愛しと思へど音は出ず
「キールア」
拷問室の扉を開ければ一つ下の弟が肩で息をして鞭を振るっていた。
「ちょっと、ミル、まだやってたの?」
「こいつちっとも反省してない!」
姉の声も聞かずに尚も鞭を振るう弟に「はい、ストップストップ」と割って入った。
久しぶりに見た同じ髪色の弟は拷問よろしく天井から伸びた鎖に半裸で傷だらけの姿で吊るされていた。その姿を見つけてこれ幸いとちょうどいい高さにある胸板に抱きつきながら「キルア生きてる?」と問えば「ん、なんだよ」と大きな猫目がゆっくりと開かれ、状況を理解したキルアは「うわ」と声を上げた。
「やめろって」
両足首を枷で繋がれている不自由な足を曲げ、膝で軽く蹴ってくる。その様子に見た目の割に全く堪えていないのに気付き安堵を抱く。
「うわ、とは何よ」せっかくお姉ちゃんが来てあげたのに、と言えば「頼んでねーよ」と減らず口が返ってくる。
「ママすごく泣いてたんだよ」
「聞いた。感動してたって?」
「そうそう」
軽く蹴ってくる足を無視して鍛え抜かれた裸体に抱き着いて上目で見遣る。
「くすぐったいから離れろって」
身をよじるキルアに擽るように額を擦り付けて「久々に会った弟に愛の抱擁してるだけじゃん」とふざける。
「弟は他にもいるだろ」
「まぁたそんなこと言って。キルのお姉ちゃんは私だけでしょ?」
「ナマエ姉、離れろよ!」
それまで静かにしていたミルキが声を荒げる。鞭が床を叩く音が室内に反響した。
「あ、ブタ君いたんだ」
挑発するようなキルアの言葉にミルキが再び鞭を鳴らす。
「ちょっと、危ないでしょ」
自身の身の危険を感じてキルアから離れればその鞭がすぐさまキルアの体を打つ。腹部を抑えて苦しそうにするミルキに「傷口開いちゃうよ?」と言っても聞く耳はないらしい。キルアが家を出ていくときに刺された恨みがあるのだろう。恨み辛みを込めた鞭がキルアの体に痕を残す。
「ミルキ、もうやめなって」
「まだだ!」
キルアに堪えた様子もないのに尚も鞭打ちを続けるミルキに、この二人は本当に兄弟なのか、傍から見れば疑わしく思えるだろう。
「せっかくキルアが帰ってきたから遊ぼうと思ったのに」
拷問だなんだとここに閉じ込められた弟とやっと顔を合わせる許可を父に取り付けたというのに別の弟に邪魔されるなんて。弟二人は姉の言葉に耳を貸そうともしない。こうなってしまっては口を挟んでも無駄だと思い事の成り行きを静観する。
ミルキが挑発するようなことを言ってもキルアがそれに乗ることはないのにな、なんて喧嘩とも呼べないような弟たちの会話を聞くともなしに聞きながらこれいつ終わるかな、キルアと早くお喋りしたいな、なんて考えているとガシャン、キルアの腕を繋ぐ鎖が壊れた。あ、怒らせたかな、なんて他人行儀に見守っていれば久々に冷たいキルアの目。家を出ていたと言ってもそれで身についた暗殺者の技量が無くなるわけではない。衰えぬ冷たい目は自分に向けられているわけではないのに背筋がぞくりとした。その時、軽いノックの音がして背後の扉が開く音がした。
「なんじゃ、ナマエもここにおったのか」
「おじいちゃん」
振り返って見遣れば祖父。食事の場以外で家族が四人も揃うなんて珍しい。祖父に文句を言うミルキはしかし祖父からも往なされる。いつまでたっても理不尽で可哀そうな弟だ。
「キル、シルバが呼んどるからな」
「親父が? ……分かった」
自ら鎖から抜け出したキルアが肩を鳴らしながら拷問室を出ていこうとする。そんな弟に「えー、もう行っちゃうの?」と腕を絡めば「いい加減弟離れしろよな」とまるでどちらが年上なのか分からない物言いをされる。
「久々なのに!」
「おじいちゃんからも言って」と祖父に文句を垂れれば「キルの言う通りだな」と往なされた。
「もう!」
拷問室を出ていくゼノとキルアの背を見送ったところで「あーあ、行っちゃった」と独り言を零して、それから部屋に残ったもう一人の弟に向き直る。
「ところでミル」
「なんだよ」
まだ納得してなさそうな様子のミルキに「キルの友達って何のこと?」と問う。先ほどキルアを挑発するのに言っていた言葉。
『お前の友達とやら、うちに乗り込んできて執事室の近くまできてるそうだぜ』
そんな話は自分は聞いていない、と主張すれば「ママが言ってたんだよ」と傷口を摩りながら言う。
「執事室の近くまで来てるってことはカナリアのところ越えたんだ?」
「そういうことだろ」
「あー、くそ」と悪態をつきながら鞭を投げ捨てて拷問室を出る弟について自分もそこを後にした。
「お出かけですか。ナマエ様」
執事の館に来ればどこから聞きつけたのかゴトーがすぐに出迎えてきた。
「キルの友達が来てるって聞いたから」
「今カナリアに案内させております」
模範的な礼姿勢。そのゴトーの横を通り抜けて見知った扉を開ければ応接間を兼ねた大広間。
「そ。じゃあ待たせてもらうね」
勝手知ったる所作でそのソファに腰を下ろしながら「キルもそのうちこっちに来ると思うよ」と時計を見ながら告げる。拷問室を出た頃合から父の所に行きこちらに向かうならばもう本邸は出ている頃だろうか。
「では彼らが参られましたらお呼びいたしますので」
そう言って隣にある待合室の扉を開けるゴトーに「いいよ、ここで待つから」と視線を送る。じっと見つめればその瞳の奥に見え隠れする人間の心理が見えるような気がした。数秒睨み合うように見つめ合えば先に観念したのはゴトーの方で「かしこまりました。ではお飲み物をご用意致します」と執事然とした所作で出ていった。
「こんにちは」
カナリア、それにゴトーに連れられて執事の館に足を踏み入れた三人を正面から見据え、挨拶をする。一人はキルアと同じくらいの年、あとの二人はキルアより年上で、一人は自分より年上かな、なんて探りながら人当たりの良い笑みで出迎えたのに相手の出方は警戒心に満ちたものだった。
「誰だ」
「執事の一人か?」
まあ警戒するという姿勢は褒めておこう。見たところ一番年下の少年はカナリアに酷く攻撃を受けたようで、そんな敵地と呼んでも違わない場所にいるのだから、警戒することは当然だろう。なのにうちの執事は変なところで律儀というか真面目だ。「お前ら口を慎め」と凄んで見せるゴトーが「この方はキルア様の」と言いかけたところで静止する。
「ゴトー」
「……失礼いたしました」
一歩下がったゴトーに、改めて三人と向き合って「初めまして」と挨拶する。
「キルアの姉のナマエです」
すると三人はそれもまでの警戒していた様とは一変し、一様に驚いた顔をして、声を揃えて大にした。
「キルアの姉!?」
「キルアのお姉さん!?」
「キルアの姉ちゃん!?」
軽く前のめりになった三人に思わず笑ってしまう。
「はは、三人仲良いんですね。息ピッタリ」
まじまじと見てくる三人のうちの一人が「似てるな」と零す。
「キルアに?」
「ああ」
「兄弟の中ではキルアが一番似てるかな」
同じ色をした髪を指先に巻き付けながらそう告げる。そう言えば兄弟の誰かに似ているなんて言われたのは久々な気がする。幼い時は成長するにつれて執事の、とりわけツボネなんかには「よく似ていらっしゃいます」と言われたものだ。そんな昔話を思い出していると「じゃあギタラクルとも兄弟?」という声に現実に戻された。
「ギタラクル?」
聞き覚えのあるようなないような、そんな名前に小首をかしげれば綺麗な顔をした青年が丁寧に説明してくれる。
「イルミ=ゾルディックの偽名だ。ギタラクルという名前でハンター試験を受けていた」
「へぇ。変な名前」
思わず口をついて出た一言に三人は少し虚を突かれたような顔をした。そういえばあの兄はハンター試験を受けてそのまま手に入れたライセンスを持って仕事に行ってしまって今は屋敷に居ない。連絡は取っていたがもう随分と顔を合わせていないな、なんて思い出しながら、それでもキルアの帰宅に嬉しくてそんなこと忘れていた。
「あいつとも兄弟、ということか?」
「ええ、そう。あれでもうちの長男」
一体兄は彼らの前で何をしたのだろうか。暗殺者だということをバラした、というだけではなさそうな彼らの反応に少し怪訝に思う。
「よろしいですか?」
その場の雰囲気が些か剣呑になったのを察知したのかゴトーが会話に割って入る。
「キルア様が先ほどお屋敷を出られたと連絡がありました」
その物言いは家の人間の自分に向けたもので、思っていたより父との話が長引いていたのを知る。そりゃあ家出をして帰ってきた息子と会うのは父も久々だからいろいろ話すことがあったのだろうと推察できたが、しかし少し気になる。
「ちょっと外出てくるね」
その場にいた者たちに一言言い置いて席を立つ。自分だって可愛い弟といろいろ話をしたいのに、なんて思いながら携帯電話を取り出してキルアのそれに発信する。呼び出し音を聞きながらなかなか出ないな、と思いつつもしつこいくらいにコールを鳴らし続ける。留守番電話へ繋ぐアナウンスが聞こえた瞬間一度発信を切り、またかけ直す。それを幾度か繰り返しながら館の廊下を歩いて裏口から外に出て本邸に続く道が見えるところまで来る。そのうち着信拒否されてしまうかなと思い始めた頃、携帯電話を当てていないほうの耳に電子音が聞こえてきた。
「え」
携帯電話を耳から離して両耳でその音の出所を探っていれば視界に入ってきたのは電話をかけたその相手。
「げっ、なんでいるんだよ」
「なんで出ないのよ!」
尚も発信を続けていた携帯電話を切ればキルアから聞こえていた電子音も途切れる。
「だってもう行くし」
「ちょっとくらいお姉ちゃんの所に顔見せに行こうとか思わないわけ?」
「別にいいだろ。今生の別れでもあるまいし」
「これが最後になったらどうするの!」
小煩い母の気持ちが今は分かる気がする。こんなに邪険にされたら必要以上に構いたくなってしまうのは仕方がない。
「うるせぇなぁ」
「何よお姉ちゃんに向かってその態度!」
一緒に館に入っていきながらキルアの隣を歩く。改めて隣に並んで立つのは久々で、成長期の弟を実感する。
「私が電話したらちゃんと出なさいよね」
「大した用でもないのに電話してくんなよな」
「じゃあキルアから連絡してきて」
思春期の弟は可愛い。邪険にされてもそれはこの時期のせいなんだと割り切ってしまえばなんてことはない。
「えー」
「えーじゃないの」
家にかけたくなかったら携帯でいいから、と言っても「だってなぁ」と尚も渋る。しかしその言い方は心から嫌がっているわけではないのは、姉弟だから分かる。この他愛もないやり取りを楽しんでいる風がある。
「ナマエ姉に連絡したらすぐ兄貴に言うだろ」
兄貴というのは長兄のことだ。
「言わないよ」
「嘘つけ。何でもかんでもイル兄イル兄つってるだろーが」
「そんなことないわよ」
そんなつもりはない、という意味も込めて言えば「どーだか」と肩をすくめたキルアに「じゃあキルが言うなっていうなら言わないでおいてあげる」と告げる。
薄暗い廊下を二人並んでゆっくりと歩いていたがもう大広間は近い。最後に「だからちゃんと連絡よこすのよ」と言えば「わぁったよ」と面倒くさそうに言ったキルアが扉の前で一度立ち止まって真っすぐこちらを見据えてきた。
「どうかした?」
正面に向き直って小首を傾げる。自分より低い位置にある目がじっと見上げてきて、けれども「いや、何でもない」と言って逸らされた。そのままドアノブに手をかけた弟に「何よ」とその頭に手を伸ばす。同じ髪色の癖毛に触れ、ぐりぐりと撫でまわして抱きしめる。
「や、めろよな」
そのまま押しのけられ、今度はすぐに開放する。
「会いたくなったら言って。飛んでいくから」
「……バーカ」
最後まで減らず口の弟の頭をもう一度撫でる。逃げるようにドアを開けて大広間に入っていくキルアが「ゴン!」と嬉しそうな声を上げるのを聞いて、そう言えばキルアのあんな声最近聞いてないな、というのと、キルアの友人の名前を聞くのを忘れていたのを思い出した。
キルアを見送って本邸に帰ってそのまま屋敷の奥に足を向ける。長く薄暗い廊下を通って目的の部屋に辿り着くと、ドアを開ける前に「入っていいぞ」と言われた。
「なんで分かったの?」
「キキョウがな」
きっと屋敷の至る所に設置している監視カメラが母のスコープに通じていて、それを見た母が娘の行き先に気付いて父に告げたのだろうと察しがついた。
「どうした?」
「キルと何話してたの?」
絨毯とクッションで整えられた父の定位置。その隣に勝手に上がり込めば何も言わず場所を開けてくれる父。
「ハンター試験の話を聞いた。あと友達の話もな」
「ふーん」
パパのせいで私がキルと話す時間なかったんだから、なんて恨み言は飲み込んで「ねぇ」と父の膝に手をつきながら問いかける。
「なんでキル行かせちゃったの?」
先ほどまでは息子の話をする父の優しい表情だったのが、少しだけ引き締まって「今は好きにさせてやるだけだ」と真面目な声音になる。
「じゃあ私も家出たいって言ったら行かせてくれる?」
特に意味はない。けれども気になったそれ。切れ長な父の目をじっと見て問えば探るような目を向けられる。それから「出たいのか?」と問われて曖昧に「ん」と答える。その反応に今の質問が本気ではないのは伝わったらしい。大きな手が頭に乗ってきて緩く撫でられる。兄のそれとは別の安心感を覚えるそれ。
「イルミにちゃんと相談しろよ」
妙に張り詰めていた空気が緩む。父のその言葉に「えー、パパが良いって言ってくれたらイル兄は何も言わないよ」と言えば「そうか?」と返ってきた。
きっとそうだ。最初こそこの父と同じように「なんで?」と言うだろうが、しかしすぐにいつもの思案顔になって、そうかと思えば「ま、それもありかもね」なんて言う気がする。渋る様子を見せたとしても家の外に二人になれる場所があるほうがいいといえばすぐに納得してくれるだろう。
「ね、キルの話聞かせて」
その場の空気を誤魔化すように、兄にするように父の膝に移動する。この父も大概自分に甘い。幼い頃のようにその膝の上に収まって父の心地いい声に耳を傾け、その体温に体を寄せる。弟の話に思いを馳せながらそういえばキルにいってらっしゃいって言えなかったな、なんて思った。
20200525
title by 誰花
レオリオに「姉ちゃんかわいいな」って言われて「あいつ兄貴大好きだから」て返すキルアも書きたかった。