得体の知れない未来


 父に連れられて来た仕立屋の店主は女だった。
 道路から見えるショーウィンドウに飾られたスーツ。トルソーに着せているだけだというのに品がある。父のような人物が着るときっとうまく着こなすんだろうなと思いながら弟と一緒に父の後に続いた。
 重厚な扉が開いてベルが来客を知らせた。老舗らしい落ち着いた雰囲気の店内は深いウォルナットの色にドアノブやランプには金色が使われていて統一感があった。

「いらっしゃいませ」

 正面に佇む女は魔女らしく長いローブを身に纏って後ろ手に手を組んで立っていた。

「ブラック様、お待ちしておりました」

 後ろ手に組んでいた手を前に組み直して深々と礼をしてきた女の肩からその長い髪がひと房垂れた。
 父に頭を下げる人間は今まで何度も見てきた。それはうちが魔法族の中で由緒正しき家柄の人間だからだ。そのことは生まれた時から両親に言われ続けてきた。
 頭をあげた女が父と会話をしているのを見ていると、二言三言の短い会話の後、女はこちらに体を向けてきた。

「シリウス様にレギュラス様ですね。お初にお目にかかります」

 そう言って手を差し出してきた女につられるように握手を交わす。握手に慣れていないレギュラスを見る女の目は子供好きのそれだ。

「ナマエと申します」

 愛想の良い笑みを浮かべた女がにこりとこちらに笑顔を向けてくる。ナマエと名乗ったその女に目だけで返事をすれば父が「今日はこの子たちのを頼む」と俺とレギュラスの後ろに回って背を押してきた。

「かしこまりました」

 快い返答をして「さ、こちらへ」と案内するナマエは俺を見る。俺からということだろう。ナマエの後に続いて店の奥に向かう。その途中、見慣れない大人のスーツに必要なものを並べられた店内をぐるりと見まわす。まるで分厚い本のようになっている布の見本。タイにカフス、ボタンと言った細かな装飾の微妙に違うものがいくつも並べてある。店内中央には作業台があってその上には型紙が広げてあった。

「こちらへ」

 店内に彷徨わせていた視線を声のした方に向ければナマエが扉を開けて待っていた。案内されたそこは鏡張りの小部屋になっていた。案内されるままに入ればぱたんと扉が閉められる。そのまま着ていたジャケットを脱がされた。鏡越しにナマエの様子を窺っていれば視界の隅に動くもの。何かと思えば壁に掛けてあったメジャーがひとりでに空を浮いている。それにボードと羽ペン、羊皮紙。どこからともなく飛んできた羊皮紙はまるでそこが定位置だと言わんばかりにボードに自ら挟まれに行った。それを目で追っていると俺の体にメジャーが巻き付いてくる。腕に胴、肩幅を測っていきながらメジャーの端が生き物のように動いて羽ペンと会話をしているよう。羽ペンも勝手に動いて羊皮紙に何かを書き留めているからきっと測ったものを伝えていっているのだろう。魔法と言ってもまだ杖も与えられていない自分には、その光景が面白くて仕方がない。それをぼーっと見ていたら不意に腕に巻き付く違和感。何かと思って自分の左腕を見ればそこには蛇が巻き付いていた。

「うわっ」

 驚いて腕を振るったらそれは簡単に離れて、姿をメジャーに変えた。

「蛇はお嫌い?」

 くすくすと笑う女に、こいつの仕業だとすぐに勘づく。軽く睨めばナマエは小さく肩をすくめた。そういえばこいつは何もしていない。おそらくこの自由に動き回っているメジャーも羽ペンもナマエの魔法なのだろうというのは分かる。魔法とは便利なものだ。尚も体の至るとこに巻き付いてくるメジャーを無視しながら立っていると、鏡越しに視線を向けられているのに気付いた。不躾なほどのそれに鏡越しにナマエを見て「何だよ」と睨んで見せれば「ふふ、ごめんなさい」とまた笑われる。両の手の平を合わせてその指先を口元に持っていく仕草は子供のように幼く思えた。

「ホグワーツは来年から?」

 ふわふわと宙を彷徨っていたボードがナマエに近寄っていく。そこにある羊皮紙を見ながら問うてきたナマエに「ああ」と短く返す。

「楽しみね」

 人差し指を揺らして羽ペンを呼び寄せたナマエが傍に寄ってきたそれを捕まえて自分で羊皮紙に何かを書き加えている。短く何かを書き足したかと思うと手を離し、また羽ペンが宙を浮遊する。

「別に」

 ホグワーツなんて楽しみでもなんでもない。時折親に連れられて顔を合わせる純血主義の連中どもと四六時中生活を共にしないといけないなんて、それを考えたら今からもう辟易する。「どうして?」と尋ねてくるナマエに「スリザリンなんて陰険な所に入るくらいなら死んだほうがマシだ」と言ってやればナマエはきょとんとした顔をしていた。

「親がスリザリンに入ることを望んでる」

 説明するようにそう一言付け加えれば鏡越しのナマエは「今からスリザリンに入るなんて決まってるわけじゃないじゃない」と言う。

「でもうちは全員スリザリンだ」
「そうね。今までは」

 どこか含んだ物言いをしたきたナマエに「……何が言いたい?」時折父が社交界で見せるよ相手を探る物言いを真似してそう言えば、しかしナマエは気にした風もなく「未来がどうなるか分からないじゃない」と言う。鏡越しにナマエを見ているせいで自分の表情もよく分かる。胡乱げだ。

「運命は決まってるものだと思う? それとも自分で切り開くものだと思う?」

 突然そんなことを尋ねてくるナマエに何を言っているんだ、という意を込めて眉を寄せればちらりとこちらに視線を寄こしてきたナマエはわずかに口角をあげた。こちらの反応をみて楽しんでいるようだ。

「正解はその人次第。決まってるって思い込んでる人にはそうにしかならないし、自分で切り開くって思ってる人にはいくらでも未来の選択肢が生まれる」

 いつの間にか俺に巻き付いてきていたメジャーは壁に戻っていて、ボードと羽ペンも隅に置かれたベルベットのスツールの上に収まっていた。ナマエの手には羊皮紙のみ。それをざっと流し見て巻いていくナマエのほうに振り返って「だから何だって言うんだ」と見上げる。

「別に? 若い、未来ある少年に人生の先輩からのアドバイス」

 まるで茶化すようにウインクをしてきたナマエ。今まで出会ったことのないタイプの女だと思った。

「さ、おしまいよ」

 そう言って扉を開けて促されれば小部屋を出るしかない。ナマエの横を通り過ぎる際に「まだまだこれから背が伸びそうなのに」という声が降ってきた。こんなタイミングでオーダー服を作るなんてやっぱりブラック家はお金持ちね、なんて独り言のように喋るナマエを無視して歩く。確かにそうだ。子供というのはすぐに成長して服のサイズが変わる。今年着ていた物でも来年には着られなくなっていることだってある。

「男の子なんて一年に何インチも伸びたりするのにね」

 俺にだけ聞こえるようにそう言ったナマエは手にしていた羊皮紙をいつの間にかどこかに消し去っていた。

「さあ、次はレギュラス様ですよ」

 父の元に戻れば代わりに弟が呼ばれた。九つの弟は少し人見知りをするところがある。不安げにこちらを振り返りながら鏡張りの小部屋に入っていく弟を見送っていると不意に「彼女に何か言われたか?」閉まった扉を見過ぎていたせいだろうか、父の声が俺に向く。

「……別に」

 一瞬だけ視界に留めた父は店内の物を面白そうに眺めていた。大人のものばかりある店内に自分の興味を引く物はあまりない。急に退屈に思えてきて適当に来客用のソファに座れば店内をゆったりと歩いてみて回りながら父が誰に言うともなく「彼女は、千里眼があるらしい」と言った。
 手にしたものをしげしげと見ては棚に戻し、また手にとっては棚に戻すのを繰り返す父を見ながら「千里眼?」と鸚鵡返しに問えば「知らないか? 千里眼というのは」と説明を始めようとする。そんな父に「それくらい知ってる」と言葉を遮って喋る。

「遠くの事が分かったり未来が視えたり、あと人の心を読んだりできるやつでしょ」

 それを言えば父はこちらに視線を寄こしてきて、その目と口端が楽しそうに弧を描いた。

「そうだ」

「ま、あくまで噂だがね」と言いながらまた棚に並んだものを見ながらゆっくりと歩く父が、まるで物語を聞かせるように静かな口調で話す。

「ただその噂だと、千里眼を持つ者というのは対象者に触れるとその者の未来が視えるというんだ。それで、彼女は客には触れない。客の未来を視てしまうことになるからね。なんでも見えた事実は変えられないらしい。未来を変えようと努めてみても、結局同じ結果を辿ってしまうようになっているらしい」

 そこまで言って踵を返した父はこちらを向いてあの女のように後ろ手に手を組む。

「その昔死を予言された者がいた。その者は自らの死を回避しようと屋敷に引き篭もっていた。しかしある日階段から足を滑らせて転落。打ち所が悪く命を落としてしまった」

 まるでこちらの反応を窺ってくるような視線。

「怖いだろ?」

 そう聞いてくる父の顔は楽しそうでまるで子供騙しに怖がらせようとしているみたいだった。

「……握手した」

 ナマエに触れられたといえばそれくらいだ。その事を思い出して言えば「そう。だから彼女に何か言われたのではないかと思っていたんだが」とまたじっとこちらを見てくる父の目。その目は探りを入れるというより俺の様子をや反応をみて楽しんでいるように見えた。
 そんな子供騙しなんかに引っかからない。引っかからないが、ナマエのあの意味深な物言いは引っかかる。どうしようか、父に話してみようか。しかしあんな抽象的な話、ただのくだらない戯言と言ってしまえばそれまで。そんなことを考えていると「お待たせいたしました」とレギュラスと連れ立ってナマエが戻ってきた。
 緊張したような面持ちだったレギュラスは今はもうそんな様子は微塵もない。弟はこの女に何か言われたのだろうか。

「二週間ほどお時間頂いても?」

 ナマエが父に向き合って話をする。少し申し訳なさそうなその様子に「構わないが、珍しいね。忙しいのかい?」いつもなら一週間もあれば仕上げられるのに、と父が言う。

「ええ実は昨日シャフィク様がいらして」

 突然の来訪に急ぎの仕立てを申しつけられたというナマエは肩を竦める。シャフィクという名を聞いて「ああ、あいつか」と察しを付けた父は「君も大変だね」とナマエの肩を叩いた。

「うちの方は来月までに用意してくれたら問題ない」

 そう言われたナマエがさっとカレンダーに視線を向けた。つられて一緒にカレンダーを見る。何も書き込まれていない、日付と曜日が並んでいるだけのそれだ。

「ありがとうございます」

 店に来た時のように深くお辞儀をしたナマエに父は「さあ、帰るよ」とレギュラスの肩を叩いた。ドアに向かう父と弟を追って俺もソファから降りる。俺が歩き出すのを待ってそのあとをついてくるナマエ。父が扉の前まで行くと勝手に開いたそれ。

「それではまたお手紙お送りします」
「頼んだよ」

 扉の横に立ったナマエが小さく会釈をする。父と弟に続いて俺も店を出ようとすればそっと、軽く触れるだけの動作でナマエが俺の背に触れた。先程の父の話にはっとナマエを振り返ればなんてことない、愛想のいい笑顔を浮かべている。

「またいらしてくださいね」

 扉をくぐって道路に出ればそこはマグルの世界。魔法使いにしか認知できないその店は、振り返ってみればもうそこに仕立屋はなく、ただの書店があるだけだった。

20200421


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