きみがさいごのひとだから


 また今日もドラコの周りには人だかりができている。
 スリザリンの由緒正しい家柄の子息で、父親が魔法省勤め、魔法界でも大きな権力を保有するマルフォイ家はいつも栄華に輝いている。
 常に誰かを従えている彼の傍に、わたしの入り込む隙間はないのだろうか。許婚とか婚約者とか、ましてや恋人と呼ばれても問題はない間柄のはずなのに、どうしてこんなに距離があるのだろうかと日々思う。
 しかし同時に、彼に媚びを売るような安い女たちと同じにも思われたくなくて、少し離れたこの距離が、わたしたちには丁度いいのかもしれない。
 強かに、マルフォイ家に嫁ぐ身としてふさわしくあろうと、我儘を口にしない「良い子」を演じよう。そう、少なくとも学校ではそうしようと決めて日々を過ごしていたはずなのに。
 取り巻きに囲われるドラコと目が合ったときに、つい、逸らしてしまったのはわたしの逃げの気持ちだったのだろうか。
 咄嗟に逸らしてしまった視線を戻すことも出来ず、俯いたまま踵を返す。同じ寮に戻るというのに、これだと気まずいなと思って足を進める。寮で顔を合わせてしまったときは、その時はその時だと開き直りながら歩いていれば、何やら背後の方でざわざわと盛り上がっている気配がある。きっとドラコの取り巻きたちだろう。また彼に媚びを売ろうとする女たちの褒め合いが起こっているのだろうと思っていれば、ふいに右手が掴まれた。
 突然握られた手首にわずかな痛みを感じた。

「ちょっとこい」

 返事をする間もなく歩き出すその人がドラコだと気が付いたのは、三歩ほど進んだ時だった。

「ドラ、ドラコ! どこ行くの!」

 長い脚を使ってどんどん進んでいくドラコに、歩幅が合わずにつんのめりそうになるのに、いつものドラコならわたしがこんなふうになる歩き方なんてしないのに、一度も振り返らずに無口のままのドラコが、少し怖く感じた。
 人気のないところまできてようやく立ち止まったドラコが、握った手をそのままに振り返る。
 小走りになったせいか脈が速い。息が乱れてないのは幸いだ。

「何か言いたいことがあるなら言え」
「……っ、べつに、なにも」

 真剣にまっすぐ見つめてくるドラコの目はいつぶりだろうか。綺麗なその瞳に射抜かれると嘘がつけなくなる。逃げるように視線を逸らし、変に言葉を濁したところで彼にはきっとお見通しなのだろう。だけれどそれでもすぐに口を割ることはできない。
 沈黙が落ちる。早かった脈が落ち着いて、ドラコの脈打つのが布越しでわずかに感じられるくらい、その場は静寂だ。

「……最近お前の様子がおかしいと思ってた」
「そんなこと……」

 ない、とは言えなかった。自分でも最近はドラコの前での態度があからさまだったように思う。それに、先ほどのあれだ。
 一呼吸置いたドラコがわずかに手の力を強めたのを感じた。

「……もし他に好きな男ができたのなら、言ってくれ。お前を縛るようなことはしたく「違う!」

 咄嗟に声を上げてしまった。逸らしていた視線を合わせて、今度はまっすぐ見つめる。それだけは断じて違うという意を込める。

「……だったら、なんだっていうんだ」
「……」

 まんまとドラコに嵌められたような気がする。これでは、本当のことを話すまで手を離してもらえない。再び訪れる沈黙に、一言目が出にくくなる。

「……言いたくない」
「言わないと分からないだろう」

 ドラコの言は確かなのだが、けれどもこの感情を吐き出してしまうと、きっと止まらなくなってしまう気がする。もっと素直になれたらと思う。悶々とした感情を一人頭の中でぐるぐると溜め込んでいると、ふいに頭上から息を吐く気配がした。見なくても分かる。ドラコは今呆れている。もしかしなくても今のはため息なのかもしれないと思うと、何だかこの感情を出すのも嫌で、けれどもドラコに嫌われるのも嫌で、どうしたらいいのか分からなくなって視界がぼやけてきた。

「……学校で」

 絞り出した最初の声ははっきりと震えていた。これでは泣いているのもばれてしまう。けれども泣き顔は見られたくなくて俯いたまま、もごもごと言葉を吐く。

「学校で、あまりドラコと一緒にいられないし」
「うん」
「わたしは一緒にいられないのに、ほかの女の子たちと話してて、それを見るのが嫌で」
「……うん」
「わたしももっとドラコと話したいと思うんだけど、でも」

 自分でも何を言っているのかよく分からなくなりそうな内容なのに、ドラコは相槌を打って聞いている。静かなこの空間にわたしの感情だけがぼろぼろとこぼれだしているこの感覚に、だんだんと居たたまれなくなってくる。
 けれども吐き出しはじめた感情はなかなか止まってくれなくて、ようやく吐き出し終わったころにちらりとドラコを見上げれば、バッチリ目が合った。真剣な目で、真剣に話を聞いてくれていたのを感じると、けれどもそれが逆に自分が小さい人間のような気がし始めて思わず謝罪が零れた。

「……ごめんなさい、こんな我儘」

 合わせた視線をまたそらして俯けば、するりと伸びてきた彼の腕がわたしの背にまわってそれが優しく宥めるように動いたかと思うと、腰をぐっと引き寄せられた。
 咄嗟にドラコの胸板に手をつけば、すこしだけ距離が開く。こつんと額に当たったのはドラコのそれで、少し上目で見れば薄いグレーの瞳が伏し目がちにそこにあった。瞳を縁取る長い睫毛が、すこし恨めしく思った。

「僕だってお前と同じ気持ちだ」

 すとんと入り込んできた言葉は、ドラコが口にした言葉なのに、まるで別な誰かの言葉のように、普段の彼とは似つかない素直なものだった。
 思わず「え?」と額を離してドラコを見遣ると、彼はきまりが悪そうな表情をしていた。

「見るな」

 そう言って後頭部にまわってきた彼の手がそのままわたしを抱きこんで、わたしの額はドラコの肩口にぶつかった。

「いつも、僕のところにくるのは事務的な話の時だけで、そのくせ他の男たちとは普通に話しているのを見るとイライラして、余計に僕の方から話しかけてやるもんか、て思ってて……。でも休暇中とかは普通に話しかけてくるから、やっぱり人目を気にして話しかけてこないのかもって考えたら、こっちから話しかけるこじつけの理由を考えるわけにもいかないし」

 耳元で聞こえるこれは本当にドラコの言葉なのだろうかと疑いたくなる。耳を傾けながらも次第に頬が緩んでくる気がして、気が付けば「ドラコ」と呼んでいた。

「ドラコ、もういいよ。分かったから」

 そっと彼の背に腕を回してとんとんと叩けば、途端に静かになった。数秒おいて聞こえた彼の言葉が、しずかにわたしを絡めとる。

「僕は安心してたんだ。お前は絶対僕から離れたりしないって、勝手にそう思ってた」
「……離れたりしないよ、絶対に」

 自分で言って恥ずかしくなる。けれども今は自分と目の前の彼しかいない。今くらいは素直になろう。そう思うとくさいセリフも簡単に口をついて出てくる。

「ドラコが離れろって言わない限り、わたしからは離れない」
「……うん、僕も離さない」


title by 休憩
僕っこの「お前」呼びが書きたかった

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