずかシリウスが「ちょい来い」と腕を掴んで人気のない廊下を進む。空き教室。ああ、ここは確か。

「最近お前ヘン。なんかあった?」

 様子を窺う口調だが不機嫌さが顔を覗かせている。

「そう?」

 はぐらかそうとするナマエに「もしかしてリーマスに何か言われた?」鋭い。
「別に……」と曖昧に濁し、それよりも「リーマスと何かあったの?」とナマエが問うと、シリウスが途端に表情を変える。むっとした顔。今まであまり見たことのない表情。「なんで」それは疑問形の言葉のはずなのに疑問符の付かない言い方。今度こそ不機嫌だ。シリウスの問いに明確な答えを示さなかったから? それとも最近の態度のせい? ナマエがシリウスが不機嫌な理由を考えながら、「ねぇなんで」そんな不機嫌なの、と言いかけてシリウスが声を張った。

「ああ、くそっ」

 頭をガシガシと掻いたシリウスが急に「もうやめようぜ」と両手をポケットに突っ込んで気だるげにため息ついた。

「なにが」
「恋愛ごっこ」

 ナマエの唇から「……は?」と漏れた。

「そろそろ三ヶ月だろ」

 ナマエの反応など見る気もないという様子で首を垂れたシリウスが言葉を紡ぐ。
 やめる。なにを? 恋愛ごっこを。なぜ?

「……何で」

 以前の自分だったら「ああそうわかった」とすぐに受け入れたはずなのに、と、自分でもわからない感情の機微。ナマエの声は短く小さかったが、シリウスはそれを逃さなかった。

「何でって、お前も俺のこと好きなわけじゃないだろ」

 言われてもやっとする。そうだけど、そうだったけど。今は少し違う。ああそうか、シリウスは期限を設けて私を落とせるか落とせないかそういうことをしてたのか、落とせないからイライラしてるのか。そんな穿った思考回路になり始めて、同時にじゃあなんで私はシリウスがイライラしてることにこんなに心情がおだやかでないんだろうと考える。ざわざわと木々が騒めくような感じ。落ち着かない。なんで、なんで。

「……何で、そういうこと言うの」

 床を睨むナマエの表情は髪に隠れて伺い知れない。しかし声音は穏やかではない。「付き合えって言ったかと思ったらもうやめるって言ったり、勝手なことばっかり」爆発した感情が暴走する。噂話を真に受けてたわけじゃない。けれども咄嗟にこういう時に口をついて出る言葉は、そういう悪い噂のタネだ。

「やっぱり遊びだったんだ」

 ぽつりと零れた言葉に、「は?」シリウスの声が異常に低い。

「やっぱりってなんだよ」

 聞いたことのない声色。ああ、怒らせた。冷静な頭が警鐘を鳴らしている。「こっち見ろ」キレるシリウスに、その言葉の強制力に顔を上げた。後悔した。

「最初からそんなふうに思ってたのかよ」

 見下ろしてくるシリウスの眉間に皺。見たことない表情。

「……リーマスだってそう言ってた」

 思わず口をついて出た言葉に「あ」と漏らす。もう遅い。

「リーマスが? へぇ?」

 青筋を浮かべそうなほどの形相のシリウスに、全身からザァッと血の気が引く。ドクドクと心臓が危機を感じてる。美形が凄むと怖くなるっていうのは本当だったんだ。
 唇をきゅっと噛んだナマエは無言のまま、踵を返して誰もいない廊下を走った。

***


 親友は今、友人と恋人(仮)、二つの問題を同時に抱えているらしい。

「ナマエとケンカした?」
「は? なんで」
「今日全然話してないから」

「あとリーマスとも」と付け加えれば、どうやら僕はシリウスの地雷を全部踏み抜いてしまったらしい。「うるせぇ、ほっとけ」と背中を向けられてしまった。



「ちょっとポッター」

 珍しくリリーから声をかけられたかと思ったらその表情は眉を吊り上げたもので、これは良い話ではないなとすぐに察知した。聞けばナマエの様子がおかしいから話を聞いたらシリウスとリーマスが喧嘩したっぽくてそのせいでナマエが巻き込まれているという話だった。その喧嘩の原因もナマエなんだけど、これは言わない方がいいか。
 ナマエと仲の良いリリーは、監督生としてリーマスと関わることも多いから二人のことが気にかかる部分もあったのだろう。 

「首突っ込まない方がいいと思うなぁ、僕は」

 正直面倒だし、という気持ちを隠してそれを告げれば「あなた友達じゃないの?」とリリーからの痛い一言。

「僕たち男の友情ってのは、君ら女の子のとはちょーっと違うんだよ」

 そう尤もらしいことを説いて見せようものなら「じゃあ私からブラックに言うわ」と今すぐにでもと歩き出そうとするリリー。待って待って、さすがにリリーがシリウスのところに行ったら余計に話が拗れる。

「待って待って、それじゃあ余計ことをややこしくするよ」

 そうはっきり伝えればリリーの表情が穏やかでない程歪む。こればっかりは外野が口出すことじゃないからなぁ。でもここでうまいこと話を収められればリリーからの信頼も勝ち得るのでは、と瞬時に思考を巡らし「分かったよ。僕に任せて」とリリーを安心させるようにウィンクをして見せた。半眼眇められた。



 リリーから相談を持ち掛けられて様子を窺っていたら、どうやら事はもっとややこしくなってしまっていた。シリウスとリーマスが喧嘩をしていたと思っていたら、いつのまにかシリウスとナマエも口をきかなくなっていた。なんで?
 シリウスに聞いてもすぐには返答が得られないだろうと思ってまずリーマスの所に行ってみたら、リーマスに「シリウスに発破かけようと思って」と言われた。ほんとに?

「でもイラつてたからナマエにもシリウスのこと悪く話しちゃって、そしたらナマエが微妙な顔したから、もしかしたらボク余計なことしたかも」

 シリウスとリーマスの間でどんなやりとりをしたか詳しくは分からないけど大方想像はつく。それにシリウスに聞いてもあいつはもう何を言ったかなんて忘れてるだろうから、問題はそこじゃない。ナマエの方だ。おそらくリーマスに言われたことを真に受けたナマエがシリウスに傾きかけてた気持ちが揺らいで、そこで間が悪いことにリーマスと喧嘩してイライラしてたシリウスと衝突したってところか。うん、僕ってば名推理。
 リーマスも余計なことをしてくれる。善人そうに見えて実は僕らの中では一番癖のあるのはリーマスだと思ってる。生憎他の人にはそうは見えてないらしいけど。ナマエも案外、人を見る目がないんだから。

「ナマエに何か言われた?」

 虫の居所がそれほど悪くないだろう食事の後にシリウスに問えば、一瞬だけむすっとした顔をしたシリウスが「『やっぱり遊びだったんだ』て言われた」と零した。

「え、それだけ?」

「そんなのいつも言われてるだろ、君」と過去の女性トラブルの話を持ち出せば「うるせぇ」と蹴られた。酷い。

「……リーマスが言ってたって言われたんだよ」

 ああ、なるほどそれは、ナマエも的確に地雷を踏むタイプか。ナマエのリーマス絡みの話題はシリウスにとっては鬼門だ。

「それで?」
「……イラついてたからキレた」
「はは、ウケる。キレた君見てナマエは泣いた?」
「泣いてねぇよ。……逃げられたけど」
「どんまい」



「どうなってるの!?」
 リリーに呼び出されるのはうれしいけどその内容が嬉しくないんだよな。とりあえず仕入れた話を適度に掻い摘んで伝えたら神妙な顔をしたリリーが「……分かったわ」と深くうなずいた。多分今度はリリーがナマエに発破をかけてくれるだろう。

***


 ベッドに座ったナマエは正面に椅子を持ってきて座るリリーに詰問されていた。

「まだリーマスが好き? それともブラック?」
「リーマスが好きっていう気持ちは、もうない、です」

 腕を組むリリーに気圧されて委縮するナマエは尻すぼみで言葉を紡ぐ。

「でもシリウスが好きなのかどうかは、まだちょっとわからない」

 そもそもシリウスとの関係が「恋愛ごっこ」な現時点では、気持ちを明確にしようがない。好きになったら負けなような、そんな気がしてしまうのは何故だろう。

「シリウスが私のことどう思ってるかもわからないし」

 ぼそぼそと話すナマエにリリーが「そんなの私も知らないわよ」と柳眉を吊り上げる。

「そういうのは本人に聞きなさいよ」
「そんなの」

「出来るわけない」と言いかけたナマエにリリーが「好きな男に告白できたなら自分のこと好きな男に自分のどこが好きなのか聞くくらいできるでしょ」と被せられた。

「いや、シリウスが私のこと好きとは言ってない」
「ブラックみたいな男、興味ない女に声なんてかけないわよ」

 リリーの言葉は容赦ない。ナマエから事の次第を全て聞いているリリーにとっては、友人として仲良くしていて、あまつさえ男女の付き合いを打診してきたならそこに下心がないわけがない、という話である。

「それにそもそもだけど、あいつがどう思ってるかでナマエの気持ち変わるの? 自分を好きな相手なら好きになるの?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
「だったらブラックがどうこうなんて言ってないで、自分の気持ちに気付きなさい」

 さすが、ジェームズからの手厚い好意を向けられていてもそれに一切靡いていないリリーの言葉には重みがある。

「自分の気持ち……」

 自分は一体どうしたいのだろう、とナマエは自問自答を繰り返した。

20201124


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