気まぐれ猫は甘えん坊


 季節うららかな五月。朝夕の肌寒さはまだ残るものの昼間は晴れていればとても心地よい季節だ。風のない日の穏やかな昼下がりは凛月にとっては絶好の睡眠環境が整う。
 今までは寒いからと空き教室を徘徊することが多かったがこれからの季節は外で寝るのもいいかな、と凛月は適当な木陰を見つけてそこに横になった。瞼の上を動く木漏れ日が心地いい。
 これならものの数秒で眠りに落ちられる。日の光は嫌いだけどこれくらいなら許せるかも。そんなことを思いながら凛月は静かに夢の中に落ちていった。

「……いない」

 普段凛月が睡眠に使っている空き教室、練習室、撮影所、一応保健室と回ってみたが一向に凛月の姿が見当たらない。教室にいないとなれば、この時間だ、絶対またどこかで眠りこけているのだろうと思って探し始めたけれどどうしたことか、今日は一向に見つかる気配がない。
 午後の授業を終え、HRが終わってすぐに教室を出たナマエは部活や練習、帰途につく生徒たちであふれる廊下を荷物も持たず右往左往する。
 一体どこに行ったのだろう。教室に荷物が置かれたままだし、一応スマホに電話をかけてはみたが眠っていて気づかないだろうという読みは当然のように当たった。

「うぅん……」
「どうした?」

 一度教室まで戻ってきていたナマエに帰り際の真緒が声をかけた。「凛月が見つからない」と肩を落として言えば「お前が見つけれないなんて珍しいな」と驚いた顔をされた。

「もしかして……誘拐?」
「いやそれはないだろ」

 仮にもアイドルが通っている学院だ。ファンが勝手に侵入しないように出入り口になる門はどこも厳重に警備員が配置されている。凛月本人が自ら外に出ようとすれば別だが、彼が昼間から自らどこかに行こうなどとするとは誰も考えない。

「Knightsが使ってる練習室は?」
「見た」
「三階の空き教室は?」
「ダメ」

 あそこは、ここは、と真緒が言いあげていく場所はどれもナマエがすでに見てきた場所ばかりだった。

「全滅か……あいつどこ行ったんだ?」

 顎に手を当て小首をかしげる真緒が「あ」と声を上げた。

「外は?」
「外?」
「今日温かいだろ? そろそろ外でも寝れる季節だとかなんとか言ってそうじゃないか」
「……確かに」

「ありがとう、探してみる」と踵を返そうとしたナマエに「俺も探すの手伝おうか?」真緒が声をかける。

「ううん、大丈夫。急用ってわけじゃないし。それに真緒だってすることあるでしょ?」

「ああ、まあ」と眉を下げた真緒にはきっとこれから生徒会の雑用が待っているのだろう。

「もし外でも見つからなかったら連絡するね」
「ああ、わかった。じゃあな」

 お互い片手で挨拶を交わしてナマエは昇降口へ降りた。下校する生徒でごった返す昇降口ももうすでに人は疎らになっていた。靴を履き替えて凛月が好みそうな木陰を考えながら歩く。眠るのだから、きっと人通りが多くなる場所の近くにはいないだろう。校舎裏か体育館裏か、どこかの建物の陰になる場所か、もしかしたら庭園の垣根の根元で隠れるように眠っているかもしれない。

「凛月〜 りっちゃん〜 りっち〜 くまくん〜?」

 当然返事なんてないだろうけれども一応呼びかける。迷子の猫を探すように垣根の下を覗き込む。

「り〜つ〜く〜ん〜」

 よく寝るしどこでもかんでも入り込んで寝床にしてしまう彼は本当に猫そのものだ。今は猫探しをしているんだ。そう思いながら猫が隠れそうな場所を思いながら歩いていくとどこからともなく人間らしい声が聞こえた。

「んん〜」
「凛月?」

 かすかにした声の方へ、そこにあるであろう気配を読みながらゆっくりと近づいていけば木の根の部分を枕のようにして眠っている大きな猫を見つけた。

「いた……」

 先ほどの声は寝返りでもうった時の声だろうか。むにゃむにゃと口を動かしながら寝る凛月はまだ起きそうにない。

「凛月ー起きて。もう授業終わったよ」

 彼の横に膝をついて肩を揺らすが反応はない。

「こんなとこで寝てたら風邪ひくよ」

 暖かくなってきた季節とはいえ日が傾き始めたこの時間帯は少し寒さが出てくる。腕を引っ張って上体を起こそうとすれば「やめてよ、まだ寝るんだから」と寝起き特有の甘ったるさの含まれた声が返ってくる。

「もう十分寝たでしょ」

 ぐいぐいと両腕を引っ張って徐々に上体が起き上がって、と思っていれば頭ががくんと前に倒れてそのまま体が傾く。

「あぶなっ!」

 ぐらりと揺らいだ凛月の体を咄嗟に全身で抱きとめる。起き抜けで体に力が入っていないのか、上半身だけでもそこそこの重さがある。

「もう、起きてよ」
「……頭ぐわんぐわんする」
「ごめんごめん」

 寝起きで頭を動かされたことがどうもお気に召さなかったらしい。「あ〜無理〜」とナマエの肩口に額を押し付けてくる凛月は本当に猫のようだ。
 よしよしと頭を撫でてやれば綺麗な黒髪が指の間をすり抜けていく。学年は同じでも年は一つ上なはずなのに、どうしてか年下のような気がしてしまう。

「ちょっと、頭撫でないでよ」
「なんでよ。いいじゃんちょっとくらい。減るもんじゃないし」
「やぁだぁ、子ども扱いしないで」

 ナマエの手から逃げるように凛月が頭を振る。

「じゃあ手間かけさせないでよ」
「もー、ナマエまでま〜くんみたいなこと言わないで」

 背中に回ってきた腕にぎゅっと力が込められる。そのままぐっと体重をかけられてナマエの視界は反転する。幸い地面は芝生で、回されていた凛月の腕もあってそれほど衝撃はないものの上に乗っかってくる凛月の重みで変な声がでる。

「凛月、重い。苦しい」
「ん〜」

 覆いかぶさってくる凛月が首元で息を漏らす。「くすぐったい」と主張しても「感じてるの?」と見当違いな答えが返ってくる。外してあるブラウスの第一、第二ボタンの隙間を縫うように凛月の唇が肌に触れる。

「血、ちょうだい」
「だめ。さっきまで寝てたんだから十分元気でしょ」

 早くどいてよという意を込めて凛月の肩を叩く。「もうちょっと……ナマエの匂いすき」と首筋ですんすんを鼻を鳴らす凛月に、ナマエは甘い。
 ふと仰ぎ見た空は普段よりも遠くて、地面に寝転がるという感覚が妙に心地よく思える。たまにはこういうのもいいな、公園にシートを引いて昼寝をするのも悪くないかもしれない。そんなことを考えていたらゆっくりとぬくもりが離れていった。ほんの少しだけ名残惜しさを感じながらナマエもゆっくり体を起こす。

「じゃあ、練習室行こうか」
「今日練習日じゃないよ」
「嵐くんに『Knightsに話があるから凛月ちゃん連れてきて』って言われてるの」
「ええ〜やだよ、帰ってナマエとイチャイチャしたい」
「もう……。早くしないと瀬名先輩にまた小言言われるよ」

 立ち上がりながらスカートや制服についた芝を払う。払いきれなかった芝を凛月にとってもらい、ナマエも凛月の背を綺麗にする。

「ブレザー着たまま寝るのやめなよ。皺になっちゃう」

 すでに皺のついてしまった裾を撫でるように伸ばしながら凛月の後ろを歩きだす。
 最近では泉に加えて後輩の司にも小言を言われるようになって、一応凛月の体裁を守るためにあの手この手と尽くしているのだがどうも本人に改善の意識が見られないと、ナマエはため息をこぼしたくなるのであった。


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