喉元の薔薇
「リドルが呼んでる」
「ああ、うん、わかった」
気だるげに席を立ったナマエはふらふらとした足取りで歩き出す。それを見たアブラクサスが「毎度、大変だな」とさして興味も無げに言った。
ナマエはそれを無視するように黙ったまま談話室を出た。
慣れた足取りで向かうのは地下牢から地上に向かう階段とは真逆の方向。廊下の突き当たりにある何の変哲もない石壁の、とあるブロックを押せばそこに扉が現れる。ホグワーツ城に数ある隠し部屋の一つだ。
「リド、っ」
扉を開け、明かりの灯らない部屋に入ったナマエが声を発した直後、ひとりでに閉まった扉と背中に走った衝撃にナマエが息をつめた。
「遅い」
「……ごめん」
暗闇で聞こえたのはリドルの冷めた声音。手探りでそこにいるだろうリドルを探すが、しかしその手は彼に触れるより前に何かで一つに拘束された。
「な、に?」
「気にするな」
両手の自由を奪われ、視界も良好とはいえない状況。一抹の不安が過る。
「それで、今日一緒にいた男は、誰なんだ?」
「……っ」
ひた、と頬に冷たい何かが触れた。感触から、きっと杖先だろうと思うのだが、普段素肌にそれを突きつけられることがない分、妙な感覚で恐怖すら覚える。
「誰って、レイブンクローの「誰が他の男と喋っていいと言った」
疑問形ではない。叱責するような声音。
「あ、れは、向こうが話しかけてきて」
つつ、と杖先がゆっくりと頬から降りて喉元に触れる。くすぐったさと、急所を捉えられたことによる不安。言葉がうまく出てこない。
「随分と楽しそうに話していたな」
「あんな顔も出来るんだな」というリドルが指すのは、何の変哲もない、愛想笑い。
「社交辞令、じゃない」
見知らぬ相手には愛想よく。リドルが普段からしていることのはずなのに、感情の籠らない笑みすらも見せるなという彼の独占欲は底知れない。
「お前は誰のものだ?」
「誰って……」
誰のものでもない、そう言いかけるナマエの唇は、しかし開くことなく塞がれる。
「っ!」
ようやく慣れてきた目が捉えた真っ赤な双眸。それが温もりの欠片など一切孕むことなくナマエを捉えている。
「リドル、の」
「……いい子だ」
すっと細められた赤が近づき、ナマエの視界から消えた。喉元に触れていた杖先は離れ、ナマエが思わず息をつくと、しかし次の瞬間に喉元に痛みが走った。
「痛っ」
噛みつかれた。そう思うと同時に身体が条件反射のようにそれから逃げようとするが、しかし背は壁。逃げられない。背筋を滑り降りた氷塊か、それとも壁の冷たさか。
「何す、っ」
リドルの手がナマエの拘束された手と顎を捉え、首元をさらけ出す。噛みつくように喉元に食らいつくリドルはそのままナマエの首筋に唇を這わすと痛みを伴わせてそこに鬱血痕を残した。
じくじくとした痛みが残る中、するするとネクタイが解かれていくのがわかる。
「リドル、リドル待って」
「僕に歯向かう気か?」
横を向かせられ首筋がさらけ出される。思わず拘束された手で反論の意を示そうとしたナマエだが、しかしリドルの冷たい声が耳朶を伝い、脳を洗脳する。
「ち、が」
ネクタイを解かれ、外されたボタンがシャツをだらしなくさせる。外気に触れる胸元に寒さを覚えながら、同時に生ぬるい何かを感じた。
吸い付いて、痛みを主張させて痕を残すその行為。リドルの両手がシャツの襟元を掴んでナマエの肩を曝け出させる。
「……っ」
寒さと、生ぬるさ。肌の上を這う舌の感触、かかる吐息、それらがナマエの背筋に、ぞわぞわとした言い知れぬ感覚を残す。
首筋に、胸元に、肩に、這いまわる舌先と唇を、この行為を、ただ黙って受け入れることしかできない。
無言でひたすらに鬱血痕を残していくリドルは、いったい何を考えているのだろうか。この行為に、どんな意味があるのだろうか。
されるがままになりながらナマエはいつも考えるが、しかし答えは導き出されない。
しばらくして満足したのか、ナマエから離れたリドルが彼女のシャツとネクタイを直す。
「ナマエ」
彼の声音は普段の柔和なそれで、難が去ったのを悟る。気が付けば腕を拘束していた何かもなくなっていた。
「戻っていい」
何事もなかったかのようにきれいに正された制服の襟元。一瞬触れたリドルの手がナマエの髪を撫でた。
両肩を掴まれて身体を反転させられたナマエは、次の瞬間には壁から扉に変わったそこから廊下に放り出されていた。
何だったのか、それを聞く間もなく、ナマエが振り返った先には冷たい壁しかなかった。
煮え切らない気持ちで寮に戻ったナマエは、先ほどと変わらず談話室にいたアブラクサスに声を掛けられた。
「相変わらず酷ぇもんだな」
そう言って笑う彼を横目に、ナマエはそっと首筋を撫でた。
幾度か繰り返されているこの行為の結果、自分の首筋がどうなっているのか、ナマエはすでに知っている。
数え切れないほどの濃い鬱血痕。薄紅色などというかわいらしいものとは程遠い、それはもはや痣に近い、赤紫、青紫の華。歯型が残らないだけましだと思え。そう思い始めたのはいつからだったか。
シャツのボタンを全部とめたとしても隠れないそれを、一週間どうしようかと考えながら、ナマエは自室に戻って行った。
title by 蝋梅