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図書室で課題をしていれば向かいの席に人が座る。はた、と顔をあげてそこの見知った人物にナマエはその名を呼んだ。
「リーマス」
「やあ」
椅子を引いて腰かけたリーマスに、ふとナマエが怪訝そうに小首を傾げた。
「リーマス?」
「なんだ? ……い?」
「『なんだ?』」
口調がおかしい。羽ペンをインク瓶にさしてリーマスに向き直ったナマエがまじまじと見る。リーマスは「なんだ」なんて言わない。
探るようなナマエの目が目の前の男を見る。いつもと制服の着方がどこか違う。袂を見ればローブの裾から覗いたシャツの袖口。普段のリーマスならそこのボタンもきちんと留めているのに、今日はそうでない。ネクタイをきっちりと締めた首元は、その下のシャツのボタンも上まで止めている。普段と同じ、はずなのにどこか苦しそうにしているのはなぜか。妙に着崩れたような、どことない違和感。なにより、図書室に来て席についたのに一冊も本を持っていないのなんて、そんなのリーマスではない。
「あなた誰?」
ナマエの目が穿つようにリーマスを見る。
「誰って、僕だよ」
「何かの罰ゲーム?」
「何のこと言ってるのかな」
ナマエの言及に笑みを湛えてみせるリーマスだが、しかし「顔ひきつってるけど大丈夫?」ナマエがとどめを刺す。
「ああもう」
途端に目の前の男はローブのフードを被って机に突っ伏した。かと思えばがばりと上体を起こし、見ればそこにはシリウスがいた。
「時間切れだ!」
両手で頬を揉むように撫でているシリウスに「何してるの」とナマエの冷ややかな声がかかる。
「ポリジュース薬だよ」
がたり、シリウスが席を立ったのと司書がその通りに来たのは同時だった。
「何でポリジュース薬なんか」
座ったままシリウスを見上げたナマエに、ネクタイと首元を緩めながら「いろいろあんだよ」と一瞬ナマエに視線を投げたシリウスはすぐに逃げるようにその場を去る。その背に向かって司書が「静かになさい!」と声を張った。
「くっそ」
男子寮に戻った途端に悪態をついたシリウスは「失敗した」と部屋に入った勢いのまま自分のベッドに飛び乗って大の字に伸びた。
「あー、騙せると思ったのに」
「すぐ気づかれたろう?」
隣のベッドからリーマスが言う。がばりと起き上がったシリウスはローブを脱ぎながら「なんで分かるんだよ」とリーマスを見る。
「だって僕とシリウスじゃ『タイプ』が違うからね」
ベッドの上、談話室のクッションをくすねてきて寄せ集めたそこに背を預けて読書に興じているリーマスにシリウスが「どういうことだよ」と問いかける。よそから「まあそうだね」とピーターの声。「確かに、タイプで言えばリーマスと近いのは僕の方かな」とジェームズが言う。
「はあ?」
判然としない様子のシリウスに「立ち姿だけでも違うからね」とリーマスが笑った。
人は仕草にそれぞれ癖がある。例えば立つとき。ただ立つと言ってもリーマスの場合は両足に均等に体重をのせて綺麗に立つ。けれどもシリウスは片足重心になることが多い。加えて腕を組むことも多い。そういう日頃の癖から体格の差、細かな動作の違いが生じる。にじみ出る雰囲気というものは一朝一夕で誤魔化せるものでもないという話だ。
「それにシリウスが見てる僕とナマエが見てる僕は見え方が違うから」と話しリーマスにシリウスはどういう意味だといいたげな顔をする。
「ナマエはちゃんと人を見る目があると思うよ」
そう話したリーマスにシリウスは「振っといてよく言うぜ」と悪態をついてベッドに体を預けた。
枕に頭を埋めて天蓋の裏側を睨んだシリウスが「あー、クソッ」と小さく漏らした。
自分を見るナマエの目はいつもどこか気だるげで、素のままのナマエとはまたどこか違う。リーマスを見るときの顔もそうだ。まるで恋をしていますって顔に書いてあるあの顔で、あの目を向けられてみたかった。だからこんなくだらないことをしたのに。
「んだよマジ」
独り言を零すシリウスに、「そんなに悔しいかな?」とジェームズとピーターが顔を見合わせ、リーマスは音もなくくすりと笑った。
それは一年時の飛行訓練の時だった。
マグル出身で空飛ぶ箒に馴染みのなかったリリーも、元来の努力型の甲斐あってなんとか箒に跨ってつま先が宙に浮く程度にはなった。魔法族家系のナマエは幼い時から子供用の箒に跨って遊んでいたから苦も無く浮かんで見せた。
リリーの傍について悪戦苦闘する彼女を横目に、空高くまで飛んでいる男子生徒をぼぅっと見上げたナマエは、ふいに一人の生徒と目があった。黒髪で整った顔立ち。魔法族の中では名が知れていて、組み分けの際にスリザリンではなくグリフィンドールに入寮したことで周囲を驚かせた人物。
箒に跨り、膝を折って足の甲を柄に引っかけている。両腕を横に伸ばして器用にバランスを取っていて、その姿にバランスとるの上手いなぁと感心しているナマエに、リリーが「ナマエ!」と声をかけた。ふわふわと急に浮上を始めたせいで驚いている。慌ててそちらに意識を向けたナマエを、上空からはシリウスが眺めていた。
今まで自分と目を合わせた女は社交辞令の笑みを浮かべるか、頬を赤らめて視線を逸らすか、そういうのばかりだった。何の反応も示さずにただ視線を寄こしてきたナマエに、シリウスは俄かに興味を抱いた。
同じ寮、同じ学年。接点はいくらでもあった。だというのに話しかけることをしなかったのは、シリウスが自分から人に興味を示すということが少なかったからだ。興味のあるものをただじっと目で追う。その視線に、ナマエのほうも気づかないはずなかった。
視線を感じたナマエが不意に視線を周囲に巡らせればその都度シリウスと目があった。互いに視線を交わし、またか、という様子でどちらともなく視線をそらす。そんなやり取りを幾度となく繰り返した。
「どうしたの?」
不意に視線を彷徨わせて、かと思えば一点を見つめるナマエにリリーが気付いてその視線の先を追った。しかしリリーがその先を見止める頃にはナマエの視線は自分に戻っていて、リリーはナマエが何を見ているのかが分からないでいた。
「目、つけられるようなことしたかな」
ナマエがリリーにそう話したのは二年に上がってからだった。
「さあ? ああいうタイプは自分の気に入らない人は誰かれ構わず攻撃するから、いちいち理由なんて考えても意味ないわよ」
リリーの言葉にナマエが「それはそれで怖いんだけど」と眉を下げた。リリーの友人のスリザリン生が、シリウス・ブラックやジェームズ・ポッターに執拗なほど目をつけられているのは知っている。そのことを引き合いに出したのだろうけど、もし自分がその標的になってしまったら嫌だな、とナマエは逡巡する。
「あんなやつのこと気にするより、もっと他を見たら? 私のオススメはルーピン」
それをはじめに言ったのはリリーの方だった。
「なんで一緒につるんでるんだろうね」
タイプ違うのに、と話したナマエも「私もリーマスは好みなほうかな」と呟いた。三年生に学年が上がるころにはどういうわけかリリーとリーマスとナマエが三人で図書室で勉強するようになった。リーマスに心を開いたナマエがシリウスのことを相談するのに時間はかからなかった。「シリウスになんか見られてるっぽいんだけど、私シリウスに何かしたかな?」率直に問うたナマエに、リーマスは「そうなんだ? じゃあちょっと探り入れてみるね」と返した。
「あいつと何話してたんだ?」
寮に戻ればシリウスがリーマスに問いかけてきた。「あいつ?」と尋ねれば「ナマエ」と返ってくる。ちょうどいい。
「シリウスってナマエ好きなの?」
「はあ? なんで」
「だってよく見てるって」
ナマエが、と言いかけて口を噤む。言ってしまえば角が立つ。「あれ、僕の勘違い?」と言い直したリーマスに、シリウスが「べつに」と唇を尖らせた。
「そんなに気になるなら話しかけてみたら?」
「いい子だよ」と教えてやれば、シリウスは「あー、気が向いたらな」と部屋を出ていった。
こいつはブラックの名に媚びへつらわない。
シリウスの中でナマエはそういう位置づけだった。他の女みたいに媚びない、陰からちらちら視線を送ってこない、純血一族のブラックという名にさして興味を抱いていない。ミョウジという家は魔法族で、ブラックという名がどの程度の地位を有しているか知らないはずはないだろうに。視線があっても反応が薄い。つまらないくらいに反応がなくて、それで逆に興味がわいた。
「ナマエはブラックに興味ないの?」
近くに本人がいるのにそういう話するなよな、と思いながら、こちらの存在に気付いていない女子たちの話に、そこで上がったナマエの名に興味がわいて盗み聞きする。声からして普段キーキーわめいている奴らだ。
「別に」
短く答えたのはナマエだった。「別に」ってなんだよ。もうちょっとなんかあんだろ、と盗み聞きをしながらシリウスが髪に指を通す。後頭部をガシガシと掻く。
「あのブラック家の人間よ」と囃し立てる女にそうだ言ってやれと様子を窺っていれば「そうはいっても、なんかいろいろ大変みたいだけど」とナマエが言った。周囲の空気が不穏に揺れた。シリウスが息をひそめる。
「……まあ家は家、本人は本人だからね。いくらすごいとこの出身でも本人に中身がなかったら意味ないし」
ナマエのその言葉にそれ以上色好い回答は得られそうもないと判断したのかミーハーな女たちは「そっか」と引いていった。何だ、まともな人間もまだいたんだと、腐りきった純血家系で育ってろくでもない人間ばかり見ていたシリウスはナマエの存在に妙に安堵を覚えた。
物陰で一人、何とも言えない感情を抱いたシリウスは息をひそめてそこから人が去るのを待った。
20201124
シリウスが化けてるリーマス=シリーマス