Spell 46
死の外科医、トラファルガー・ローが王下七武海入りして一ヶ月。
彼はシャボンディ諸島にて、酒屋のカウンターに座っていた。
「………ねぇ、あなた、トラファルガー・ローでしょう?」
グラスを傾ける彼の左腕にしなだれかかるのは、ここら一帯でNo. 1と言われている女。
見事なブロンドの髪を背に流し、よく手入れされたような白い肌に真っ赤なルージュが映える。
男に愛されるために生まれたといっても、決して過言ではないような豊満な体つきを隠そうともせず、現に今も男の腕にその柔らかい胸を押し付けている。
「………だったらなんだ」
男なら誰でも鼻の下を伸ばすだろうこの状況に、一人冷静だったのは当の本人。
「あなたすごい素敵なカラダしてる……。この後どう?」
こんな色香漂う美女からの誘いを断るなんざ、据え膳食わぬは何とやらだ。
だが、残念ながら今のローにそんな言葉は通用しない。
ただただ面倒だという理由で黙っていると、何をどう取ったんだか酒を追加注文する女。
………女が頼んだ酒は、不味くはないが弱すぎる。
どこか物足りないと感じるのは、この酒だけか、
はたまたこの女もか。
「ねぇ、船長さん」
「うるせェ………」
いつ誰がお前の船長になったんだ。
不機嫌さを隠そうともしない彼に、尚もめげない女は擦り寄ってくる。
「この近くにいいホテルがあるのよ…?相手、してくれない?」
「触るんじゃねェよ」
普通なら男の性欲を掻き立てるんだろうが、女が纏う香水の匂いは、彼にとって不快以外の何物でもない。
その腕を振り払おうとした時。
「悪いけど、先約があるの」
とくり、
心臓が音を立てた。
耳に心地よい、
………待ち焦がれた、彼女の声。
「他を当たってくれる?」
するりと絡められた腕。
ふわりと匂い立つ、花の香り。
そちらへ顔を向ければ、
そこにいたのは、艶然と笑みを浮かべる、美しい女。
全身の血が熱くなった。
今まで腕に張り付いていた売女は、言葉もなく唇を震わせ、彼の待ち人を見つめていた。
………無理もない。
Yネックの黒のブラウスに、大きなサイドスリットが入った黒のロングスカート。
ウエスト部分を大きめの金のベルトで止め、銀のピンヒールを履いている彼女。
それだけを見れば、別段大した格好をしているわけではない。
だが、
ざっくりと開いた胸元。
スリットから覗くほっそりと伸びた艶かしい脚。
黒い服から覗くその眩しいほどの白が、どうしようもないほど目に焼き付いて離れない。
………魅了されない人など、いるはずもなかった。
彼の腕に纏わりついていた金髪の女とて、言葉も忘れて見入っていた。
グロスを塗っているのか、光を受けて艶やかに光る唇。
それが綺麗な弧を描くと同時に、少し細められた蒼い瞳。
それこそが、何の誤魔化しも効かない彼女自身の美しさ。
ローは口角を吊り上げ、彼女の腰に腕を回す。
そして、彼女の瞼に触れるだけのキスを落とした。
「………そういうことだ。悪ィな」
絶句したまま固まってしまった金髪の女。
二人は、そんな女に構うこともなく店を後にした。
(ローが飲んだ酒の代金は、この後金髪の女に払わせたらしい。ちゃっかりしているもんだ)
「あっ、キャプテーン!おかえ………えええ!?お持ち帰り!?」
「マジか!?おわっ!?美女!?………え?」
懐かしすぎるクルー二人の声に、ローの隣にいた彼女はたまらず笑った。
「久しぶりね、二人とも」
「「………セラフィナ───────!?!?!?」」
「うるせェ………。俺がコイツ以外を連れて歩くかよ」
「………あ、なんかちょっと感動した」
「………お前な……」
眉を顰めてみせながらも、ローの表情は柔らかい。
ペンギンとシャチは、密かに船長のその顔を見て右の親指を立てた。
「セラフィナ!?セラフィナ!?ホントに!?本物!?」
「ベポ!久しぶりー!」
「セラフィナだー!!すごい綺麗になったね、セラフィナ!」
ベポに抱きつき、抱きつかれている彼女の様子は一年前と寸分変わらなくて。
「………筋肉マッチョになってなかった………………良かった………」
「まだその説捨ててなかったのかよ………だがしかし」
「「育ったな、色々と」」
「………余程バラされたいらしい」
「ひええええ!!な、何がとは言ってないっスよ!!」
「キャプ、キャプテン!!落ち着いて!!」
「一年じゃそう見た目も変わんないでしょー。髪は伸びたけど」
「「よく言うよ」」
「ROOM」
「「ヒイッ!!」」
だが彼女との一年ぶりの再会にローの機嫌は頗る良いらしく、結局バラされなかった。(なんと!)
「でも珍しいな。前までセラフィナ、こんな服着てたっけ?」
「あ、それ俺も思った」
目の保養だけど。
なんて声を揃えて言ってのけたペンシャチに、ローの右手が動く。
(やめて!!待って!!)
「あー……ミホークたちが買ってきたの適当に着てるからかな」
「………は?鷹の目が?」
あの鷹の目が、レディースの服を買う?
どういう状況だ。想像もつかねェ。
「多分、ちょうどこの服ミホークが選んだやつなのよね。どちらかというと可愛いっていうより大人っぽい服だから」
「………お前、まさかとは思うがめちゃくちゃ露出度高い服着てねェだろうな?」
「そんな主張激しいのはなかった気がするけど」
「黒のワンショルダー、マーメイドのスリット」
何の暗号だとペンシャチが首を傾げた一方で、セラフィナはあぁ、と手を打った。
「着たわ」
「………殺る」
「わー!まだ死にたくないです、後生だから許して!!」
「お前じゃねェ。と言いたいところだがお前もだ。何素直に着てんだ」
「だ、だってわざわざブランド物買ってきてやったのに……なんて凹まれたら着るしかないでしょ」
お前分かってねェな。
そんなんで鷹の目がほんとに凹む訳ねェだろ。演技だ演技。
こんなんで騙される辺り、チョロいとしか言いようがない。
「………まぁ言い訳は後でゆっくり聞いてやる」
「じ、尋問………?」
不穏な気しかしない。
言い訳なんてありませんから。
する気ありませんから許してください、お願いします。
「お前がいない間に二人クルーが増えてな。おい、ペンギン。アイツらはどうした?」
「今コーティングの最終確認してますよ。呼んできますか?」
「あぁ」
ペンギンが姿を消してから約1分。
彼の後ろから現れたのは、巨大な男と一人の女だった。
「………新しいクルーか?」
男の方が、セラフィナを見て少し首を傾げた。
ローは軽く首を横に振って答えた。
「いや。コイツが前に言ったセラフィナだ」
「あぁ……」
男は、心得たというように頷いてみせる。
どんな説明をされていたのか気になるところである。
悪口は言われてないと信じたい。
「俺はジャンバールだ。ちょうど一年ほど前だったか……。船長が、天竜人の奴隷として買われた俺を解放してくれた」
「それで俺の子分になったんだよ、セラフィナ!」
子分ができて嬉しいんだろう。
これでもかとばかりにドヤるベポは異様に可愛い。
「……私はレインディアよ。船大工としてこの船に乗せてもらったの」
もう一人の新入りは、ローと同い年くらいに見える女だった。
ゆるく波打つ茶色の髪が顔を縁取り、目は光の当たり具合によってはごく淡い金にも見える。
こづくりな顔に、愛らしい目鼻立ち。
顔は文句なしに可愛いんだが、若干向けられる視線には棘が入っている気がする。
………まさか、ローの昔の女とかそういうオチでも待っているのか。
修羅場はごめんである。やめてくれ。
「………手配書で見たことあるかもしれないけど、セラフィナよ。よろしく」
結局、難しい色恋沙汰は全くもって分からないものである。
変に地雷踏み抜いても嫌なので、気づかないフリをして笑みを浮かべた。
「レインディアとセラフィナは一応同室扱いだ。セラフィナは俺の部屋にいることも多いがな」
「………ねぇ、私の部屋物置きにされたんじゃなかったの?」
「………さて」
おいコラ。
誤魔化すならもっと上手く誤魔化してくれ。
来て結構早い段階で私の部屋潰されたよね。
それ理由でローの部屋で寝ざるを得なかったんじゃなかったっけ。
「これでやっと全員揃ったって訳だ……。ということでだ。俺たちはもう一度町に出る」
「………はい?」
何がということでだ。
繋がり分からないのあなたもだからね、ローさん。
散々こっちバカにしてくるけども。
接続詞。使い方。もはや定番のツッコミと化しそうである。
「朝には戻る。………出航は明日の正午。お前らも船番さえ置いときゃァ好きにしていい」
ごゆっくりー!なんて呑気なペンシャチの声が響くや否や、セラフィナとローの姿が消えた。
「………いやいやいやちょっと待て」
「………何が不満だ」
「不満……じゃないですよ、けど」
「なら問題ねェ」
彼らが能力で移動した先は、ホテルの目の前。
………いや分かるけど。けど。
「ここ絶対高いって」
「良かったな。出すのは俺だ」
あ、ダメだ。
全くもって聞く耳持ってないよ、この人。
彼女ががっくり脱力したのを見て、彼の口元に不敵な笑みが浮かんだ。
半ば彼に引きずられる格好で扉を開け、中へ踏み込む。
彼女が辺りを見回す暇もなく、ローが入って真正面に座っている宿主らしき男に金の入った袋を投げ渡す。
そんなフランクなと思ったが、男は彼を一瞥すると、一本の鍵を無言で渡した。
………そういうとこなのか、ここって。
なんて呑気なことを考えている余裕もなかったらしい。
まるで前に来たことがあるかのように、迷いなく足を進めていく彼に、引っ張られるがまま転ばないように着いていくので精一杯である。
やがて一つの扉の前で立ち止まると、彼が手にしていた鍵を突っ込み、扉を開けた────
「ろ、んっ!?」
と思った瞬間、唇を塞がれた。
背が閉まってきたドアに押し付けられる。
と同時に、ガチャリと錠が降りる音がした。
………ガチャリ、……?
そのあまりに良すぎる手際に、性急に割り込んできた彼の舌に、戸惑いながらも翻弄される以外になかった。
どこか焦っているような雰囲気ではあるが、不思議と乱暴な仕草ではなくて。
この空白の一年を、会えなかった時間を埋めようとするようなその仕草。
溢れ出てくるのは、ただただ愛おしい、
その感情だけ。
彼の首に手を回して、そのキスに応えた。
「………はっ…。キスの仕方も忘れたかと思ったぞ」
目を細めてそう言う彼に、微笑を向けた。
こつり、と額を合わせられればくすくすと笑いが溢れる。
「一年も空いちゃ仕方ないわ。……完全に忘れるのは、無理だったらしいけど」
「………!」
彼のアンバーが、艶めく熱に揺れた。
その瞳に映るのは、
狂おしいまでの恋情と、欲情。
「………よくもまぁ煽ってくれやがる……。一年間禁欲してた男に言う台詞じゃねェよ」
「………えっ?」
禁欲?
なんて?
「………テメェ、ふざけんなよ………?」
「ま、まだ何も言ってない!」
「顔に出てんだよ。他の女抱いてねェのかとか思ったろ」
「………スイマセン」
彼の額に青筋が浮いた。
「今更お前以外抱けるかよ。……そういうお前こそ鷹の目だか誰だかに抱かれてねェだろうな。容赦しねェぞ」
「あのね………」
鍛えてたの。
師匠だから、ミホーク。
とは思えど、彼のペースに乗せられるのもなんだか癪な気がして、意地悪く口角を上げてみせた。
「………そんなに疑うなら、体に聞いてみればいいんじゃない?」
アンバーの瞳が見開かれる。
次いで面白そうな、………これ以上ないほど凶悪な笑みが浮かんだ。
「そのセリフ、後悔するなよ」
………嘘ですごめんなさい。もうしかけてる。
なんて泣き言は彼の唇に溶けて消えた。
久しぶりに、本当に久しぶりによく眠れた。
柔らかく差し込む光に目を細め、腕の中の温もりを抱きしめた。
腰下まで流れる艶やかな黒髪も、すべらかな白い肌も、全てがこの手に馴染むように心地いい。
その白に点々と咲く紅い花に、満足して低く笑った。
無防備に薄く開き、安らかな寝息を立てているその唇を柔く食む。
「………ぅ、ん…………」
夢と現実の狭間を彷徨っているのか、甘えた猫のように擦り寄ってきた。
……無意識に求められているのかと思うと狂おしいほどに愛しくて。
(………可愛い奴め)
昨日自分がつけた、首筋の痕をゆっくり舐め上げる。
「………ぁっ………ろ、ロー………?」
「起きたか」
「………ほんもの………」
ふにゃりと笑いながら抱きついてきやがった。
「………はぁ………」
「ひゃあう!?お、起きた!戻ってきた!」
「どこからだ、全く」
胸に手を伸ばせば、途端に覚醒したようで。
「盛るな!朝!!」
「関係ねェ。勃った」
なんつー。
「いいだろ。………一年分、黙って抱かれろ」
結局呑まれる辺りは大概、ってね。
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