水圧に負けた人魚
彼女はどこまでも品行方正という言葉が似合う女性だった。
まるで完璧をこなすその姿は誰もの憧れの対象だった。はちみつ色をした緩いウェーブの掛かった長い髪をハーフアップに結んでリボンで飾る。それがあざとくないのは彼女くらいなのではなかろうか。
手本のように綺麗に身にまとった制服はネクタイが真っ直ぐなのはもちろん、プリーツ一つにも皺はない。
純血家系出身でスリザリン寮に所属する彼女は、しかし寮を越えて人気が高い。由緒正しい家柄で培われた教養と、一人娘という立場で一身に受けた期待に沿って生きてきた。
人々は彼女のことを完璧な人間だと褒め称えた。
しかしそんな彼女は今、一人の男の前で膝をついていた。
「アブ、どうしよう……」
眉根を寄せ、困ったように眉尻を下げたナマエは一人掛けソファに深々と腰かけるアブラクサスを前に弱弱しい声を上げた。
「俺に聞くな」
アブラクサスの膝に手を乗せ、小さく「そんなこと言わないでよ」と零したナマエはさらに眉を下げる。
頬杖をついたまま、目の前のナマエを視界から外してアブラクサスは小さく息を吐いた。
次の休暇、実家に帰れば見合いの話が待っているのだそう。くしゃりと握られた手紙は床に落ちて心もとなく彼女の足元にあった。
「私とアブの仲でしょ?」
「都合よく俺を使おうとするな」
いくら幼馴染だと言ってもその見合いを破談にさせるほどの関係性も、ましてや権力も持ち合わせていない。そう暗に示唆させるように間をおいてナマエを見遣るアブラクサスに、しかし跪くナマエは懇願の眼差しを彼に向ける。
見下ろすナマエは、まるで傅くメイドのようだとアブラクサスは一人思う。
「……」
「……」
しばらく無言で見合って、真っ直ぐ向けられる視線に折れたのはアブラクサスの方だった。
小さくため息をついたアブラクサスは立ち上がりざま、ナマエの手を取り彼女も立たせる。立ち上がっても見下ろすのは変わらない。床に落ちていた握りつぶされた手紙を拾い、その文面を見て眉間に皺を寄せた。
「どこの馬の骨かと思えば」
そこに記されていた見合い相手の名前を見てアブラクサスは鼻で笑う。大した家柄でもなければ、ともすればナマエの家より身分の低い家系ともとれる、その程度の名前だ。
「こんな相手無視すればいい」
そうアブラクサスが口を開こうとした瞬間、それを遮るように「ナマエさん」と声がかかった。談話室の出入り口に近い場所から後輩が呼んでいる。
びくりと肩を揺らしたナマエは未だ情けない表情で、けれども一瞬アブラクサスを見上げてすぐに呼ばれた方へ振り返ろうとした。しかし。
「取り込み中だ。後にしろ」
口を開いたのはアブラクサスで、ナマエの後頭部に腕を回すとそのまま彼女の身体を引き寄せた。牽制するように睨みを利かせたアブラクサスに、ナマエを呼んだ後輩も「すみません」と息を呑んでその場を去る。
「あ、アブ?」
「お前も、そんな面俺以外に見せるなよ」
「みっともない」と小言を漏らした彼はナマエの両頬を片手で挟んだ。形の崩れたナマエの唇を見て小さく笑ったアブラクサスはそのままナマエの腕を引いて歩き出す。
行先は男子寮の彼の部屋で、腕を引かれたナマエはそのまま黙って連行された。
title by 休憩
涙を雑に拭ってくれるアブラクサス書きたかったけど書けなかった。