結局シリウスに押し負ける形でお試しで付き合うという話になった。とはいえ、だからといって劇的に世界が変わるわけでもない。本当に付き合うというわけでもないから周囲には話さない。もちろん、お試しだから本当の恋人たちがするようなことは全面禁止を突き付けてナマエは渋々承諾した。それは恋人ごっこのようなものだった。
 シリウスを挟んでリーマスと三人で並んで歩きながら、なんだか妙な関係性になってしまったと一人心の中で思うナマエはちらりと横目にシリウスを盗み見た。普段と何ら変わらぬ様子。何食わぬ顔。きっと、周囲にもここの関係性に多少の変化が生じたことは悟られていないはず、とナマエは視線だけを泳がせた。

「周りに何かあったって勘づかれたくないだろ?」

 だからお前とリーマスの間に立ってやるよ、というのがシリウスの言だった。そりゃあリーマスと今まで通りに接しろと言われたらそれは出来ない自信があるが、と思いつつも、そういう所に気が回るシリウスに無性に腹が立った。性格悪い癖に頭の回転は速い。
 教室の移動の際は一緒に行動したり、課題や食事も一緒。思えば以前は一切気にしていなかったけれどリーマスとは「ただの友人」というには必要以上に一緒に行動していたことが多すぎて、改めてシリウスの提案に感謝の念がわいた。もちろん日常の大半を一緒に行動をしていたのはリリーだけれど、それでも日々の八割近くはリーマスとも共にしていた。もちろん、シリウスたちとも。毎日毎日飽きもせず、数日前までの自分は本当に周囲が見えていなかったように思う、とナマエは羽ペンを握りなおした。
 図書室の机に広げた羊皮紙に図書。羽ペンに残り少なくなった液体の入ったインク瓶。一向に進まない課題は妙な考え事が増えたせいだ。

「ここにいたか」

 突如として現れたシリウスはナマエの隣の腰を据える。今までなら向かいの席に座っていたのに、最近は隣に座るようになった。それが「恋人ごっこ」に由来するせいなのかどうなのかナマエには計り知れない。
 膝と膝が触れる距離に座ってナマエの手元を覗き込んだシリウスが「スペル間違ってんぞ」と羊皮紙のシミを指さした。詰められた距離に思わず「近い」と文句を零したナマエはちらりとシリウスの横顔を盗み見る。「初心かよ」「この程度でなに言ってんだ」と馬鹿にされるかと思っていたら「いいだろ、これくらい」と呟いて、シリウスは「それより」と話を続ける。それ貸して、と積んだ図書に手を伸ばされて、それを取って手渡せばわざと触れるように手を重ねてから本を取られた。なんなんだという目を向けるナマエに、流し目でシリウスが笑う。今のはわざとだ。シリウスのその仕草に女慣れしているんだと冷静に思う。異性との距離感もさして意識しないのか。この関係もシリウスにとっては何かの遊びで、失恋女を落として慰めるというゲームなんだろうかと、ナマエは羊皮紙に視線を落とした。

「んなむくれるなって」

 そのナマエの態度に何を察したのかシリウスがナマエの頭にぽん、と手を置いた。

「……馴れ馴れしい」
「はいはい失礼いたしました」

 ぱっと手を離して両手で降参のポーズをしたシリウスは本を開いてページをめくる。
 廊下で見かければ特に用もないけれど声をかけてきたり、今みたいな不必要な戯れを起こす。けれどもただ他より少し仲の良い友人のような関係性なら、このごっこ遊びも嫌なものではないとナマエは思った。

***


 決闘クラブが開催される。その知らせが届いた段階から男子生徒たちは盛り上がっていた。それもスリザリン含む他寮との合同授業となれば尚のこと。血気盛んな男子を見る女子の目は、いつの時代もどんな状況下でも冷ややかだ。
 相手に怪我を負わせなければ何でも可。そんなルールの下で紐解かれた決闘クラブという名の呪文学の授業は、存外あっけなかった。常日頃から不必要に杖を振り回しているジェームズとシリウスにかかれば、授業のみで模範的な杖の使用しかしていない生徒たちなど相手にもならなかった。見かねた教師が「そこまで」と止めに入るほど執拗で陰湿な呪文ばかりを繰り返した二人に、被害の当事者以外は面白おかしく傍観していたのも事実。そんなジェームズとシリウスを遠目に、ナマエはリリーと並んで「いやよね、ああいう男」「ほんと」と呆れを滲ませた。

「張り合いねぇな」

 つまんねぇ、と悪態をついたシリウスに傍に居たリーマスが「じゃあジェームズとやれば?」と悪魔のような囁きを漏らした。途端、顔を見合わせた二人がにやりと口角をあげる。杖を合わせ、お辞儀をし、距離を取った二人に周囲の人間が囃し立てる。教師ですら止めに入る様子はなく「ほどほどにな」と二人から距離を取った。普段から素行のよくない二人に、通常よりも距離を開けた周囲は、しかし好奇の目は色濃い。
 最初に仕掛けたのはシリウスの方。余裕の笑みを浮かべて呪文を飛ばし、ジェームズもそれを軽々防ぐ。パフォーマンス精神旺盛に無駄な動きを交えながら杖を振る様に周囲の生徒は感嘆、驚愕、悲鳴をあげる。腕を背に回して器用に背面で杖を振る。崩した体勢から的確な攻撃呪文を投げる。シーカーをやっているジェームズの動体視力はいい。最終的には不意を突かれたシリウスが吹っ飛ばされて決着がついた。
 床に伸びたシリウスの周りを女子生徒が囲う。さすがというか、その光景に男子生徒の視線は冷ややかだった。「大丈夫?」「怪我してない?」気遣い、手を差し伸べる女子など一切視界に留めないシリウスは自力で立ち上がるとジェームズの隣に並んで立った。ジェームズの「試合に勝ったが勝負に負けた」表情に、シリウスはまた一つにやりと笑った。

「今日はここまで」

 教師のその一声に生徒たちはわらわらとドアへ向かう。その流れに乗ってゆるゆると歩いていれば「シリウス」呼ばれて振り返った先にナマエを見止めてシリウスは足を止めた。

「大丈夫?」

「怪我してない?」と問うナマエに、一瞬呆けて目をぱちぱちと瞬かせたシリウスは、ナマエに心配されたことに驚いた顔で「え、俺?」と問うた。

「……他に誰がいるの」

 シリウスの反応に一つ溜息をこぼしたナマエは何ら問題はなさそうだと判断してシリウスを置いてリリーのもとに向かう。腕を組んでドアの傍で待っているリリーがちらりと二人の方を見た。ナマエを待っている。

「心配してくれんの?」

 途端、水を得た魚のように反応を示すシリウスに、ナマエが「だって結構吹っ飛ばされてたじゃない」とその顔を見上げた。そして後悔した。そこにあるのはにやけた表情。その表情を見た途端、ナマエの表情が無になる。

「……心配して損した」

 シリウスの反応にナマエが呆れの色を明確にした。それから「あほらし」と、シリウスを心配した己に対してなのか、それとも心配されたことに喜ぶシリウスに対してなのか、誰に向けての言葉か判然としない一言を誰の耳にも届かないよう小さく漏らした。
 聞けば、吹っ飛ばされて地面に落ちる寸前、教師が呪文をかけて衝撃を和らげてくれていたらしい。

「何ともないならいいや」

 待たせているリリーのもとに小走りで向かおうとするナマエを、しかしシリウスが「待て待て」と腕を引いて引き留める。

「一緒に帰ろうぜ」

 この後はお互い空き授業だ。ナマエがシリウスと一緒に歩き始めた様子をみたリリーが眉をしかめる。シリウスが一緒ということは、すなわちジェームズが一緒ということだから。

「リーマスとピーターは?」
「先に戻ったんじゃない?」
「薄情な奴らだな」

 ジェームズからのしつこいアプローチに視線で何か訴えてくるリリーに、ナマエは小さく肩を竦めてみせた。

***


 窓の外はしんしんと降り積もる雪。十二月のホグワーツは城内の至る所に火がくべられている。
 図書室でリーマスと向かい合ったナマエは何の気ない会話を繰り返しながら羊皮紙を埋めていく。気まずさも居心地の悪さもない。数カ月前の、告白する前の関係に戻れたような気がして、ナマエは心の内でそっと息をつく。リーマスの普段から変わらない態度は、監督生として誰にでも分け隔てなく接するそれと同じだ。変に意識していた自分が馬鹿らしく思えるほど、ナマエの心は今は穏やかだ。

「この本戻してくるね」
「うん」

 しかしリーマスが席を立った途端、ナマエの表情に影が落ちた。暗く、表情が抜け落ちる。

「……」

 ガタリ、わざとらしく音を立ててナマエの隣の椅子を引いたのはシリウスで、どかりとそこを陣取った。

「何か用?」
「いや」

 じとっとナマエを見るシリウスの灰色の目に、ナマエは居心地悪そうに視線を逸らした。

「……見られるとやりにくいんだけど」

 羽ペンを握っていた手から力を抜き、シリウスの方に頭を振ったナマエに、頬杖をついてナマエに体を向けたシリウスが「お前」と言いかけて、「あれ、シリウスが図書室なんて珍しいこともあるんだね」リーマスが戻ってきた。

「二人ってそんなに仲良かったっけ?」

 隣に並んで内緒話でも始めようかという距離感の二人を見たリーマスが茶化すように笑う。

「まあな」
「別に」

 二人の声が被る。それに尚も「仲良いね」と笑ったリーマスに「どこが」と噛みつこうとしてナマエはやめた。そういうとこって言われそうだと瞬時に脳が考える。
 コマ割りを告げる鐘が鳴る。

「あ、僕監督生の集まりがあるんだ」

 これから昼休憩だ。手早く荷物を纏めたリーマスを見送ってナマエも荷物をまとめ始めていれば「お前さ」とシリウスが言う。

「まだ引きずってんのか」
「……何のこと?」
「お前、顔に出やすいんだよ」

 感情が、と言われて気づく。うまく隠せていると思っていたけど自分が思っているほどではないらしい。

「リーマスいなくなった途端、顔死んでたぞ」
「……」

 どこから見てたのか。

「……別に、そういうわけじゃない」

 けれど。まだ上手く気持ちを昇華しきれていないだけだ。うまくやろうとすればするだけ、無自覚に力んでしまっているのは分かる。自分でも自覚していることをシリウスに指摘され、ナマエの表情がまた曇る。

「リーマスに言ったの?」
「何が?」
「……あの話」

 話題を変えたナマエに「ああ」と恋人ごっこの話だと気づいたシリウスが「いや、言ってない」と頬杖をつくのをやめて椅子の背に体重を預けた。ぐぐっと伸びをする。

「言ってねぇよ、誰にも。俺とお前しか知らない」

「まあでも気づいてるかもな」なんとなく、何かあったんだろうなって感じには思ってんじゃねぇの、と煮え切らないことを言うシリウスに「……あっそ」それ以上追及するのはやめてナマエは荷物をまとめて席を立った。

***


 リリーにだけは話している。リーマスに告白して振られたことと、シリウスとよく分からない関係性をもっていること。最初はもちろん心配された。失恋と同時にあのシリウス・ブラックにそんな実のない提案をされて裏があるんじゃないか、と。しかし蓋を開けてみれば、お試しで付き合うと言っても前より少し二人きりになる時間が増えたくらいで、キスはおろか手を繋ぐことさえない。当然恋人らしい雰囲気になることもない。そのことをリリーに言えばきな臭い顔をされたけれど。

「ナマエはどうしたいの?」
「え?」

 リリーの問いにきょとんとした顔のナマエは「どうって?」と小首を傾げる。今以上の何をどうするというのか。

「そうやって一緒にいるってことは少なくともブラックのこと、嫌いではないんでしょ?」

 まっすぐと核心をついてくるリリーに答えを窮するナマエ。嫌な気はしない。一緒にいて楽しいと思うこともあるし何より楽。リーマスの前でしていたような、いい子でいようという取り繕った姿を見せる必要もない。リーマスと一緒にいるときはドキドキしたり彼の一挙手一投足に一喜一憂したりしていたけれどシリウスにはそういうのはない。それが良い意味でなのか悪い意味でなのか。
 ナマエの言に「ふぅん」と顎に手を添えたリリーは、ナマエの深意を読み解こうとその瞳を覗き込んだ。リリーの緑の目に見つめられると自分でも気づいていな部分を見透かされそうになる。

「……顔がいいって何しても許される感、あるよね」

 シリウスのことをそう言うナマエの言は、リリーには苦し紛れの言い訳のようにしか聞こえなかった。

20201124


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