メイドの気遣い


 本日、久方ぶりにシリウス様が帰省されます。クリスマス休暇やイースターの休暇には帰って来られないシリウス様も、流石に夏休みには戻って来られます。きっとご本人は不本意で仕方ないのだろうということは、私にもわかります。夏休みだけはホグワーツに残ることができないのが、あの学校の決まりですから。
 けれどもきっとすぐにご友人のところに出かけてしまうような予感もしております。なんせそれがこの二年続いておりましたから。
 シリウス様がこのお屋敷を嫌っていたのは就学前からでしたが、グリフィンドール生になってからは一層度合いが増したように思います。奥様のあたりがきつくなったのも原因の一つでしょう。
 けれども血の繋がった唯一の家族なのですから少しくらいはこのお屋敷でくつろいでほしいと思うのは、ここに勤める私のおせっかいかもしれません。
 年に一度、一ヶ月も使われないシリウス様のお部屋ですけれども、そこはきちんと掃除されております。それはレギュラス様の部屋も同様です。何かあっていつ戻って来ても大丈夫なようにいつも万全にしているものの、けれどもそんなもしもは今のところ一度も起こったことがございません。
 シリウス様とレギュラス様が戻られるまでもう少し時間があるでしょうか。キングス・クロス駅からこのお屋敷までは徒歩で三十分と掛からない距離にあります。長いコンパスをお持ちのお二人ならきっとその半分の時間もあれば到着されるかもしれません。道中、お二人の間に会話があるのか非常に不安になります。
 皺を伸ばしたシーツの端を綺麗に整え、棚に積もったわずかな埃を拭いとります。
 せっかくシリウス様が戻られるのですから今日のご夕食は豪勢にしなければなりません。あとでクリーチャーに相談してみましょう。
 シリウス様の部屋をそっと出て階下に向かおうと廊下を歩いていれば玄関から懐かしいお声が聞こえました。思っていたよりも随分と早いお二人のご帰宅に、私は慌てて階段を下ります。

「お帰りなさいませ」

 久方ぶりにみたシリウス様はまた一回り大きくなられたように見えました。ちらりと私の方に視線を向けて、けれどもすぐに階段を上っていかれました。彼自身も久方ぶりで気まずいのでしょう。

「お帰りなさいませ、レギュラス様」

 改めてレギュラス様に向き直ってそう告げれば、レギュラス様は気を抜いた表情をして「ただいま」と小さくお返事を下さいました。

「荷解きのお手伝い、いたしますね」

 トランクを持って階段を上るレギュラス様の後をついて上る。以前までは雇い主様であるレギュラス様の荷物は私(メイド)が運んでいたのですが、いつの頃だったかレギュラス様に言われたのです。

「使用人である以前にお前は女だし、それに第一、俺が運んだ方が早い」

 ぶっきらぼうな物言いでしたがそこにはレギュラス様の優しさが確かにございました。
 レギュラス様について階段を上っていると廊下の奥からシリウス様が歩いていらっしゃいました。あの先は旦那様の書斎と奥様のお部屋があります。旦那様は出かけておられるので、おそらく奥様に帰邸の旨を報告に行かれたのでしょう。表情からしてあまり良いことは言われなかったご様子です。シリウス様はいつもそうです。奥様のことを、実の母親なのに酷く苦手意識を持って接していらっしゃいます。
 すれ違う時ですらも目を合わせようとしないこのご兄弟は、世界でただ一人の兄と弟なのに、本当に何とも言えない気持ちになります。
 お部屋に入ればすぐに「母さんのところに行ってくる」と部屋を出られたレギュラス様を見送り、私はまずトランクを開けました。この一年でまた少し成長されたレギュラス様の、少し着丈の合わなくなった服も多いことでしょう。本人に確認をとりながらでないと作業が進みそうにないので、私は一度廊下へ出ました。
 数歩歩いた先の扉をノックします。「シリウス様」と呼びかければ少し間をおいてから気怠そうな表情で顔をお見せになられました。

「洗濯の必要な物、出していてくださいね」

 そう言うとシリウス様は「ああ」と短く返事をされました。そのまま扉を閉めてしまわれる前に「夕食は何かご希望ございますか?」と問いかければ少しの間をおいて「……チキン」と返ってきました。

「ほかには?」
「なんでもいい」
「そう言われましても、チキンだけ出すわけにはいきませんので」

 少し屁理屈を混ぜて言えばシリウス様は面倒くさそうに、けれども嫌な顔はせず、ドア枠に身体を預けて腕を組みながら考え込み始めました。それから少し他愛もない話をしていれば廊下の奥からレギュラス様が戻って来られて、シリウス様と私の様子に怪訝そうな顔をされ、けれども何も言わずにご自身のお部屋に入られました。
 それを合図にしたようにシリウス様も「まあ、まかせる」とだけ言うと扉を閉めてしまわれました。
 気を取り直してレギュラス様の御部屋に戻ればベッドに突っ伏していて、どうしたのかいつもならすぐに始める荷解きをなさるご様子がございません。

「レギュラス様、いかがなさいましたか?」

 奥様に何か気に障ることでも言われてしまわれたのでしょうか。最近ではもうはっきりとブラック家の跡継ぎはレギュラス様であるかのように振る舞われる周囲に、レギュラス様自身もそれに応えようとして随分と神経衰弱になられているご様子も見受けられます。
 声をおかけしても反応がないのでしばらくはそっとしておくのがいいのかもしれません。トランクを開けて衣服を出しながら、確認はまた後ほどとらせていただこうと考えながら、私は夕食の献立を考え始めました。



 夕食の時間になったのでシリウス様の部屋に窺えばすぐに返事をし、部屋から出てきてくださいました。きっとお腹を空かせていらっしゃったのでしょう。それからレギュラス様の部屋に赴けば、どうやらまだご機嫌斜めのご様子で、億劫そうに部屋を出て行かれました。この調子だと今日はずっと機嫌を損ねたままになりそうだと、長年の勘が働きます。
 機嫌を損ねられてしまうと如何なる問いかけに対しても生返事しか頂けないので普段以上に気をつかってしまいます。そうなるといつも以上に大変になってしまうので、そうならないように日頃から気を付けているのですが、しかし今日に関しては原因に見当がなく、いえ、一つ上げるならばシリウス様の存在かもしれません。
 もしそうであれば、これからしばらくは少しばかり気を張るお仕えになるかもしれません。ため息がもれてしまいそうになるのを我慢して、私も軽く夕食をいただこうと地下の厨房に向かうことにしました。



 夕食の後片付けも終えて細々のした事務作業を進めていればあっという間に時刻は九時を回り、普段ならシャワーを浴びにレギュラス様が下りていらっしゃるのに今日はまだいらしていないと気が付いて私は開いていた帳簿を閉じ、廊下に出ました。クリーチャーをすれ違って確認をとれば、確かにまだレギュラス様は下りてこられてないご様子で、もしかしたら寝ていらっしゃるのかと、そう考えながらドアをノックしました。

「レギュラス様?」
「……なに」

 不機嫌そうに扉を開けて姿を現したレギュラス様は、けれども寝ていたご様子はなくどうやら読書をされていたようで、部屋の奥の机に開いたままの本がうつぶせに乗せられていました。

「今夜はまだ入浴されませんか?」
「まだいい」
「でしたら先にシリウス様に入っていただくようにお伝えしますね」

 そう言って失礼しようと一歩後退されば、伸びてきたレギュラス様の腕に手を引かれ、気が付けば背後で扉の閉まる音がしていました。

「シリウスシリウスって、うるさい」

 仏頂面でそうおっしゃられたレギュラス様は私の腕をぎゅっと掴んでいて、そこから伝わった力でその感情がうかがい知ることができました。そこでようやく今日の不機嫌の理由に思い当り、私は思わず小さく笑ってしまいました。
 私が笑ったせいでレギュラス様の表情がまた少し曇ってしまわれました。けれども理由がわかった今、それへの多少法が分かったのでもう気遣う必要はありません。

「そういえば今日はまだ学校でのお話、お伺いしていませんでしたね」

 そっと手を引いてレギュラス様をベッドに腰掛けるように促すと、私はテーブルの椅子を引いてその向かい側に腰を落ち着けました。
 帰邸されたレギュラス様から学校でのお話をお伺いするのは、レギュラス様が戻られた際にいつもしていることでございました。それをせず、ましてや今日はシリウス様のことばかり優先するものですから、長兄ばかりが構われることに嫉妬したのでしょう。
 身体ばかり大きくなってもまだまだ子供らしい部分が残っていることに私は、普段じっくりとみられないレギュラス様の成長を、この時ばかりは実感するのです。



レギュラスが母様のところに行ってる間に(自分のいない間に)シリウスと話してたのとか、夕食のときにシリウスの方に先に呼びに行くのとか、とりあえず滅多に帰って来ないシリウスばかり優先されてる感じが嫌だったレギュラスくん。

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