ぬるま湯みたいなしあわせ


※48歳風味


「チャーリー」
「どうした?」

 ソファの上からチャーリーを呼べば淹れ立てのコーヒーの湯気立つマグカップを二つ持って戻ってきた。テーブルにカップを置いて隣に腰かける。チャーリーの重みで少しだけ傾いだが、そのままの勢いでその体に体重を預けた。
 チャーリーの太い右腕に抱き着いて肩に額を押し当てる。ぐりぐりと意味もないその行動に、チャーリーはコーヒーを一口すすりながら「なんだよ」と小さく笑った。

「ちょっと、カップ置いて」

 言えば素直にそうしてくれる。

「何をご所望で? お嬢さん」

 普段からそれほど感情の起伏が激しいわけではないが、今日はいつになく機嫌が良いと見える。ならばそんなチャーリーに甘えさせてもらおう。のそり、と緩慢な動作でチャーリーの太ももを跨いで向かい合わせに座る。胸板に手をついてぴと、と体を寄せれば「今日は随分甘えただな」と優しい声が耳朶に響いた。

「……お腹痛い」

 月の障りなんだと暗に告げれば、「よしよし」とまるで母親が子供にするように頭を撫でられた。腰に回された腕に力を込められて僅かばかり距離が詰まる。それからソファの背にかけていたブランケットを引き寄せて包む様に肩にかけてくれる。優しい。チャーリーの丸太のように太い胴に抱き着くと、とくとくと心臓が脈打つ鼓動と人肌のぬくもりが伝わってきて酷く心地よかった。
 スン、と鼻を鳴らしてチャーリーの首元の空気を吸えば安心する薫り。嗅ぎなれた匂い。

「……おひさまの匂いがする」

 まるで干したての布団のような心地良さと懐かしさを感じていると、上の方から「誰がダニの死骸だって?」と冗談めかした声がした。

「もう」

 そんなこと言ってないじゃない、とつられて笑う。笑う振動すらも心地いい。
 筋肉質なチャーリーは冬でも厚着をしなくてもいい程度には代謝がいいらしい。曰く、筋肉は温かいという話だが、夏にはくっつかれると鬱陶しいものの、こういう時ばかりは心地いい。冬になると人肌が恋しくてむやみにくっつきたくなるのだが、もしかしたらチャーリーは私のその考えを知っていて冬のこの時期はやけに機嫌がいい日が多いのかもしれない。
 チャーリーの背とソファの背の間の手を少し下げて肉厚な腰回りを触る。硬かったそこも、最近は少し柔らかいものが増えたように思う。ちら、と視線だけ上げて盗み見たチャーリーの目元には、昔はなかった小じわが見え隠れしていた。年相応といえばそうだ。いつも生傷をこさえていたが、それが少なくなったのはいつの頃だっただろうか。
 チャーリーの肩口に預けた額から熱がじわじわ流れ込んでくる。子供のような温かさだ。

「これはもう昼寝コースだな」

 チャーリーに凭れ掛かって脱力しきっている私に、チャーリーがテーブルのカップを取るため身じろぐ。コアラの子供のようにしがみついて離れない私を、チャーリーも落とさないように腕で支えてくれる。

「せっかく淹れたのに。冷めるぞ」

「飲むか?」と口元に運ばれてきたカップに「ん」と短く返事をして口をつける。

「……にがい」
「ブラックだからな」

 私のカップの中身は砂糖とミルクで甘ったるくしてあるというのに。もう一度身じろいで「ほら」と今度は中身が薄茶色のカップを口元に運んでくれた。私が飲んで、それからチャーリーも一口だけ口をつけた。

「あっま」

 カップをテーブルに戻したチャーリーが、ぐずる子供をあやすようには背をとんとんと叩いてきた。

「ほんとに寝そう」
「寝てもいいぞ」

 杖を振るって本と老眼鏡を呼び寄せたチャーリーがまた頭を撫でてくる。火傷の痕やタコの多いごつごつとした手。老眼鏡をかけて左手に本を持つ。右手は私の背を撫でている。まるで子供に戻った気分だ。
 一切傷のない首筋の肌はすべすべと滑らかで、そこに頬を寄せる。それから鼻の頭を擦りつけて、唇を触れさせた。

「くすぐったいんだけど」

 まるで猫だな、と僅かに口角をあげるチャーリーの視線は本に落とされたまま。それがなんだかおもしろくなくて、「えっちしたいね」とまるで他人事のように言えばチャーリーが本を持っていた手を下げた。

「うれしいお誘いだけど、そりゃ来週までお預けだなぁ」

 からからと笑うチャーリーに、意識を自分に向けてくれたことが嬉しくてもう一度その首筋に唇を押し当てたら、真面目くさった声のトーンで「本気で誘ってる?」と私の背筋をすすすと腰から首まで撫で上げた。
 ふふ、と笑って「どうかな」と告げれば「まったくお前ってやつは」とため息をつかれた。もちろん事は致せない。だというのに、こういう時ばかり積極性を見せる私に、チャーリーは「覚えてろよ」と恨めしそうな声を上げた。

20210115
title by 甘い朝に沈む


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