あの日手折ったひとつの幸福



 可愛い妹。初めてできたきょうだい。自分より弱いそれは守らなくてはいけない存在だと父母に言われた。「お兄ちゃんだから」と。
 父さんやじいちゃんに稽古をつけてもらったとき、体術訓練でへとへとになって「もう歩けない」と駄々をこねるナマエをおぶるのはいつもオレだった。父さんだってよかったはずなのに、ナマエはいつもオレの背に乗りたがった。
 突然父に連れられ広い樹海のどことも知れぬ場所に置き去りにされ、自力で家まで戻ってこいと言われ、ナマエと二人で取り残された。日暮れが迫る中ナマエの手を引いて森を抜けた。思い返せば幼いナマエと二人なんて、あれは確実にオレに対してだけの訓練だった。
 毒に弱いナマエがよく寝込むのを、何度となく看てやった。皆同じように訓練を受けているというのに、とりわけナマエだけが毒に弱くて、毒の訓練をやめさせるように父に進言したこともあった。けれどもそれではナマエのためにならないからと受け入れられず代わりに「そう思うならお前がついて居てやれ、イルミ」と言われた。
 いつからだろう。ナマエを妹して見れなくなったのは。
 あれは確かナマエが初潮を迎えた時だったか。母親にナマエは大人になったのだと言われて、それがどういう意味か分からなかった。それから女の体の仕組みを知り、ナマエが女だということを意識し始めた。元は自分の勉強のために医学書を読んでいた。人間の急所や臓器の位置、骨や関節の仕組み、神経や筋肉の構造。そのうち男女の体に明確な違いがあるのを知った。生殖器だ。

「何で違うの」

 当時自分の傍でよく身の回りの世話をしていた執事に問うた。

「男女が番となり子孫を残すためです」

 本に書いてある通りの返答。

「家族でもするの?」
「いえ、いたしません」

 即答する執事に「出来ないわけじゃないんだよね」と問えば「はい」と返ってくる。

「かつては『自家の血統を濃く残すべし』『他家の血を混ぜない』といった純潔性を重んじた貴族階級で多く行われていた事実もございます。ですが近親交配をした場合血縁が近いため、両者が共通の劣性遺伝子を持っている可能性が高くなることがあります。そうなるとどうなるか」
「体の弱い子供が生まれる」
「左様でございます」

「ですから一般的には禁忌とされております」と言った執事の言葉は今でも覚えている。古い考えだが、かつての貴族階級に蔓延っていた「家系の為に」という崇拝心には同調する部分もあった。
 妹が「女」だということを意識してから、そして自分の体が「男」のそれに変わってから。年を重ねるごとに、日に日に女らしくなっていくナマエに否が応でも考えさせられた「女」というもの。初潮を迎えた妹の変化は著しかった。
 元々閉鎖的な家庭環境だ。同じ年頃の同性はもとより、異性とだって関わることがない。あったとしてもそれは家に仕える執事。主従の感情しか抱かない。必然的に年の近いナマエを「異性」という存在として認識し、意識した。ある時、年若い執事が妹を見る目に宿した欲情に気付いて、純粋な殺意を覚えた。あまりにもあからさまなそれに誤ったふりしてその男を殺した。その程度で命を落とすのならうちの執事には相応しくない。周囲は誰も詮索してこなかった。適当に「執事がへまをした」と言って収められる。長兄で親の信頼を積み重ねてきた自分だから出来る言い訳だった。その時はまだ、自分のその感情は、純粋に妹を守るためから来るものだと思っていた。汚らわしいものから護るため。純潔を護るため。
 思春期に異性へ興味を抱くというのは当然で、ただオレの場合その対象が、一番身近に居たのが妹(ナマエ)だっただけの話だ。きょうだいの中で唯一の女、同性の弟たちとは一線を画すような存在だった。扱いに関しても、振舞いに関しても、周囲の目に関しても、だ。
 十を過ぎ、十二に達し、初潮を迎えて思春期と呼ばれる頃、気難しくなるナマエに良くも悪くも意識が向かないわけがなかった。幼い時はお兄ちゃんと結婚するとまで言って懐いていた妹が、分かりやすく自我を押し殺そうとしている姿は健気そのものだった。下にできた弟たちに向ける目が、姉のそれではなく未だ末っ子のままのような、妹の目をしていたのに気付いたのは、オレを始め両親祖父母たち以外にはそう多くなかっただろう。

「おいで」

 呼べばすぐに駆け寄ってきて、頭を撫でてやれば嬉し気に笑う。そんな素直に自分に懐く妹に、自分が愛情を向けないわけがなかった。ただその愛情が家族に向けるものとは違うものになったことだけが、おそらく異常だった。
 ナマエを心身ともに手籠めにするには何がいいかと考え始めたころには自分のこの感情の名前を知っていたしその意味も知っていた。けれど抑えようとは思わなかった。ハニートラップの訓練、なんてうちでしか通用しないような言い訳だと自分でも笑えてきたが、オレに懐いて従順なナマエを騙すのには最適だった。最初こそ怪訝そうにして受け入れがたそうな態度を示していたが、始めてしまえばなんてことはない。ナマエだって年頃の女でそういうことに興味を示し始めていたんだ。その対象が他人ではなく兄だったというだけ。
 不幸中の幸いは、ナマエには一切針による強制――矯正が必要なかったことだろう。

20200414
title by 失青


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