prism eye



 彼女は生きた人形だという。
 触れれば生身の人間と同じ暖かみ、柔らかさ。アンティーク調の椅子に座り、俯き加減の彼女に、その椅子に見合うような豪華な洋服を着せてやればどこからどう見てもそれはただの人形だ。「生きた人形」しかし彼女の真の価値はそこではない。
 固く閉ざされた瞼の裏、その奥に潜む彼女の眼球にこそ最大の価値が秘められている。
 彼女の眼球は夜の闇のように暗く、しかし煌めく宇宙の星々のような輝きを宿す。「プリズム・アイ」と呼ばれていたり宇宙をそのまま小さくしたようだからと「小宇宙」と呼ばれていたり、その名称は様々だが、情報は一貫して「漆黒の瞳に煌めく星屑のよう」だという。
 その眼球はクルタ族の緋の目と同等のランク付けがされているが、緋の目とは違い眼球のみを抉り出そうとすればその煌めきは失われる。一説には眼球の持ち主の感情を反映して眼球の煌めきが発生するとも言われているが定かではない。

 薄暗い部屋、椅子に腰かけ固く瞼を閉ざしたままの少女の正面、十メートルほど離れた場所に、同じように椅子に座りじっと彼女を見据えるクロロは、足を組み、肘掛けに頬杖をついて実に優雅な佇まいである。
「生きた人形」と呼ばれ、鑑賞されているだけあって鑑賞物としての彼女の存在感は申し分ない。俯き加減でもわかる彼女の整った容姿に透けるような白い肌、漆黒の艶髪は胸元まで伸びている。一見すれば育ちの良い令嬢のようでもある。

 ある程度の時間、そうやって彼女を鑑賞していたクロロだったが、本来の目的、彼女の煌めく瞳を拝もうと席を立った。
 静かな室内にクロロの足音が響く。数歩で彼女の目の前に到達するとその足元に膝をつき、そっと彼女の手を取った。
 暖かいその手は人間そのもの。垂れる髪の隙間に手を忍ばせ、彼女の頬をそっと撫でる。年若い乙女の肌だ。髪を一房手に取って遊んでみる。間近で見てようやく彼女が浅い呼吸をしているのに気が付くが、遠目からではどうみても動きのない人形だ。
 しばらくそうやって手の甲や頬を撫でてみる。人間であることを確かめるような行為。クロロの手は遠慮を知らないかように不躾なその行為を繰り返す。かといって変な下心などはなく、純粋に鑑賞対象をじっくりと見、実際に触って楽しんでいる様子だ。
 そうしているうち、彼女の瞼がわずかに震えた。それに気づいたクロロが手を止め、その瞼の裏に期待の眼差しを向ける。

「……」

 ゆっくりと開く瞼は繊細な睫毛を揺らす。俯き加減で瞼を開く彼女の目元は、下から覗き込むようにしているクロロの位置からでも多少見難い。
 寝ぼけ眼のような彼女の視線がゆっくりとあげられる。それに伴って室内に差し込んでいた月明かりに照らされ、彼女の顔が明確にクロロの視界に広がった。
 噂に違わぬその煌めき。漆黒の闇を思わす眼球に、どうしてか煌めいている何か。虹彩なのか。中央の黒目がブラックホールで、それを囲むように煌めくそれらは、まるで銀河のよう。
 目を覚ました少女はしかし、突如目の前に現れた人物に凝視され、なおかつ手を触られている現在の状況が全く把握できていないのか「あの、」と声を上げた。

「……ここは、どこ」
「アジトだ」
「アジト? 何の?」
「幻影旅団」
「幻影、旅団?」

 幻影旅団を聞いたことがないのか何度も目を瞬かせる彼女の瞳は変わらず宇宙で、クロロの意識を惹きこむ。

「新しいご主人?」
「そんなところだ」

 主人、と。彼女はその数奇な瞳と「生きた人形」という立場から転々と人の手を渡ってきた。個人の鑑賞としてや展示して金儲けをするためなど、理由は様々。「生き人形」として扱われたり、その瞳の価値を知る者のコレクションになったり。盗みに行くための下調べの段階では、彼女はとある人物に「生きた人形」という展示品として扱われていた。

「あなたは何が目的?」
「その瞳だ」
「そっか」

 そういうと彼女はじっとクロロを見据える。まるでその瞳を見せるように。
 じっと見つめれば見つめるほど、どんどん引き込まれそうになる。クロロが彼女から目を離さない間、彼女は瞬きをせずクロロに視線に応え続けた。

「瞬き、しないのか」
「しないほうが、よく見えるでしょう?」

 わざとか。どうやら鑑賞する相手のため、わざと瞬きをせずにいるらしい。聞けば極力瞬きはするなという命令を出された時があって、それ以来彼女はその瞳を目的とした者には親切にもそうやって見せてやっているのだそう。

「この瞳は一族の中でも極稀に発生するの。大体三世代に一人くらい。この瞳を持っている者が生きている限り、他にはこの瞳を持つ者は現れない。この瞳を持つ者は同時に二人以上は存在しない。だからこの瞳を持って生まれた者はたいてい生まれ変わりとして一族に尊ばれるの」

 唯一無二の存在というわけか。クルタ族のように一族が皆同様の眼球を所持するわけではなく、彼女の煌めく眼球はこの世に一対しか存在せず、なおかつそれは彼女の身体から離れれば煌めきを失う。

「もしここで俺がお前の眼球を抉り取ったとする。そうしたらその煌めきは失われるのか?」
「ええ、失われてしまう。けれど煌めきが失われればまた次に生まれてくる一族の子に眼球の煌めきは移行する。その眼球をもった子がいつ生まれるのかははっきりとしないけど、この世から煌めきが失せて数年後にはまた生まれるらしいわ」

「ほう」と感心したクロロはそこでようやく彼女から目線を逸らした。静かに立ち上がると同時に彼女の手をとる。

「今日からお前は俺のモノだ。いいな」
「はい、マスター」

 まるで人に所有されることに慣れている様子の彼女のその言動に、些かの不満を覚えながらもクロロは彼女の手を引き立ち上がらせる。

「俺の名はクロロ=ルシルフル。お前の名は?」
「私は、」

 ささやくようにつぶやいた彼女は、小さく微笑むと小首を傾げて一言残した。

「どうぞよろしく、クロロさん」


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