越えられない一線


 なんてことはない日の放課後。デートの約束をドタキャンされて暇を持て余した俺は繁華街を歩きながら何の気なしに行きかう人々を見遣る。あわよくば適当にかわいい女の子をナンパしてデートに持ち込んでしまおうと考えながら夕方の、学生の増えたその道を行く。
 ほとんどが何人かの友人とグループでいるためなかなか声はかけにくい。見慣れた繁華街を抜けてよく立ち寄るゲームセンターの前を通りかかったとき、複数人の男に絡まれている女の子を見つけた。
 これは俺の出番だとすぐさまそちらに足を向けたが数歩進んでその女生徒の制服に思い当って足を止めた。どこか見覚えのある背格好に髪型、後ろ姿。探るようにしばらく遠目で見ていればちらりと見えた横顔は、確かに俺の良く知る人物だった。

「あー……面倒ごとは嫌なんだけど」

『ナンパ』という目的が『救出』へと変わる。この辺りではあまり見ない私立の女子校の制服に興味を抱かれて絡まれたのだろう。三対一で、どうみても以前からの友達という雰囲気でもない様子にナンパにあっているのは容易に想像できた。

「(何でこんなとこに居るかなぁ)」

 ため息をこぼしたくなるのを我慢して自然な足取りで四人の輪に入り込み、「お待たせーごめんね」と女の子の肩を抱く。突如現れた俺に驚いたらしい男たちは一様に顔を見合わせ、無言でどうするか問いあっているようだ。

「薫」

 そこにこぼれた女の子の声に、彼女を囲っていた男たちは即座に状況を把握したように「なんだツレ待ちかよ」と悪態をつきながら雑踏に消えていった。
 そんな男たちを見送り、姿が見えなくなったのを認めるとぱっと彼女の肩から手を放した。

「何してんの。こんなとこで」

 俺よりも頭一個半は低い位置にある顔を見下ろせば「買い物のついでで。ちょっとふらふらしてたの」と良く見知った幼馴染が笑った。

「危ないでしょ、こんなとこ一人でうろついてちゃ」

 制服で歩いていればすぐに学校を特定される。ましてやこの辺りでは有名な私立の女子校の制服を着て、こんな繁華街を歩いていれば悪目立ちしかねない。ゲームセンターという暇人ばかりが集まる場所では格好の餌食だ。

「こんなとこいるの見つかったらヤバいんじゃないの」
「大丈夫だよ。こんなとこまで先生こないもん」

 確かに、彼女の学校は電車で三十分以上離れた場所にある。よっぽどのことがない限り生徒指導の教師もこんな場所まで見回りには来ないだろう。
 せっかくこれから女の子をナンパしようと思っていたのに、こんなところで幼馴染に会ってしまっては仕方がない。放っておけばいいと言われるかもしれないが、しかし制服姿の彼女を一人こんなところを歩かせていれば先ほどのように良からぬ学生に絡まれるのも面倒だ。

「まあいいや、送ってくよ」

 買い物と言っていた彼女の腕に抱えられた荷物を取り上げれば「あ!」と声をあげられる。

「待って」
「まだ何か用事?」
「そうじゃないんだけど」

 何か言いたそうに俯いたかと思うとちらりと視線をあらぬ方へ向ける。それを追って見遣ればそこは先ほどからがやがやと騒音を漏らしているゲームセンター。

「ナマエちゃんさぁ……もしかしてここ行きたいの?」

 そう問えば瞳をキラキラさせて見上げられた。まるでおもちゃを買ってあげるといわれた子供のような反応だ。彼女の育ちからすればきっとこういう場所には無縁だったのだろう。小学校の時から名門と呼ばれる学校に入学させられ、世間が良しとしない連中とは一切関わらないような生活をしてきたはずだ。父親同士が親しくなければ、きっと今の俺とも関わることなく過ごしていただろう。

「えー」
「お願い、ちょっとだけ」

 俺からすればさして珍しい場所でもなんでもないが、ナマエには未知なる領域なのだろう。期待を込めたような輝く瞳を向けられたら幼馴染といえども女の子、女の子のお願いを無下にはできない。

「ああもう、しょうがないなぁ」
「やった! ありがとう! 好き!」
「はいはい」

 全く都合のいい口だ。俺の気持ちなんて知りもせずこうやってすぐ「好き」だというこの幼馴染に、俺はどれだけ翻弄されてきただろうか。
「怒られるの俺なんだからね」と小言を漏らせば「見つからなければいい話じゃない」とまるでこれからいたずらをする子供のような顔をされた。
 がやがやと喧騒に満ち溢れたゲームセンターでは会話もままならなくなる。忙しなく周囲に視線をやっていたナマエに不意に腕を引かれ何かと見遣れば、何か言っているようだが全く聞き取れない。口の動きだけで「かおるくん」と呼ばれたのはわかった。

「なに?」

 ナマエに聞こえるように普段より大きめの声を出し、耳を彼女の口元に寄せる。

「あれしたい」

 そう言って指さした先にあったのは世間認知度100%だと思われる太鼓でリズムをとるゲームだ。同意を示すようにそちらに向かって歩けばナマエが嬉しそうについてくる。
 多少喧騒が和らいだその場所で「ルールわかる?」と問えば「うん!」と無邪気そのものの笑みが咲く。
 思っていたより上手にリズムを刻むナマエだったがやはり連打のところは難しかったようで、ぺちぺちと変な感覚でばちを叩いていた。
 それからシューティングゲームやカーレースゲームもしたいと言ってあちらこちら歩き回る。いつのまにかナマエが俺に手を引いて歩いている。
 昔もよくこうして遊びに連れまわされた。女の子にしては活発で、大人たちに『お転婆』と呼ばれていたナマエは俺と会うといつも俺の手をひいて「あそこに行こう」「こっちに行ってみよう」と落ち着きなく動き回っていた。
 中学校に上がるころにはそうやって遊ぶ機会もめっきりなくなって、久々に会った彼女は私立の女子校の制服を身にまとい、あの頃のお転婆だった面影はすっかり成りを潜めて「いいところのお嬢さん」に成長していた。
 あらかた遊びまわって満足したのか、それとも次は何で遊ぼうか悩んでいるのか、辺りをぐるりと見まわしていたナマエの目が一点に定まったのを見た。

「取ってあげようか?」
「え?」

 振り返ったナマエに、聞こえなかったのかと思って彼女の耳元に口を寄せ「欲しいのあったら取ってあげようか」とクレーンゲームを指さして言った。普段だったら絶対に自分から何かとってあげようかなんて言うことはないのに、ナマエにだけは自然とその言葉が出たのは、俺が彼女に甘い証拠だ。
 鼻腔をかすめたナマエのシャンプーと女の子の、けれども香水などではない自然な香りが妙に俺の心をざわつかせる。
 いくつか並んだクレーンゲームの箱の中を順に見て回りながら「これ!」と言って指さしたのは、手のひらに収まるサイズのくまのぬいぐるみのキーホルダーの山だった。

「いいよ、何色がいい?」

 いくつか積まれているくまのぬいぐるみはよくあるキャメル色から黒、グレー、白、ピンクと、それぞれ毛色に合わせて目の色も変えてある。

「それ、その上のやつ」

 薄いキャメルを指さしたナマエに「おっけー」と返して百円玉を投下した。クレーンゲームはそれほど苦手ではなかったし一時期は結構やり込んでコツも掴んでいた。はずだったのに、少し怠けていたせいか思うように掴めない。取ってあげるといった手前ギブアップすることはできない。「惜しい!」と横で握りこぶしを作っているナマエをみると何が何でも、いくらかかってもとってあげなくてはという気分になった。

「あ……あ!」

 何枚目かの百円玉を投下したころ、ようやくクレーンに捕まれたぬいぐるみがこてんと転がり落ちた。

「すごい薫! すごい!」

 結構手こずったのにこんなに喜んでもらえると取ってあげてよかったと思う。ゲームセンター慣れした女の子相手だったらこうはいかないだろうなと思うと景品がとれたのに素直に喜べない。これではいざというときに女の子にかっこいい姿を見せられない。

「もっと練習しないとなぁ」

 独り言をこぼす俺にはお構いなしで、ナマエは両手で大事そうに持ったそのぬいぐるみを顔に近づけてにこにこと笑っている。その様は本当に小さな子供のようで、幼い時に見た光景に酷似していた。
 クリスマスの朝。「サンタさんからもらったんだ」とテディベアを抱えたナマエが心底嬉しそうに、ぬいぐるみの鼻に自分の鼻をこすり合わせながら笑っていた。そういえばあのときのテディベアも薄いキャメルの毛色だった気がする。

「そんなに喜んでくれて俺もうれしいよ」

 素直な言葉がこぼれ出る。小さな女の子にするように、ぽんぽんとその頭を撫でたのは無意識だった。あ、と思って手を離すときょとんとしたナマエの目が俺を見上げてきた。

「……さ、もう帰るよ」

 そのまっすぐな目から逃げるように踵を返してゲームセンターをでる。すっかり日が傾いて夕日ももう半分以上顔を隠してしまっていた。
 隣を歩いていたナマエがぬいぐるみを俺の顔に近づけて「なんだかこの子、薫みたい」と笑う。俺の髪色と同じ毛色。よくみればぬいぐるみの目の色も、どこか俺の瞳の色に似ているように見える。

「大事にするね」

 幼いころにしたように、ぬいぐるみと鼻をこすり合わせる彼女は無自覚なのだろうか。だったら質が悪い。

「俺だと思って大事にしてね〜」

 一線を越えられない俺に対するいやがらせかなにかだろうか。それにたいする俺も俺で、冗談でしかそう言えない自分に妙に嫌気がさした。


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