しがらみは溶かして消えた


存在すら霞み滲んで→きっと最期の賭けだった→生きるために明日の約束をした のその後


「ナマエさん、それ」
「え?」

 レギュラスに後頭部を指さされて触ったら、まとめた髪に刺さっているものに気づいて「あ」と声が漏れた。簪代わりにそこら辺にある棒状のもので髪をまとめるのは学生の頃からの癖で、昔はよく羽ペンで髪をまとめていた。だから私の羽ペンは羽が毟られた貧相なものばかりになっていた。さすがに杖だと長くて髪をまとめられなかったけれど、最近はマグルの生活で常に身に着けているボールペンがそれだった。後頭部を触って気づいて、ここが外だということに思い至って途端に恥ずかしさと居心地の悪さを感じて髪を解いた。

「家出る前に教えてよ」
「俺も今気づいたので」

 人魚姫の絵本を買いに来て以来、二人で本屋に来る機会が増えた。休みの日はスーパーに行く前に大抵本屋に立ち寄る。初めの頃は一緒に店内を見て回っていたけど次第にレギュラスも自分の興味のある棚へ勝手に赴くようになった。どことなく独り立ちをしていっているようにすら感じるその行動に、嬉しくもあり寂しさもあった。母鳥の後をついて回る雛鳥のようでかわいかったのに。
 本屋で本を買ってスーパーマーケットに向かった。最近は二人分の本が部屋にあふれていて、棚に入りきらないものは床に積まれていっている。そのうち本棚を買い足さないと、と思っている。
 スーパーマーケットでカートに買い物かごを乗せようとしたらレギュラスがそれを奪っていった。

「俺が持ちますから」

 カートを押した方が楽なのに、と思いながらレギュラスが持ちたいというのなら持たせてあげよう、とカートをもとの場所に戻した。
 今日の夕飯は何を作ろうか。近頃はレギュラスがキッチンに立つことが多くて、料理初心者の彼でも出来るメニューを選んでいる。具材を切って煮込むか炒めるかが主である。とりあえずなんにでも使えるイモと人参と玉ねぎは必須だ。それから、その日安く売られている物をかごに入れていく。店内を一周してから一度かごの中を見返し、そこにある材料で出来そうなメニューを考える。そうだ、今日はビーフシチューにしよう。



「俺、ナマエさんのこと知ってました」
「え?」

 スーパーマーケットからの帰り道、重い買い物袋を当然のように持ってくれるレギュラスは、何の前触れもなく急に話しだす。
 以前までは「ナマエさん」と、一言私の名前を呼んで気を引いて、それから「あの」とか「そういえば」とか、前置きのようなものがあってから本題に入ることが多かった。それが最近は急に本題に触れるような話し方をすることが増えた。それだけ、彼が自然体に振舞えているのだと思うとこちらとしても心の距離が縮まったようでうれしく思える。

「ホグワーツですよね」
「うん」

 イギリスにある魔法魔術学校といえばホグワーツだ。隣国にも魔法学校はあるが、あいにく私は生まれも育ちもこの島国イギリスだ。

「四つ、……いや、五つ先輩でしたよね」
「そうなの?」

 レギュラスの年齢を聞いたとき、自分の年齢から引き算をしていくつほど年下だなぁ、なんてことを考えた記憶はあるが、学校を卒業してしまえば先輩後輩なんて隔たりは一気に希薄なものになる。大人になると五つ程度の歳の差ならそれはもはや誤差程度だと思う。だから先輩という単語を久々に聞いて妙なこそばゆさを感じた。

「だったら在学期間被ってるね。というかなんで知ってるの?」

 横断歩道の信号が赤で立ち止まる。食材の入った袋を持ち直すレギュラスの隣で、私は書店で買った二人分の本が入った紙袋を抱え直した。
 レギュラスと私は五つ離れている。となると、彼が一年生の時に私は六年生だったという計算になる。一年生が六年生の先輩と接点を持つことは早々ない。寮が同じならばまだしも、私とレギュラスはそうではない。五学年分の上級生の中の一人にしか過ぎない私を、どうしてレギュラスが認知していたのか。それを尋ねるとレギュラスは「だって貴女、あの頃ピンクだかブルーだか、とにかく派手な色の頭してたじゃないですか」と、青になった信号を渡りながら言った。「え、なんで知ってるの」と、芸がないほどに先程と同じ言葉が口をついて出てしまった。隣の横顔を振り仰いだら、レギュラスは柔らかく笑みを湛えていた。
信号を渡り終わってすぐに左に曲がる。それまで右側を歩いていたレギュラスが左側に移動して、そうやってさりげなく車道側を歩くあたり、紳士的だなと思う。

「あんな派手な人、認知しないほうがおかしいですよ」

 こちらに視線を向けてきたレギュラスと目が合う。それからそのグレーの瞳が少し上に移動して私の頭を見た。

「地毛、その色なんですね」
「そうだよ。地味でしょ」

 なんの特徴もない色だ。それが嫌でいろんな色に染めていた。だというのに、なんの変哲もない色の地毛の私に「似合ってます」とさらりと言ってのけてしまうレギュラスは、心底人たらしだなと思う。
「あの頃のナマエさんは派手な髪色が印象に残りすぎてて、すぐに気づかなかったですけど」と、そこまで話したレギュラスは「それ」と、私のシャツの胸ポケットに挿した、先程まで髪をまとめるのに使っていたボールペンを指さして言った。

「あの頃も、変なもので髪の毛まとめてましたよね」

 変なもの、といわれて思わず押し黙る。本来は字を書く道具の羽ペンを頭に挿していたら、傍から見たら確かに変なものに違いはないのだけれども。

「頭に羽が生えてる人がいるって噂になってましたよ」

 頭に羽が生えている、といわれるととてつもなく変人なような気がする。しかし羽ペンを頭に挿していれば、頭に羽が生えていると言われても否定のしようがない。五つも下の、しかも別の寮の後輩にまで覚えられていたとは、卒業していまさらではあるが、葬り去りたい過去が出来てしまった気分だ。
 あの頃はいろいろなことが重なっていて、一言でいえば反抗期だった。実家のしがらみから解放されたくて、けれども学校では教師にあれこれ言われて、半ば自暴自棄になっていた時期でもあった。
 若気の至りだな、と当時のことをぼんやり思い出していると、レギュラスが「俺、一度だけナマエさんと話したことあるんです」と告げた。

「ナマエさんは多分覚えてないと思いますけど」
「そうなの?」

 それはレギュラスが入学したての頃だったという。

***


 ブラック家の人間が入学した。その噂は新入生が大広間に入る前からひろがっていた。ともすればおそらく、ホグワーツ特急の中ですでにその話は広がっていただろう。
 魔法界は狭い世界だ。魔法族は言ってみればみんな親戚みたいなものだ。祖先を辿ればどこかしらで繋がりがある。聖28一族は魔法界でも純血の魔法族として有名で、その名を知らない魔法族はマグル出身者を除いてはいない。その中でも特に純血を重んじる家系は多くなく、それでいて有名だった。ブラック家もその一つだった。階級があるとするならば公爵や侯爵に相当する。魔法族の中でのとりわけ重鎮と呼ばれる存在に近かった。
 だからだろう。ブラックという名に興味を持つ者、近付こうとする者、やっかみを抱く者、そんな人間がたくさんいた。たとえ同じ寮だったとしても上級生というだけで嵩に懸かった態度をとるものもいた。わざと聞こえるような大きな声で悪態をつく。大広間や移動教室の最中、人が多く集まる場ではそういうことが多くあった。
 だからなんだ、という気もあった。どうせただの妬みからくるものだろうし、特段気にしてはいなかった。それなのに。

「あー、アホみたい」

 俺に聞こえるように嫌味を言う上級生に対して、これもまた聞えよがしな大きな声が割って入ってきた。大広間、俺の周辺の生徒は各々に会話をしていて騒めきに満ちていた。その喧噪の合間を縫って「家のしがらみなんて本人が望んだわけでもあるまいに」と、よく通る女生徒の声がした。俺に対して大声で聞えよがしに話していた上級生が数人、周囲を見る。つられて近くに座っていたスリザリン生も顔を見合わせながら首を左右に動かす。俺はスープを掬っていたスプーンを下げた。
 声の正体は隣のテーブルにあった。スリザリンのテーブルの隣はレイブンクローで、その生徒たちが一様に一人の女生徒に視線を向けていた。ともすれば、その女生徒の隣に座っていた生徒は関わり合いたくないと言いたげな様子で少し距離を取っていた。

「ああ? なんだよ」

 壁際に座っていた俺から五、六人挟んで少し離れたところにいた上級生。そのスリザリンの上級生たちに近い辺りで俺の方に背を向けて座っている女生徒。この周辺一帯だけ話し声が遠のいた。遠くの、グリフィンドールやハッフルパフのテーブルでは喧騒が続いている。スリザリンのテーブルの両端の方でも会話は途切れていない。この、半径五メートルほどの範囲内だけ人が喋っていない。みんな耳をそばだてながら、カチャカチャとスプーンやフォークが皿にぶつかる音だけをさせていた。
 スリザリンの上級生が立ち上がり、レイブンクロー生に近寄った。「おい」と肩に手をかけられたその女生徒は、とても目立つ青い髪をしていた。それはまるでレイブンクローの寮のカラーにあわせたような青だった。

「言いたいことがあるなら面と向かって言えよ」

 スリザリンの男子生徒がレイブンクローの女生徒に話しかけている。それだけの光景はさして珍しくはない。しかし座ったままの女生徒の肩に男子生徒が手をかけている。それは、傍から見ると些か暴力的でもあった。女生徒の両隣に座っていた生徒は関わり合いたくないと距離を取る。周囲の人間が二人の動向を注視して、水を打ったように静寂の範囲が広がった。

「その言葉、そっくりそのまま返すわよ」

 低い位置からスリザリン生を見上げる女生徒の瞳は強い意志が反映されているようにまっすぐ彼を射抜いていた。そこに。

「やめないか」

 スリザリンの監督生が割って入った。七年生のルシウス・マルフォイだ。スリザリン生なら誰も彼に反抗することはない。現に、レイブンクローの女生徒に絡んでいた男子生徒は何か言いたそうに口を開きかけたが、すぐに居心地の悪そうな表情で踵を返して席に戻った。

「すまないね」
「内輪の揉め事くらいちゃんと処理しなさいよ」

 それから何か会話をする二人を、俺は遠目に見ていた。女生徒の髪がブルーで、それが彼女の寮のカラーに合わせているようで、それだけがいやに印象に残ったのを覚えている。
 ちらとこちらに視線を寄越してきたマルフォイ先輩は、発端が俺にあることを知っていたようだった。他人が勝手に始めた諍いだったが、どことなく居心地の悪さを感じた。



 大広間での一件があった後、無意識であの青い髪の人を探した。幸いあの髪は目立つからすぐに見つかった。廊下を行くその後ろ姿に「あの!」と勢いそのままに声をかけてしまって、しまったと思った。向こうが俺の存在を知っているとは限らないのに。
 しかしゆっくり振り返ったその人は俺の姿を見止めると「ああ」とすぐに破顔した。それからこちらが声を発するより先に彼女の方が口を開いた。

「ごめんね、私ああいう、面と向かって物言えない奴ら嫌いでさ。出しゃばったことしちゃった」

 居心地悪そうにする彼女の姿は先程の威勢の良さがまるでなかった。そのギャップに、不思議な人だと思った。

「いえ、ありがとうございます」
「スリザリンって純血を重んじる割に、純血仲間に対する僻みもすごいよね」

 笑いながらそう言う彼女に、俺がはいともいいえとも返せないでいると「家の、しがらみっていうの? 面倒だよね」と、一瞬だけその人の表情に陰りが見えた。……気がした。含みのある言葉に先輩も何かしがらみがあるのか、と疑問を口にしようとした時だった。

「ミスミョウジ! なんですかその髪色は!」

 廊下の角を曲がって現れた教授が先輩の髪色を見るや否や声を張り上げた。びくり、とそちらの方に視線をやった俺に対して、先輩は声の調子を変えず「髪色に関して規則はないはずですよ、教授」と返した。その飄々としている姿に、先程のことも相まって、どこか肝の据わっている人だなと思った。

「下級生の見本になるような行動をしなさい!」
「ごめん、行って」

 俺に一言、小さい声でそう言った先輩は軽く俺の背を押した。教授へ向き直りながら一瞬、俺にだけ分かるように小さく手を振ったその姿は、どうにも脳裏に焼き付いて離れなかった。
 それから俺は教授から小言を言われている先輩に後ろ髪を引かれながら寮に戻った。俺が寮に戻ると談話室に居た数人の上級生が居心地悪そうに男子寮の方へ消えていった。

「すまないね、監督が行き届いていなくて」

 そう言って現れたのはマルフォイ先輩だった。どうやら俺の学校生活の暗雲はきれいさっぱり晴れたらしかった。

***


「あの時、聞きたかったんです」

 レギュラスが当時のことを話すのを聞きながら歩いていたらアパートに辿り着いていた。玄関を開けながら「ナマエさんも何かしがらみがあったんですか?」と問いかけてきたレギュラスは、私に先を促してから、それから扉を閉めて施錠した。帰ったらすぐに施錠すること、というのは私が教えたことだ。
レギュラスの話を聞きながら、そういえばそんなこともあったような気がする、と記憶が呼び起こされた。確かに髪を青色にしていた時期はあった。

「うちね、家の人みんなレイブンクローで研究一家なの」

 買って来たものを机に置きながら口を開くと、レギュラスは袋から食材を出して並べながら「そうなんですか」と言った。
 ミョウジ家は専門性の高い薬草学の研究を主としていた。実家はいつも薬草の匂いがしていたし、煎じた薬の得も言われぬ臭いが漂っていることなんて日常茶飯事だった。先祖代々そうだったようで、実家のどの部屋にも薬草学の本が積まれていた。本のない部屋はなかった。
 私自身がそれを好きだったかと聞かれればそうではない。けれども幼いころから薬草学の本を読み、両親が薬を調合するのを傍らで見ていたから薬草学に対しての抵抗感はなかった。調べものをしたり材料を手当たり次第に調合して何が出来るか試してみたりすることは、一種のままごとのようだった。今にして思えばそれは子供ながらの知的探求心だったのだと思う。結果として、自分自身も一族よろしくレイブンクローに組み分けされることになった。
 代々魔法薬の調合をしているからなのか、家同士の付き合いで純血家系との関わりは少なくなかった。そのうち私も、人からの依頼の薬を調合するようになっていった。それがどうにも、自分の中で腑に落ちなかったのだ。
 自分の思うまま、知的探求心を満たす研究は好きだが、人に言われたものを作るのは面白くない。そう思ってしまった。けれども家のしがらみのせいでそれを拒否することは叶わなかった。学年が上がるにつれて親からの期待は膨れ上がるし、要求も増した。それに抗うために、学校での素行を悪くして親から見限られるようにしようと考えたのは、子供ながらの浅知恵だった。反抗期のようなものだったのかもしれない。けれども、そのうち闇の帝王がうちの一族に目をつけるようになった。純血家系との交流はあったし、純血一族は闇の帝王の思想に近い考えをもっていたから、当然と言えば当然のように思えた。それに付き合いきれないとも思った。だから私は卒業を期に実家を出た。

「そんなことがあって、私は勝手に家との縁を切ってマグルの世界で生活してるの」

 最初はただの興味本位だった。同じ人間でもマグルは魔法を使わずに生活している。魔法界で育った身でも、極論魔法を使わなくても生きていけるんじゃないか。初めはその程度の興味だった。どんなものだろうとマグルの生活を真似していたら、これが思いのほか楽しかった。確かに不便は感じるが手間と時間を惜しまなければ出来ないことは何もない。もともと知的探求心が強い方だからなのか、この生活は性にあっていたのだ。

「だから魔法の使い方忘れちゃってるんだよね、私。杖だって私が主人だって忘れかけてるんじゃないかな」

 冷蔵庫に入れるものを入れ、扉を閉めてそう告げればレギュラスは「そんなことは……」とまで言って言い淀み、少し考えてから「あるかもしれないですね」と笑った。

「俺、ナマエさんのこと羨ましいなって思ってたんです」

 ダイニングの椅子に腰を下ろしていたレギュラスが買い物に使っていた袋を綺麗に折り畳みながら言う。

「自由に生きてて……。自分とは絶対交わらないタイプの人だとも思ってました」

 でも、とそこでいったん言葉を区切ったレギュラスは酷く穏やかな表情で「人生、何があるかわかりませんね」と笑った。


20231225
レギュラス1年生、夢主6年生、ルシウス7年生


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