魔王陛下の憂鬱
ああ、なぜ。
なぜ、こんな事態になるまで気がつかなかったのだろう。
渋谷有利は昨日の自分を恨んだ。
一昨日の自分を恨んだ。
一週間前の自分を恨んだ。
「さよなら!俺の進級!」
血盟城の執務室で有利は項垂れる。
その姿はとても情けなくて、とても一国の王とは思えないものであった。
今日の有利は、ただの高校生男児であり、魔王職は休業中だ。
その理由は実に単純なもので、明日はドキドキ地獄の定期考査があるからだ。
教科書は新品同様。ノートもまっさら。
日頃から勉強などしていない脳筋野球少年な彼が、危機的な状況なのは間違いなかった。
「ユーリ、試験勉強とやらはもう終わったのか?」
エーフェが息抜きに用意してくれたと思われるお茶とお菓子を持って、ヴォルフラムがこちらにやってくる。
「いや終わってはないけど……。まあ終わったとも言えます。成績的な意味で」
「は?」
有利の言葉が理解できなかったらしく、ヴォルフラムはきょとんと目を丸くする。
その姿が妙に愛らしい。
ああっ、俺の癒し……!
女の子より可愛い美少年が、全てにおいて平均的な(もしくはそれ以下の)自分のこと好きだとか未だに信じられない。
魔族の変な趣味に感謝したい……じゃなくって。
勉強に取りかからねばと、机に向かう。
そんな情けない婚約者の姿をヴォルフラムは心配げに見つめていた。
「大丈夫大丈夫!とりあえず、多分」
嘘だ。本当は全くもって大丈夫なんかじゃない。一国の王が留年なんて笑えない。
「なんだそのへなちょこな返事は。頼りないぞ、ユーリ。眞魔国の王として恥をかかない為にも、最低限の教養くらいつけておけ。」
「うう…」
婚約者の言葉が心臓にグサグサと突き刺さるが、正論すぎて、返す言葉が見つからない。
有利はあわてて視線を参考書に戻す。
今回の有利のスタツアは、駆け込み寺のようなものであった。
眞魔国と地球は時間の進み方が違うのである。
つまり、眞魔国で勉強することで、有利に残された猶予が長くなるということだ。
もちろん、進み方が違う眞魔国(ここ)で勉強するのはフェアじゃないってことには気がついている。
だが、今はそんなこと知ったこっちゃない。
魔王に野球に学生に、俺にも色々あるんです。
普段頑張っている分、神様だってたまには許してくれるだろう。
……いや、ここでは神様っていうより眞王陛下様か?
有利の勉強か軌道に乗り始めたそんな矢先。
無駄に高くて、腹の立つ友人の声がした。
「しーぶーやくん、帰るよっ」
昨日の友は今日の敵。
今はお前の顔なんかみたくないんだよ!
有利が、聞こえないふりをして顔を上げずにいると、村田は呆れたのかヤレヤレ、と首を横に振った。
「国民は皆平等とか語っておいて、君がそれじゃあねえ。渋谷くん。全然スポーツマンシップにのっとってないじゃない」
スポーツマンシップにのっとってない、というのは恐らくスタツアして勉強しに来ていることを指しているのだろう。
「う……」
「おまけにへなちょこだ!」
「ううう……」
村田の嫌味に、状況を全く理解してないはずのヴォルフラムまでなぜか加勢して、有利の立場は突然崖っぷち。
はいはいはい。
わかりました、わかりましたとも!
有利は覚悟を決めた。
「帰るぞ、帰るぞ村田っ」
「まぁまぁ、渋谷。そんな怖い顔しなくても勉強なら地球で教えてあげるよ」
村田がヘラッと笑う。
こう見えて、村田は優等生である。ちょっと(かなり)腹立つけど勉強は是非教えていただきたいので今は我慢しておこう、と有利は思った。
「ユーリ、帰ってしまうのか」
突然の地球帰還宣言に、ヴォルフラムは驚いたような顔をした。
彼は決して寂しいとは言わない。
しかし、その気持ちは悲しげに揺れる瞳を見れば痛いほど伝わってきた。
こんな可愛い婚約者。
有利としてもできれば片時も離れたくないのだが、仕方がない。
……そして、ひらめいた。
「そうだ!テスト明けたらさ、すぐこっちに向かうよ。それで、その……久々に2人で出かけない?」
非常に回りくどい言い方ではあるが、要するにデートのお誘いだった。
婚約しているとは言えど、こういうのは未だに緊張する。
でもヴォルフラムが「ユーリ……!!!」なんてあんまりにも目を輝かせるから。
渋谷有利はこのテストに真っ向勝負で挑むことにしたのだった。
***
今日も完徹。
昨日も完徹。
明日も完徹。
明後日も完徹。
そんな日々が数日続いて……。
「おわ、おわったーーー!!!」
テスト最終日。
頑張った甲斐もあり、今回最も心配だった世界史も赤点は余裕で免れそうなくらい上出来だ。
有利は眞魔国来てからカタカナの名前と地名を覚えるのが少しだけ得意になっていた。
慣れとは恐ろしいものだ。
兎にも角にも。
「これでヴォルフラムに会えるっ!」
そのためだけにここまでがんばってきたのだ。
有利は帰宅すると早々、ろくに睡眠もとらず眞魔国行きの浴槽に飛び込んだ。
***
その頃眞魔国ではというと……。
「ヴォルフラム、そんな血相を変えて会いに行っては陛下も驚かれてしまうぞ」
婚約者の帰りを待つヴォルフラムがそわそわそわそわしていて落ち着きが無い。
見かねたコンラートは優しい声で弟を諭した。
「血相など変えていない!!!」
そんな顔でいわれても説得力はないのだけれど。
コンラートは彼特有の困ったような笑顔を見せた。
「なっなぜそんな目で見る!これはだな!別にユーリに会いたかったとかではなくて、純粋に魔王の臣下として……ユーリ!!!!」
異世界からやってきた大好きな婚約者の姿を目にすると、ヴォルフラムは全力で駆け出した。
「ス、スタツア完了です……」
見るからにげっそりしている有利とは対照的に、ヴォルフラムは嬉しそうに抱きつく。
「ユーリ!!!会いたかったぞ!このへなちょこっ」
はぁー、この笑顔なんだって。
天使のような愛らしい笑顔に有利は疲れが吹き飛ぶような気持ちになった。
でも、忘れていたんだ。
「デート、デートだユーリ!」
(俺、今日一睡もしてない。)
+++
「どこへ行く?ユーリっ」
いつになくご機嫌なヴォルフラム。
まぁ、こいつが楽しそうだからいいかなんて。
考えなしに街に飛び出したのが間違いだった。
「う、うーん。どうしよっか?」
頭はズキズキいうし、フラフラして立っていることさえままならない。
かといって「ぶっちゃけ、血盟城で寝ていたい」なんて口が裂けても言えないから非常に困った。
「お前は民と交わるのが好きだからな!!!仕方なく街に繰り出したんだ!」
「えー、さっき嬉しそうにイケメン兄ちゃんから貰った魔王まんじゅう試食してたくせに」
「ばっ……!あ、あれはだな!!!!」
ヴォルフラムは最近、民に優しくなった。
そして、元々顔立ちがいいか無駄にモテる。
それも男女問わず。
さっきのイケメン兄ちゃんも完全に下心アリアリだったし。人のこと散々尻軽だのなんだの言っておいて、自分のほうがよっぽど無自覚だろ。
有利はため息を漏らす。
「ヴォルフもさー、もうちょっと自覚を……」
何か文句の一つでも言ってやろうと振り向いたその瞬間。
急にあたりが真っ暗になった。
そして。
有利は視界が薄れていくのを感じた。
これは、非常にまずい。
「…どうした?おい!?ユーリ!ユーリ………リ…」
ごめん、限界かも。と有利は目を閉じる。
暗闇の向こうでヴォルフラムが自分の名前を呼んでいたような気がした。
+++
有利は夢を見た。
定期試験を無事に終えて、ヴォルフラムと念願のデートをするんだ。
ヴォルフラムの嬉しそうな顔があまりにも可愛くて、俺は天にも昇るような気持ちになって、ついはしゃぎすぎてぶっ倒れてしまうというなんとも情けない夢だった。
今見た夢を思い出しながらぼんやりと目を閉じていると、ひんやりとした感触が頬に伝わる。
(この優しい手は……。)
「ん……?」
「すまない、起こしたか」
ヴォルフラムだった。
ここは華やかな街でも美しい花畑でもなく、血盟城のベッド。
今のは夢ではなく現実で。
どうやら俺は、やらかしてしまったらしい。
「ごめん、俺……」
へなちょこにも程があるだろう。
自分の不甲斐なさにたまらなくなった。
きっとヴォルフラムだって、呆れているはずだ。
有利は怒鳴られるのを覚悟で視線を移すと……。
「謝るのは僕のほうだ」
返ってきたのは意外な言葉だった。
「えっ……」
「陛下の体調も考えないで、振り回して……臣下として失格だ」
よく見るとヴォルフラムの瞳には涙がたまっており、有利はどうしたらいいかわからず動揺してしまう。
「ヴォルフラム……俺……」
そして、ヴォルフラムは瞳を真っ赤にして吐くように言った。
「……僕は、お前の婚約者で本当に良いのだろうか」
「えっ?!」
突然ことに、有利は思わず目を見開いた。
自分が期末で連日徹夜した事と、婚約破棄が繋がるのか理解できなかった。
「自分のことばかりしか考えられない未熟な僕などよりも、グヴェンダル兄上やコンラートの方がよっぽど……」
なんで。
「なんで、そんなこと言うんだよ!」
有利は絞り出すように言った。
そして手を伸ばし、ヴォルフラムの左頬に触れた。
「ユーリ…?」
ヴォルフラムが泣き出しそうな瞳で有利を見つめてきた。
そんな姿が、あまりにも愛おしくて有利はたまらなくなる。
なんだかこちらまで泣き出しそうになってしまった。
「俺が、お前を選んだんだ。ヴォルフラム」
仮に政治や武術、知識に長けていたとしても、それは関係のないことである。
他の誰でもない。
ヴォルフラムでなければ駄目なのだ。
出会いがどうであれ俺たちが惹かれあうのことは運命だったと、有利は笑った。
「なんでそんなこと、今、言うんだ。このへなちょこ…」
「へっ、へなちょこ言うな!」
ちぇっ、カッコよく決まったと思ったのに。
有利は溜息をつくとガックリと肩を落とす。
そんな様子を見つめながらヴォルフラムは愛おしそうに笑った。
そして。
「ーーっ……」
唇に触れた感触に、心臓が高鳴る。
え、今何が起こったの?
ユーリは状況が理解できずに、突然舞い降りた幸運に目をパチパチとさせた。
「ユーリが、僕の婚約者でよかった」
そう呟くように言うと、照れたようにふんっと鼻を鳴らすヴォルフラム。
「今のユーリの言葉は、ちょっとだけカッコよかったぞ」
加えて、こんな可愛いことを、耳まで真っ赤にしながら言うのだからタチが悪い。
世間でよく聞く胸キュンとはこんな感覚なのだと、ユーリは思った。
「………この無自覚プーめ!」
「なっ!僕がせっかく……っ…!」
「ほんともうさー、我慢できなくなっちゃうじゃんか」
血盟城の寝室で魔王陛下は項垂れる。
眞魔国の為でも、民の為でも、もちろん定期考査の為でもなく、目の前にいる婚約者の可愛さに。
陛下でなくとも男なら誰しも一度は苦しめられたことだろう。
まあ、結論から言うと、性欲だ。
「いいよな?」
「ばっ!ま、待て!まだ夕方だぞ!」
「待たない!!!」
幸運なことに明日はなにも予定がない休日で。
ちょっとぐらいはしゃいだって、コンラッドも多目にみてくれるだろう。
「ユ、ユーリのばかぁぁぁ!!!」
血盟城に悲惨な叫び声が響き渡る。
フォンビーレフェルト卿ヴォルフラムが危機的な状況なのは間違いなかった。
end
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