初恋のさやけさ


 新学期が始まってすぐ、魔法省の魔法生物規制管理部から派遣された人がホグワーツに来ると聞かされた。内容はホグワーツのフクロウの様子を見に来る、ということだった。フクロウは魔法界では荷を運ぶ重要な存在だ。要はそのメンテナンスのために毎年誰かが派遣されてくるという話だった。そういえば去年も魔法省から人が来ていたような気がする。去年の自分は生憎そういう役回りではなかったけれど、最高学年にもなるとこういうこともするのかと一人思った。ただ最後にマクゴナガルが告げた「あなたも知っている人物ですよ、きっと」という一言を残したのが少し気になった。
 十一月の第一月曜日にその人たちが来るというのを知らされたのは一週間前だった。月曜日の午前は空き時間だから出迎えはできる。普段ならのんびり過ごす朝だがその日はきちんと大広間で朝食をとってマクゴナガルに確認を取った。受け持ちの授業があるマクゴナガルは「あちらも毎年のことですから、変に気を使わなくても大丈夫です」と告げて早々に大広間を出て行ってしまった。来客は十時と聞いていたからそれまでは大広間で時間をつぶそうと、暇そうなやつを捕まえてチェスをして過ごした。
 時間の少し前になって大広間の横の大扉で待っていると部外者だと思しき人影が二人分、こちらに向かってくるのが見えた。ああきっとあの人たちだなと思いながら、俺も知ってる人って誰だろうか、と注意深くその人たちを見ていると徐々に近付いてきたその人物にはたとした。見覚えがあるあの人は。

「ナマエさん!」

 気づけば俺は走り出していた。名前を呼ばれた方の女性はこっちをじっと見てきて、距離が近付くとはっとしたような顔をした。

「チャーリー?」
「うん、そう、久しぶり」
「久しぶり。大きくなったね」

 俺を見上げてきたナマエさんはそんな風に、親戚のおばさんみたいなことを言うもんだから俺は思わず笑ってしまった。そういえば最後にナマエさんを見たのは彼女がここを卒業する時で、あれはもう三年くらいは前になるだろうか。俺が入学した時、五年生だったナマエさんは監督生をしていて、それから彼女は卒業するまでずっと監督生だったからよく覚えている。当時はまだナマエさんの方が背が高くて俺の方が低かったけれど、今ではすっかりナマエさんが小柄に見えた。昔は長い髪を一つにまとめている印象ばかりがあったけれど、今は肩につくくらいの長さの髪をゆるく波打たせていて、それがナマエさんの人柄を表すような柔らかな雰囲気を作り出していた。
 ナマエさんともう一人、一緒に来ていたのはナマエさんよりも年が上の男性で、この人は見たことがなかった。挨拶を交わしてナマエさんの荷物を持つ。一緒に城内を歩きながら、隣から見上げてくる視線が気になってそちらを向けば「大きくなったねぇ」とナマエさんはしみじみとした声を出した。それが妙にくすぐったくて、姉がいたらこんな感じなのかなと想像した。
 二人を来客用の部屋に案内して授業に向かう俺に、ナマエさんは気さくな笑みを向けて「いってらっしゃい」と手を振ってくれた。年上の女性を可愛いと思ったのはこの時が初めてだった。それと同時に、二人が連れ立ってフクロウ小屋に向かっていく姿を見ると何故だか少し胸のあたりがもやっとした。

***

 俺が入学した時、ナマエさんは五年生だった。入学したばかりで右も左の分からない一年生を案内するのは監督生の役目で、そうしたこともあって俺はよくナマエさんの後ろ姿を追いかけて歩いた。だからナマエさんのことはよく覚えていた。
 ある日、手紙を出そうと思ってうちのエロールを探していたら「俺の手紙を運んだ後だから疲れてると思うぞ」と兄から聞いた。エロールは年寄りで、聞けば両親の在学中から荷物を働き続けている。おじいちゃんと呼んでもいいエロールを酷使するのは気が引けた。だから俺はホグワーツの適当なフクロウを使って手紙を出そうと思ってフクロウ小屋に行った。
 うっすらと雪の積もる外階段を上っていくと踊り場のところに人がいた。滑らないようにと足元ばかり見ていた俺は視界に入ったその人の足元に気付いて視線をあげた。綺麗な人がいるな、と思った。俺が顔をあげるとその人は腕にフクロウを止まらせていて、羽を大きく広げた白いフクロウは、それはもう迫力があった。それなのにその人は臆した様子もなくそのフクロウに優しい眼差しを向けていた。美しく、それでいて力強くもあった。その瞬間、タイミングを計ったかのように雲間から日が差すものだから、それがまるで彼女を照らすスポットライトの様にすら見えて、俺は思わず見惚れた。
 どれくらい見惚れていたかは分からない。羽を閉じて落ち着いたフクロウが首をこちらに向けてひと鳴きして、それにつられたその人がこっちを見た。「こんにちは」と柔らかい声で挨拶をしてきたその人に、その時になってようやく俺はこの人を知っていると理解した。それがナマエさんだった。

 今思えばこの時に俺はナマエさんに一目惚れをしていたんだと思う。けれども十一歳の少年だった自分はまだ色恋に疎くそんなこと気づいていないし、ナマエさんにも当時付き合っている人はいたから、俺たちの在学期間が被っていた時期には何も起こりはしなかった。

***

 懐かしくなって昔のことを思い出していると自然と会いたくなるもので、俺は空き時間にはナマエさんのいるフクロウ小屋に足を向けることが増えた。初めは一緒に来ていた男性もいるかと思っていたけれど、どうやらあの人は別の仕事があるらしい。魔法生物飼育学の方で使われている魔法動物たちを看なければいけないのだそうだ。ナマエさんはフクロウ専門で、普段はフクロウ専門店で働きながら獣医をしているのだと教えてくれた。今回は魔法省で人員確保が出来ないから派遣要請されたのだそうだ。
 肩につくくらいの髪をきゅっと一つに結わえて真剣な表情でフクロウと向き合っている横顔は素直にかっこいいと思った。一羽ずつ丁寧に、まずは撫でてコミュニケーションを図ることから始める。撫でられてうれしそうに目を細めるフクロウを見ると扱いを熟知しているのが窺えた。夜行性のフクロウも昼間は眠そうで大人しいが、中には睡眠の邪魔をされて気が立っているのもいた。そういうときは諦めて別のフクロウを看る。淡々とこなしているようで、けれども時折独り言のようにフクロウに話しかけている。気性の荒いフクロウは指を近づけただけで噛んでくるが、厚めのグローブをしているナマエさんは「あ、こら、痛いでしょ」と、怒るでもなく優しい口調で言う。「もう、お腹すいてるの?」と餌で釣るときもあるし、「眠いのにごめんね」と言いながらも「ちょっと見せてね」と羽を広げさせてみたりする。それでも大人しく看させてくれないときは「だめだこりゃ」と独り言を零して後回しにする。横でそれを見ている俺に「無理に看ても暴れて怪我されちゃだめだからね」と言うともなしに言うナマエさんは「また夜に出直さなくちゃ」と小さく零した。
 ナマエさんがうちのエロールを看るときには一緒に台のそばに立った。俺がいることに安心しているのか、それとも年を取っていてあまり逃げ回ることでもないと知っているのか、エロールはナマエさんに触れられている間とても大人しかった。

「ずいぶんとおじいちゃんなのね」
「そうなんだ」

「だから重いものはあまり運ばせないようにしてる」と教える。とはいえ手紙を運ぶのは好きみたいだからエロールの負担にならない頻度でそれは頼んでいることも伝える。ゆっくり飛ぶから時間もかかるが、急ぎの用でない家族への手紙なんかはエロールに任せている。

「愛されてるのね」

 ナマエさんのエロールを撫でる手がとてもやさしかった。そうやってフクロウに真摯に向き合うその姿がかっこよくて、ああそうか、俺ナマエさんが好きなんだと気づいたときにはナマエさんがここに来て一週間が経とうとしていた。
 聞けば、ここにいるのは一か月程度だという。フクロウの数も多いしそれくらいは必要なのだそうだ。けれども俺からしたら一か月しかいないのか、と思ってしまう。

「ねぇ、ナマエさん」
「なぁに?」

 診察が終わったエロールはナマエさんが持ってきた普段ここでは食べない味のおやつに夢中になっている。そんなエロールを撫でながらナマエさんは俺を見る。こうやって一羽看終わるタイミングが、ナマエさんが俺と雑談をしてくれるタイミングだった。「彼氏いる?」そう聞こうと思った言葉は、けれどもいきなりすぎるよなと思って喉につっかえて出てこなかった。代わりにどうでもいい話題を振っていれば授業時間の終わりの鐘の音が聞こえた。次は俺も授業がある。

「行かなきゃ」
「授業頑張って。いってらっしゃい」
「ん、いってきます」

 一日の授業が終わって大広間で会えば、その時は「おかえり。お疲れ様」と言ってくれる。最近はそれを言ってほしくて俺はナマエさんに会いに行っている。



 夜の九時になると監督生は見回りに出かける。十時の消灯までにきちんとベッドに入れるように、出歩いている生徒たちを寮に帰すのが役目だ。消灯後に寮から出ている生徒に関しては教師の見回り対象になる。この時間に生徒が残っている場所と言ったら大抵大広間か図書室だと相場は決まっている。図書室の方は司書が追い出してくれるだろうから大広間の方に向かおうと階段を下りていると、動きを休めない階段の途中でナマエさんを見つけた。とんとんとんと跳ねるように階段を駆け下り、手すりにつかまって立ち止まっているナマエさんの横に立つ。

「どうしたの?」
「なかなか行きたいところに止まってくれなくて」

 ここの階段は気まぐれだ。遠回りをした方が逆に早く目的地に辿り着けるときだってある。とはいえ、コートにマフラー、手袋まで装備してまるでこれから外出する様子のナマエさんに「どこか行くの?」と問えば「ほら、昼間看れなかった子、見に行こうと思って」と返ってきた。ということは目的地は一階で、それは俺と同じだ。けれども「今から? 一人で?」と確認すれば「うん」とさも当然の様に返ってきた。

「チャーリーは? 見回り?」
「うん、そうだけど」

 そうじゃなくて、と俺の話は置いておいてナマエさんの話に戻そうとすればようやく動きを止めた階段にナマエさんが歩き出す。

「こんな時間に、一人で出歩くのは危ないよ」

 俺も行く、とナマエさんの後を追っていくがナマエさんはゆっくりと振り返ると「大丈夫だよ」とへらりとゆるい笑みを向けてきた。

「チャーリーは見回りでしょ? それに明日も授業があるんじゃない?」

 それはそうだけど。階段の気が変わらないうちに早く降りてしまおうと、ナマエさんは軽い足取りで階段を下りていく。それにつられて俺も一緒に駆ける。一階の地面に二人で着地して、階段を振り仰げばそこはもう先程までとは違う形になっていた。

「杖はちゃんと持ってるし、一羽看るだけだから大丈夫だよ」
「でも」

 食い下がる俺を大広間に向かわせようとするナマエさんは「ほらほら、監督生の仕事しなくちゃ、ね?」とまるで当時ナマエさんが監督生をしていて下級生に言うことを聞かせるときのような、そんな雰囲気で俺の背を押す。大広間から出てくる生徒が数人、すれ違いながらこちらを見てくる。監督生としては確かにその責務を全うするべきなのだけれど、それ以上に今は私情の方を優先させたい自分がいる。かといって生徒たちを寮に戻した後にナマエさんを追いかけたとしても、それでは消灯時間を過ぎてしまって監督生として示しがつかない。どうするのが一番いいのか、それを考えていると不意に「どうした?」と声がした。見ればナマエさんと一緒に来ていた魔法省の男の人で、「あ、いや」と言い淀む俺に対してナマエさんが事も無げに事情を話してしまった。

「ああ、なら俺がついていくよ」

 軽くそう言ってのけた男性は「一羽だけ?」とナマエさんに確認を取る。

「うん」
「オッケー。上着を取ってくるから待っててくれ」

 そのまま悠々と階段を上っていくその人はあっという間に見えなくなった。

「ほら、これなら大丈夫でしょ? チャーリーは生徒を寮に戻さないと」

 言われて、俺は渋々大広間に足を向けた。大広間に残っていたグリフィンドール生に声をかけて寮に戻るように促してそこを出れば、ちょうどナマエさんの同僚が上着を着て戻ってきていた。

「じゃあね。夜ふかししちゃだめだよ。おやすみ」

 二人連れ立って歩く後ろ姿を見るのはこれで二回目だ。前の時より胸のもやつきははっきりしていて、今回ばかりはその理由に自分でも気づく。単なる嫉妬だ。扉を出ていく間際、ナマエさんを先に行かせた同僚の男がちらとこちらを振り返ってひらりと手を振ってきたけれど、それがどうにも釈然としなかった。



 翌日は金曜日で、昨日が今日なら明日は休みだからと無理を言ってついて行けたかもしれない、とそんなことを考えながら朝食のベーコンをフォークでつついた。昨日寮に戻ってから朝起きてもずっとテンションの低い俺にルームメイトたちは何かあったのだと察した様子でそっとしておいてくれた。さすがに丸六年間も寝食を共にしていると家族よりも分かり合えるものだ。
 金曜日の今日は午前のみの授業で、午後は来週に迫ったスリザリン戦に向けての練習だ。がっつりとした練習ができるのは今週末が最後だ。だというのに気分が乗らない。大広間にナマエさんの姿がないのもそのせいかもしれない。
 はぁ、と一人ため息を零していれば隣に誰かが座ってきた。ルームメイトは気を利かせて離れたところにいる。後輩でこんな風に無遠慮に傍まで寄ってくるのは弟たちくらいだろうけど、視界の隅に入った足はそんな感じではなかった。誰だ、と思って顔をあげればその人物に驚いた。

「デートにくらい誘ったらどうだ」

 ナマエさんの同僚のその人だった。

「え」

 持っていたフォークを落としそうになって慌てて持ち直す。その人がそこに座って「コーヒーが飲みたいなぁ」と言うと音もなくそれは現れた。それからテーブルに並んだパンやベーコン、スクランブルエッグを皿に取り寄せたその人は俺の方をちらとみるとニッと口角をあげてコーヒーをすすった。

「バレバレなんだよ」

 パシッ、と軽く背を叩かれた。「まあ本人は全く気付いてないけどな」と笑ったその人は「あ、安心しろ、俺は妻子持ちだから」とパンにかじりつく。

「……」
「なんでって顔してっけど、お前、分かりやすすぎだから」

 こっちが二の句を継げないでいればその人は勝手に喋る。どうやら俺はこの人を見るとき、敵意丸出しの様子だったらしい。それに思っていることが顔にすぐ出ているそうだ。今だって何も言ってないのに的を射たことばかり言う。左手の薬指を見せてきたり娘の写真を見せてきたりして「俺はお前にとってのお邪魔虫じゃないぞ」と言うその人に、俺は何を言えばいいのか分からなくて反応に窮する。

「まあそう警戒するなよ」
「……なんで」
「なんでって、青春は大事にしないとな」

 見た感じその人は三十前後で、それなのに自分とそう変わりない年頃の人のように笑う、と思った。気さくという言葉が似合う。きっとナマエさんがこの人と親し気に話しているのは、偏にこの人自身の人柄の良さが滲んでいるからだろうか、と思えた。

「で、さっきの話だけど」

 急に話を引き戻したその人は「明日、ホグズミードだろ?」と問うてくる。なんで知っているのだろうと思いながら「そうだけど」と返す。

「誘ったのか?」
「いや……」
「なんで誘わない」

「放っておくとあいつ、休みの日までフクロウの世話してるぞ」と言うその人は分厚く切ってあるベーコンを三枚まとめてフォークで刺した。

「……迷惑じゃない?」
「迷惑なもんか」

「ま、誘ったところでデートと思われないのがオチだろうがな」と言うその人はナマエさんのことを鈍感だと話す。俺の知っているナマエさんは監督生で責任感があって、後輩の面倒見が良くて優しいその人だった。困っている後輩がいるとすぐ気づくくらいには、気の利く人だと思う。けれども一緒に仕事をしている年上から見れば年下のナマエさんはそういう風に見えるものなのだろうか。

「噂をすればなんとやら、だ」

 ほら、と大広間の入口の方を指さしたその人につられてそちらを見ればあくびをかみしめているナマエさんがこちらに気付いた片手をあげた。俺たちの正面に座ったナマエさんは「二人ってば、いつの間に仲良くなったの?」と笑う。皿を引き寄せてフルーツを盛るナマエさんに気付かれないように、彼が肘で俺の脇をつついてくる。その意味は、さっさと誘えということだろう。ダメ元でもいい。意を決して「ナマエさん」とその名を呼ぶとナマエさんは「なぁに?」と紅茶に砂糖を落としながら小首をかしげる。

「明日、暇?」
「うん、休みだよ」
「だったら、一緒にホグズミード行かない?」
「明日ホグズミードの日なんだ。いいね、行こうよ」

 まるでなんてことない、天気の話をするような流れで二つ返事が返ってきて驚く。思わず「ほんと? 嘘じゃない?」と詰め寄ってしまって、けれどもナマエさんは「こんなことで嘘つかないよ」とふわふわと笑った。隣でナマエさんの同僚が「ほらな」と言う。予想外にデートの予定が出来てしまって気が動転していると城内に鐘の音が響く。一時限目が始まるまであと十分の合図だ。「やば、行かないと」席を立ち、鞄とローブ、それにパンをいくつか引っ掴んで走り出す。

「ごめん、ナマエさん、またあとで」
「うん、いってらっしゃい」

 いってきますの返事もそこそこに階段を駆け上がって廊下を走る。幸い今日の動く階段は俺に味方してくれるようですぐに目的の階までたどり着いた。あとは廊下を走り抜けるだけだ。教室に入ると同時に席を確保してくれていた友人たちのところへ向かう。そうして息を整えるのも忘れて両掌を合わせて頭を下げた。

「ごめん! ほんっとごめん! 悪いけど明日一緒に行けなくなった!」
「行けないってなに、ホグズミード?」
「そう! んであと服選んでくれないか!?」

 勢いよく現れた俺に何事だという顔が三つ並んでいる。教授が教室に入ってきて始業の鐘が鳴る。どこから見ていたのか「ウィーズリー、廊下は走らないように」と言われて肩を竦めた。友人らを見ると先程は驚いた顔をしていたが、すぐに意を得たり、としたり顔をしていた。持つべきものは友人だ。



 事情を聞いた友人らも皆ナマエさんのことを覚えていて、それでいて俺に協力してくれるという。授業が終わって昼食を取りに大広間に降りた際には、ナマエさんと顔を合わせるのにひどく緊張した。けれどもナマエさんはフクロウの様子を見に行っているのか大広間にはいなかった。その日の午後はそのままクィディッチの練習で、朝からテンションの低かった俺を皆が心配していたが昼には妙に落ち着かない様子で、けれども朝よりはまともな様子だとわかって「心配したぞ」「頼むぞキャプテン」と口々に言われた。夕食の席にはナマエさんと顔を合わせて翌日の待ち合わせ時間を話して、寮に戻れば友人らと衣装合わせをした。野暮ったくなく、かといって改まっていない、変にめかしこんでいない服装の自分が鏡の中にいた。

「変じゃない?」
「変じゃない」
「かっこつけようとするなって」
「お前はもう十分イケてる」

 友の激励を受けた俺は満を持して当日を迎えた。



 噴水のある広場で教授に許可証を提示する。それからナマエさんを待っていれば数分とせず彼女は現れた。こんなに緊張するのは初めてのクィディッチの試合の時以来だ。

「この感じ、懐かしい」

 ぞろぞろと列をなしてホグズミード村まで行く道はナマエさんが卒業してから変わっていない。「卒業したらこっちに来ること、ほとんど無くって」と話すナマエさんは、普段はダイアゴン横丁にある店で働いていると教えてくれた。あそこにいれば大抵のものは揃う。わざわざこちらまで来ることもないのだろう。そう考えて、今回ナマエさんがホグワーツに来てこうやって再会できたことは奇跡に近いことなのかもしれないと思えた。
 ハニーデュークスにしか売っていないお菓子があって懐かしいといいながらナマエさんはいろいろ買っていた。その姿が本当に可愛くて年上の女性に言うのは失礼かもしれないけど子供のようだと思った。ゾンコの店に入るナマエさんのあとをついて行く俺に、店主の目は厳しい。以前誤って高価な品を台無しにしてしまったことがある。あれはわざとではないのだが、それでもやっぱり気まずい。

「どうしたの?」

 事情を知らないナマエさんにそのことを話すとナマエさんは笑って「そっか。じゃあもう出ようか」と店を後にした。二人で並んで歩くだけで、別に何をするわけでもない。ナマエさんはマダム・パディフットの店の前を通りながら「相変わらずだね」と懐かしそうな顔をする。それから郵便局の前を通りかかると、そこには二百羽ほどのフクロウが用途別に並べられていて、ナマエさんはそこの前で立ち止まった。郵便配達の速度により色分けされているフクロウが棚に並んでいる。フクロウを食い入るように見るナマエさんの後ろ姿を見ながら、ナマエさんが一緒にいるだけで何度も来ているこの場所に何故だかすごく新鮮味を感じた。
 聞くなら今しかないと思った。フクロウをまじまじと覗き込んでいるナマエさんの隣に立って「ナマエさん」と呼ぶ。すると「あ、ごめんね、つい見ちゃった」とフクロウから視線を外して俺を見上げてくる。身長はそう変わらないけれど、やはり女性の小柄な体格のせいか小さく見える。

「ナマエさん、彼氏いる?」
「ううん、いないよ。どうして?」

 ナマエさんの普段通りの様子にやっぱり意識されてないよな、と思う。それならそれで、はっきりと言えばいい。

「俺、ナマエさんのこと好きなんだ」

 はっきりと告げれば、普段から落ち着いた雰囲気を崩さないナマエさんがわずかに目を見開いたのが分かった。それから「えっと、え?」と視線を泳がせながら俺の方を見る。困らせてしまうのは分かってても「年下はだめ?」と聞いてしまう。へにゃり、と眉を下げたナマエさんは「だめっていうか……」と言葉を濁す。俺に言うともなく、ぼそぼそと言葉を紡ぐナマエさんは困惑した様子で、申し訳ないけどやっぱり可愛いと思ってしまう。

「今まで全然、そういうの考えたことなかったから、……その、弟みたいな感じで……なんていうか……」
「ごめん、困らせたよね」
「ううん、そんな!」

 やっぱりナマエさんは優しい。だから諦めきれなくなる。

「来週、試合なんだ。クィディッチの。ナマエさんも見に来てよ」
「え?」

 急に話題を変えた俺にナマエさんは驚いて、それから「え、練習いいの? 来週試合なのにこんなところにいて……」と心配してくる。

「いいよ。息抜きも必要だし」

 それよりもナマエさんの答えが聞きたくて「来てくれる?」と再度問えば「うん……」とおずおずと頷いた。「でも、どうして……?」と尋ねてくるナマエさんに、俺はなんでだろうと考える。なんとなくナマエさんに見てほしい、俺のことを見ていてほしいと思ったから。けれどもそれをはっきり告げるのは憚られて「ナマエさんが見てくれてたら勝てそうな気がするから」と言うほかなかった。



 一週間はあっという間に過ぎた。その間も俺は変わらず空き時間の時にはナマエさんのいるフクロウ小屋に通ったし、ナマエさんも最初は少しぎこちない様子でいたけれど今まで通りに接してくれた。週末、スリザリンとの試合が始まるその直前、選手が位置についてフーチ先生がホイッスルを吹くまでの間、ナマエさんが観客席の教員席にいるのを見た。よかった、来てくれた。この試合に勝ったらもう一度ナマエさんに告白しようと決めて俺はホイッスルが鳴るのと同時にすぐに飛び出した。けれども試合は負けで終わって、なんだか振り出しに戻されてしまったような気分になった。


初恋のさやけさ


 四年ぶりに訪れたホグワーツは昔と全然変わっていなくて、けれども四年で人はこんなに変わるんだな、と思った。
 久しぶりに訪れたホグワーツは私が入学した当初から全然変わっていなくて、先生たちも皆健在だった。闇の魔術に対する防衛術の先生だけは相変わらずコロコロと変わっていたけれど、それ以外は平和そのものだった。
 魔法省で今回の相棒と顔を合わせ、今までに何度か会ったことのある人だったから安心した。二人してタイミングを計ってホグワーツに赴くと、出迎えてくれたのはグリフィンドール生だった。名前を呼ばれ、初めは誰かと思ったがすぐに既視感が芽生え、それから間を置かずに誰だかわかった。チャーリーだった。
 彼と最後に会ったのは私がここを卒業する年で、かといって特別仲が良かったというわけでもない。ただ同じ寮の先輩後輩という程度の認識があっただけだ。別れを惜しんで熱い抱擁を交わすような間柄ではなかった。だからすぐにはピンとこなかった。それなのにチャーリーはとても人懐っこく私に接してくれた。部屋へ案内してもらう道すがら話をしていると、徐々にチャーリーという人物を思い出した。快活で活発。クィディッチチームに入って一年目はまだまだ芽が出ていない様子だったけど二年生からはシーカーとしてその頭角を現し始めていた。三年生に上がる頃には将来有望だぞと目されていた。生憎チャーリーが四年生に上がる頃には私はもうホグワーツを卒業しなくてはならなくて、それ以降の彼の活躍を知ることはなかった。
 そんな昔の彼を思い出すのと同時に、ほんの数日だけで今の彼の人柄も伺い知ることができた。監督生でみんなに慕われている。聞けばクィディッチのキャプテンでシーカーでもあるという。なるほど、慕われるわけだ。なんだか弟の成長を垣間見るというのはこういうことなのかなぁ、なんて思ってたから、まさか、あんなことになるなんて思いもしなかった。

***

 フクロウ小屋でフクロウの様子を見ているとよくチャーリーが訪れた。初めは授業をサボっているのかと思ったが、ちゃんと授業のない時間に来ているのだと言った。

「興味あるの?」

 あまりにもよく来るものだからそう問えば「うん、まあ」と返ってきた。もしかしたら思うところがあるのかもしれない。七年生は進路のことを考えなくてはいけない時期だ。空き時間に城内にこもっていては考え事も捗らないのだろう。こちらがあまり真剣に考えてしまうとかえってチャーリーも身構えてしまうだろうから「話し相手にならなるよ」と言えば、どうやらやはり進路に悩んでいるようだった。聞けば、クィディッチのナショナルチームからスカウトの話が来ているのだという。

「すごいね」

 それが普通の人の反応だろうと思った。大抵の人なら受けるべきだと言うだろう。けれども悩んでいるというチャーリーに「何と悩んでるの?」と尋ねれば「ドラゴンキーパー」と返ってきた。なんだかすごい悩みを抱えているんだなと思った。「私の学生の頃はそんな悩み無かったなぁ」なんて言いながらチャーリーの考えを聞いた。訥々と話す様子に、それはなんだか相談するというより自分の考えをまとめたくて、ただ人に話を聞いてほしいだけのように見えた。だから私は話を聞き終わったあと「チャーリーはすごいね」とその一言だけ告げた。するとチャーリーは一頻り話し終えてすっきりしたのか「話聞いてくれてありがとう」と笑った。いいアドバイスをしたわけでもないのに感謝されるなんて思ってなくて、チャーリーは本当にいい子だと思った。



 ある夜、昼間に看られなかったフクロウの様子を見ておこうと思って城から出かけようとしていたら監督生の見回りをしていたチャーリーに引き止められた。夜に外を歩くのは危ないからと。それは私もホグワーツで学生をしていたころに教師から何度も聞かされた話だ。それを後輩に注意されるなんて思ってなくて、ただチャーリーは私のことを年上だということを抜きにして、女の一人歩きは危ないのだと、そう言っているのはすぐに理解できた。とはいえ私だってもう成人した魔女だ。当然チャーリーより使える呪文は多くある。大丈夫だよと言ってもチャーリーは食い下がってきて、それがどうにもグリフィンドールの正義感の塊のようでちょっとだけ面白く思った。私が監督生をしていた時はここまで正義感を持てていたかどうかちょっと不安になった。
 そんな話を、チャーリーの代わりに夜道に同行してくれた同僚に話せば彼は「はぁ?」と言った。あれ、もしかしてもう休む予定だったのに連れまわされて不機嫌なのかな。「え? なに?」と問えば彼は私のことを見ながら「……いや、別に?」と何か言いたげな様子を見せた。「それだけじゃないと思うけどなぁ」と呟く同僚に何の話かと問うてみてもそれ以上の答えはなく、ただ「早くしてくれよ」と言われるだけだった。



 ホグズミードへの誘いは突然だったけれど、休日は特に予定もなかった私は二つ返事で承諾した。そういえばここを卒業してからホグズミードへ足を運ぶなんてことなかった。普段はダイアゴン横丁にいて、あそこにいれば大抵のものは揃う。
 噴水の広場で待ち合わせてぞろぞろと人の流れに従って歩くのが懐かしくて楽しかった。街並みもお店も何一つ変わってなくて、早速ハニーデュークスの店に入ってお菓子を買った。学生の時にはあまりお金に余裕がなくて厳選したものだけを買っていたけれど、大人になって財布に余裕がある今はいろいろ買いこんでしまった。「チャーリーもいる? 買ってあげるよ?」と先輩風を吹かせてみようとしたのにやんわりと断られた。じゃあバタービールをおごってあげる、と三本の箒に入ってそれを二つ頼んだ。チャーリーが何か言う前にお金を支払う。席について口に含んだバタービールはあの頃と何も変わっていなかった。バタービールと言えばここの味だ。イギリスの魔法使いの子供たちはみんなこの味で育つといっても過言ではない。お店を出て外を歩くだけでも楽しかった。私は浮かれていたんだ。だからチャーリーから好きだと言われるなんて思ってもみなかった。だって全然、そんな感じじゃなったから。



 土曜日にホグズミードに行って、日曜日は一日休みだったけれどチャーリーのことで頭がいっぱいで食事の時以外部屋から出なかった。食事ですら厨房に行って軽食をバスケットに詰めてもらって部屋で食べた。正直、チャーリーと顔を合わせるのが気恥ずかしく思えたから。
 月曜日の朝になって、朝食を食べている同僚を捕まえた。時間割のない私たちが大広間でのんびりしていても特に誰も気に留めない。始業の鐘が鳴って大広間にいる生徒が減るのを待っていると、その鐘と同時に同僚も席を立ってどこかに行こうとした。

「どこに?」
「禁じられた森」

「俺の方はもう終わってるから」と魔法生物飼育学で使われる魔法動物たちの確認は終わっていたようで、それならなぜ禁じられた森に行くのかと問えば「暇だから」と返ってきた。

「暇ならちょっと、付き合って」
「なんで?」

 立ち上がった彼をその場に座らせようとすると「あ」と視線を入口の方に向ける。何かと思って視線の先を追えばチャーリーがいた。そういえばチャーリーは月曜の午前は空き時間なんだったっけ。

「後輩きたぞ」
「……ちょっと、森まで散歩行こうかな」

 立ち上がって同僚に視線を投げて「一緒に来て」と合図する。入れ違うようにやってきたチャーリーはそれまでと変わらず「ナマエさん、おはよう」と挨拶してくれた。避けているのは私の方だ。

「おはよう」
「これからフクロウ小屋?」
「ううん、今日はちょっと別件なんだ」

「だから今日は小屋には行かないんだけど」と告げれば「そっか。じゃあまた今度」とチャーリーは言う。確か水曜日の午後に空き時間があったから、それまでにどうにか気持ちを整えないと、と私は同僚を引き連れて城を出た。

「なんかあった?」

 城を出て禁じられた森に行くまでの道すがら同僚は率直に尋ねてきた。これから相談しようとしていた手前、変に隠すこともないかと「好きって言われた」とはっきり答えた。と同時にすぐに周囲に視線を巡らせる。幸い近くには誰もいなかった。もしこれを聞かれてチャーリーは年増好きだなんて変な噂を流されたら迷惑になってしまう。

「よかったじゃないか」

「答えはイエスだろ?」と言ってきた同僚はどこか楽しそうで、困惑する私の表情を見て私の考えなんて分かっているだろうに笑っている。

「年下だよ。四つも」
「だからどうした? 俺の嫁さんは五つ下だよ」
「チャーリーはまだ学生なんだよ」

 男が年上か女が年上かはずいぶんと印象が変わる話だろう。それにチャーリーはまだ学生なのに、と言えば同僚は「うちは付き合いだしたの、嫁さんが学生の頃からだよ」と言った。顔見知り程度の間柄の人のパートナーとの馴れ初めなんて気にしたことなくて思わず「……え、そうだったの?」の零してしまった。

「学生っつったってもう成人してたし」

 魔法界の成人は十七歳だ。つまり七年生の時点でもう成人している。魔法界の常識だ。それはそうなんだけれども、と言い淀んでいると、禁じられた森はすぐ目前まで迫っていた。ハグリッドが小屋の外で作業をしていた。

「おお、どうした、今日は二人か?」

 どうやらこの同僚は禁じられた森に何度も訪れているようだった。私は正直、ここに行くのは気が引ける。足踏みして悩んでいると「悩むべき所はそこじゃないだろ」と声がした。

「え?」
「長い目で見りゃ、四、五歳なんて誤差でしかないんだから」

 それは、そうなのだけれども。

「あいつは『いい男』だよ。二週間前に初めて会った俺でもわかる」

 そんなの私にだって分かっている。分かっているから、チャーリーはどうして私がいいのか、それが分からなかった。



 意識をしないようにすればするほど意識をしてしまう。それがなんだか、初めて彼氏が出来た時のことが思い出されて学生に戻った気分になってしまう。けれどもチャーリーは今まで通り何も変わってなくて、きちんと返答をしていないのにまったく気にした様子がない。なんだか彼の方が年上の様に思えてしまう。気まずいはずなのに、何故だかそうとも思わない。それが不思議で、心地よくて、またチャーリーがフクロウ小屋に来てくれるのが嬉しくて、それでも私は自分の気持ちに向き合うことが出来なくて、なんだかんだともたもたとしていたらあっという間にクィディッチの試合の日がやってきてしまった。
 グリフィンドールとスリザリンの試合。気持ち的には断然グリフィンドールを応援しているのだが、教員席では赤も緑も飾られていなかった。ユニフォームを着てチームメイトの輪の中心にいるチャーリーはキャプテンの風格があって、試合開始直前、シーカーのポジションについたその姿は、顔なじみの後輩だとか、好意を寄せてくれているから特別視しているだとか、そういった理由なしにかっこよく見えた。
 試合開始のホイッスルが鳴ってすぐに散り散りになった選手たちだが、私はどうしてもチャーリーを目で追ってしまっていた。観客席からうねるような歓声が聞こえる。そしてブーイング。何事かと思えばスリザリンのビーターの一人が棍棒を振るってブラッジャーをグリフィンドール選手に目掛けて飛ばしてきたようだった。グリフィンドールからのブーイングの嵐の中でもフーチ先生はホイッスルを鳴らさない。試合は続けられるようだ。そうこうしているうちにシーカーに動きがあった。スニッチを見つけたようだ。先に動いたのはスリザリンの方で、チャーリーもすぐに追う。選手飛び交うフィールド内で器用に箒を操り、急旋回を見せるスニッチに振り払われることなくターンをしたのはチャーリーだけだった。

「こりゃあ、大したもんだ」

 隣にいた同僚が手を叩く。「ああいうのは唾付けておいて損はないぜ」と茶化してくるから「何言ってるの」と一蹴する。好きだと言われた手前、そんなことを言われると気が気でなくなる。隣の観客席はグリフィンドールの下級生で埋められていて、そこから聞こえる歓声は黄色い悲鳴のようで、チャーリーの名が耳につくたび妙な気分になった。



 試合が終わると観客たちは観客席から降りていく。生徒全員が撤収するのを何人かの先生と一緒に見守り、誰も残っていないのを教員席の上から確認した。目が回る狭い螺旋階段を下りて地上に足をつけるころには少し足元がふらついた。試合の熱気がまだ残っているような気がする。クィディッチの試合を見るのってこんなに興奮したっけ、なんて考えながら歩いていると選手控室からグリフィンドールの生徒が出てきた。きっと試合後のミーティングをしていたのだろう。負けたとはいえチームメイトたちにそこまでの悲壮感は見受けられなかった。なんだか青春だなぁ、なんて考えていたら選手たちの中にあった赤毛が目についた。チャーリーだ。こういうときキャプテンはチームメイトになんて声をかけるんだろう。そんなことを思っているとチャーリーと目が合った。こちらに気付いて、友人らに断りを入れてその輪を抜けてきたチャーリーに、私の隣を歩いていた同僚は目敏く気づいて「先行くわ」と歩幅を大きくした。

「ごめん、負けた」

 こちらに来るなりへな、と眉を下げて笑ったチャーリーに、私は思わず反射的に「なんで謝るの?」と言ってしまった。「すごくかっこよかったよ」と素直な感想を伝える。試合の最後はスリザリンのビーターがチャーリー目掛けて飛ばしてきたブラッジャーに邪魔をされ、チャーリーが体勢を立て直しているうちにスリザリンのシーカーがスニッチを捕まえてしまった。ブラッジャーに気付いて素早く躱していなければ今頃医務室のベッドの上だった可能性だってあるのに、あんな攻撃を受けて箒から落ちなかったのだからすごい。私の言葉にチャーリーはきょとんとした顔をした後、それから照れたようにはにかんだ。

「ありがとう」

「でも、勝って良い所見せたかった」と肩を落とすチャーリーに、その姿に胸がトクトクと脈を打つ。ただ歩いていただけなのに、走った後のような、驚かされた後のような、そんな心臓の騒がしさに、それが何なのかはいやでも分かる。私は今、ドキドキしているんだ。

「ごめん、俺いま汗臭いかも」

 途端に黙り込んだ私に、何を思ったのかチャーリーが半歩離れる。

「そんなことないよ」

 本当に、いい匂いって言うとおかしいかもしれないが嫌な臭いではない。ごく自然な、人それぞれにある匂いだ。ただそれが普段より濃く感じられるのはきっとチャーリーの体温が上がっているからだろう。そういえば体臭というのは遺伝子レベルでのその人との相性を図れるのだと聞いたことがある。相性がいいと心地いい匂いだと感じるんだと。好きだからいい匂いだと思うのか、いい匂いだから好きになるのか、どちらが先かは分からないけれど、とそこまで考えて足が止まる。私はいったい何を考えているんだろう。これではチャーリーのことが好きみたいだ。
 気が付いたらグリフィンドールの他の選手や先生方はみんな先の方を歩いていて、今はもう私たち二人だけになっていた。また心臓がうるさくなる。急に立ち止まった私にチャーリーが数歩先で振り返る。

「ナマエさん?」

 坂道の少し上から見下ろしてくるチャーリーは、もとより私より少しだけ身長が高いけれどそれでもいつも以上に見上げてしまう。クィディッチのユニフォームを着ているからかもしれないし、いつもと違う角度で見るからかもしれないが、先程のクィディッチでのチャーリーの姿を思い出し、その時の様子と相まってなんだか妙にかっこよく見えて、途端に意識し始めてしまって頬が熱くなる。年下とはいえ魔法界では成人している年齢だし、体つきだって成人男性のそれに限りなく近い。子ども扱いする理由なんて何もないのに、私はどうしてそんなくだらないことばかり考えていたんだろう。
 熱くなる頬を冷ますように自分の冷えた指先を当てる。

「ナマエさん? 大丈夫?」

 近寄ってきたチャーリーが体を屈めて覗き込んでくる。至近距離にどぎまぎする。思わずふいっ、と目を逸らしてしまって意識してしまっていることを否が応にも自覚する。

「もしかして体調悪い?」

 チャーリーが掌を私の額に当ててくる。けれども運動した後のチャーリーの手の方が熱くて「チャーリーのほうが手、熱い」と言えばチャーリーは「ほんとだ」と笑った。

「ナマエさんも仕事大変なのに、せっかくの休みなのにごめん」
「ううん、違うの」

 頭を振る。距離は変わらない。内緒話をするような距離にいるのに、その近さが全然嫌じゃない。離れたいとも思わない。ここにはもう私たち二人しかいないからこんな距離で話す必要なんてないのに。ああそうか、二人だから、こんな距離になれるのか。

「チャーリーがすごくかっこよかったから、私、変に意識しちゃって……」

 視線が泳ぐ。けれども時折合う青い瞳は揺らぐことなくこちらを見ている。言って、恥ずかしくなってマフラーに口元を隠す。ちら、と窺うように上目でチャーリーを見ると、変わらずチャーリーはこちらを見ていた。

「えっと、だから、その」

 何を言えばいいのか、自分が何を言いたいのか、こういう時どうすればいいのか全然わからない。私も好きだって言えばいいのか、態度で示せばいいのか、恋愛の仕方を忘れてしまったように何も思い浮かばなくて、やっとの思いで出した言葉は、蚊の鳴くように小さく、それでいてどことなく頼りないものだった。

「……本当に私でいいの?」

 私の言葉の意味をチャーリーはすぐにくみ取ってくれる。「ナマエさんがいいんだ」という言葉と同時にチャーリーの手が頬に触れる私の手に重なる。やっぱりチャーリーの手は暖かい。そっとその手を握って、チャーリーの掌に頬を押し当てる。人の体温がこんなに心地いいなんて。

「……これってつまり、イエスってことでいい?」

 最終確認をするようなチャーリーに「……うん」と頷くと、次の瞬間には私はチャーリーの腕の中にいた。ふわりと足が地面から離れて視界が回る。私はチャーリーに抱き上げられて、私を抱き上げたチャーリーはその場でぐるりと回っていた。

「わ、チャーリー、危ないよ」

 驚いてしがみつくとチャーリーはそっと私を地面に戻してくれた。けれども体は離れない。ぎゅう、と抱き着いてくるチャーリーは視界から消えてしまうほどに近い距離にいる。

「俺、試合に勝ったらもう一回好きだって言おうと思ってて、でも負けたから焦ってて、ナマエさんがここにいる間に何かしなくちゃって、そればっかり考えてて」

 くぐもった声のチャーリーの言葉に、全然そんな感じがしていなかったから驚いた。それを言えば「だって、ナマエさんの前ではかっこつけたいし」と腕の力を緩めたチャーリーが額を合わせてきて、そこでようやく年相応の少年の雰囲気の残る素朴な笑みを見せた。

「……かっこつけなくても、そのままで充分かっこいいのに」

 私の言葉にチャーリーは一瞬呆けた顔をして、それから「それ友達にも言われた」と笑った。


20211212
49th Happy Birthday!


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