Seven Colors 36
海の中に潜ったポーラータング号は、無事海軍の目を免れたらしい。
新聞では、麦わらの一味がバーソロミュー・くまと対峙して飛ばされたとかなんとか。崩壊したなんて書かれてあって、思わず二度見した。
………のだが、現時点で一番の問題はそこじゃない。
「…………なんで上がってんの、私………」
新聞では麦わらのことも報じられていたが、一方の手配書ではセラフィナの額が上がっていた。
「8000万……か。妥当といやァ妥当だな」
「嬉しくないわ………」
もそりと布団から這い出て服を被ったが、鏡に映る首元から背中を見て絶句した。
「………ちょっとロー」
「なんだ」
「今日上着貸して」
「………なんでだ」
「隠れない。かぶる」
そう言って点々と赤くなっている所を示せば、彼は楽しくて仕方ないといったように笑った。
「ずるなよ」
「………って言いながらなんでロングコート渡すかな………」
「くくっ………」
ダメ元で着てみれば、案の定裾が床についてしまった。
「……今度下に何も着ねェでそれ着てみろよ」
「却下。断固拒否。何つー想像してんの」
「自分の女にエロい格好させんのは男の特権なんだよ」
訳分からねぇ、この人の理屈。
「それはともかくだ。薬と情報買いに行くぞ」
「私行く必要ないでしょ」
「手負いの奴に船番任せられるか。グダグダ言うな」
「というか上着!短いの!」
「ククッ……ほらよ」
結局、フード付の上着を借りることにした。
この丈あるなら最初からこれ出してくれよ。なんてことは、今更言っても意味がない。
ローがセラフィナを連れて向かったのは、ある薬屋。
そこの店主は、薬屋の経営者であると同時に情報屋でもあるらしく。
彼と店主が何言か、言葉を交わすのを聞いていた彼女は、ローに向かって頷いてみせた。
「出てるわ」
「向こうの店で待ってろ」
ぽんと財布を放れば、彼女は片手でキャッチしてその店の方へ歩き出した。
店主へ向き直ると、寡黙な彼は微かな笑みを浮かべた。
「………“死天使”か」
「もう有名か?」
「そりゃあな。いい女じゃねェか」
ローは満足げに口の端を上げた。
こちらでいう情報屋がどんなものだかよく分からないが、あの店主の雰囲気から察するに全くのシロというわけでもなさそうだ。
同業者に近しい何かを感じた。
(なんだかな………。なんだかんだ向こうの世界とこっちとそこまで変わらないのかもね、人間)
妙な感銘を受けながらカフェのドアに手をかけた、
その瞬間。
ガッ!!
後ろから、凄い勢いで左肩を掴まれた。
そこはモロに昨日刺されたところ。
電撃のように走った痛みに顔を歪めたが、
(しまった………!)
いくら海兵がいないとはいえ、懸賞金が上がってしまったのだ。
女だというだけでただでさえ賞金稼ぎに狙われやすくなるとローに言われた。
しかもローと敵対する海賊が相手だと、さすがに雑魚だけじゃない。
ローがいるから、手負いだからといって鎌はもちろん、短剣一本さえ持っていない腑抜けた自分に舌打ちしたい。
相手はかなりガタイのいい男らしく、口を覆われたまま裏の路地へ引きずりこまれた。
相手の隙を狙ってエルボー入れるしかないかとタイミングを伺った時。
ふわりとどこか懐かしい匂いに包まれた。
気づけば、自分をここに連れ込んだ男に抱きしめられていた。
「セラフィナ………!」
「………ハ、ク……?」
彼女を捕まえたのは、
向こうの世界にいたはずの、何でか知らないが噂の海軍大佐になっていた彼だった。
それを知ってほっと体の力が抜けた。
何はともあれ、今ここで彼が自分を殺すわけはないと分かっていたから。
「………ゼノとお前の繋がりを頼りに、神官にこっちに飛ばしてもらった。四龍と姫さんの力も借りてやっと成功したみてぇだな」
懐かしい、その名に泣きたくなる。
………私が元々生きていた世界が、鮮やかに蘇ってくる。
かつての仲間たちの顔が浮かんでは、目の奥がツンとした。
「つかお前なんで海賊なってんだ。しかも賞金首かよ」
相変わらず問題児か。
そう言う彼にムッと言い返す。
「そういうハクも何が海軍大佐よ。正義の味方なんてそれこそ柄じゃないでしょうが」
「そりゃ、……おい。何どさくさ紛れに失礼なことかましてんだ」
「海賊の方がまだ頷けたわ。海軍に拾われたの?」
「あぁ。落ちた目の前にいたのが海兵だった。あっちの服のままだったから不審者扱いされてな。さすがにイラついたから全部ぶっ飛ばしたら入隊のお誘いときた」
………まぁそんなことだろうとは思ってたけどさ。
「戦闘要員なら紛れ込めるかもしれねぇってことで入ったのになんだよコレ。軟弱な奴しかいねぇから稽古で大刀の持ち込み禁止になったぞ。ありえねぇ」
「うっ………そりゃご愁傷様で………」
そりゃあの一発浴びたらヒラの海兵なんて一凪でしょうよ、疾風言われるわけだわ。
「ま、ある意味賞金首で助かった。こっち来たはいいものの本当にお前が落ちてるのかも分からねぇし、いたとしてもどこにいるのか分かんねぇし。何もないよりよっぽどマシだったな」
「そういう意味じゃ賞金首も便利だったりしてね」
「バカか。本業はたまったもんじゃねぇよ。追われるんだからな」
「………一応私、本業なのか」
そんな間抜けなこと言うなよ、今更。
とでも言いたげな呆れたハクの目に合ってしまい、笑ってごまかした。
「とりあえず見つかって良かった。………これ以上海軍にいる必要はねぇ」
「………」
「お前のペンダントが帰りの道しるべになる」
(私は、)
この世界の住人ではないのだ。
文字通り、異端なのだ。
………いつか帰る日が来る。
否、それを待っていた。
はずだった。
「帰るぞ、セラフィナ」
愕然とした。
(何故、)
その言葉に頷けないの。
何故、頭に浮かんだのは向こうの世界のことではなく、
命を託すと決めた、彼の顔なの。
束の間の縁だったと割り切ればいい。
向こうの世界に戻れば、全てが元に戻る。
いつも通りの毎日が待っている。
………なのに、どうして。
固まってしまったセラフィナに、ハクは眉を寄せた。
ペンダントを失くしでもしたのか、
……だが、そんな簡単に失くせるような代物じゃないことも分かっていて。
彼女の首元にかかったチェーンに指をひっかけ、そこにあるはずのペンダントを確かめようとした。
が、何かに気づいたようにピタリと動きを止めた。
「………“コレ”が原因か………?」
「何、の………っ!」
つっと首筋を撫でられた。
………そこにあるものの存在を思い出し、反射的に彼の手を弾いた。
首元を隠そうとすれば、大きく舌打ちしたハクにその手を掴まれた。
ばさりと跳ね除けられた、ローの上着が乾いた音を立てて地に落ちた。
「………なぁ………」
殺気にも似た、その怒り。
否応無しに体が強張った。
「誰に手ぇ出されたんだよ、セラフィナ」
「まっ、んっ………!?」
その言葉に否定も出来なければ馬鹿正直に肯定することもできず。
話せば長くなる訳を話そうとした。………が。
その前に当然のごとく塞がれた唇。
何を弁明するのも許さないと、息する間ですら与えてくれない。
呼吸も、吐息も、
すべてが飲み込まれていくような、
そんな、錯覚。
………振りほどけないのは、単に男女の力差の問題だけだろうか。
嫌という程、このキスを知っていた。
決して一線は越えてこなかった彼が、その代わりとでもいうように何度もしてきた。
その理由は、
「…………お前が“奴”を忘れられるまでは、……そう思って、どれだけ俺が自制してたか知ってるか、セラフィナ」
ハクの隣にいれば、私は決してアルヴィを忘れない。
………いくら彼が私を思ってくれようと、私の中にはアルヴィがいるんだと思わせてくれる。
それは一歩間違えば重荷になる。
だがそれを易々とおろして、自分だけ楽になろうなんてそんな考えまっぴらごめんだ。
他でもない、自分が奪った命。
一生を賭けて償っていくとそう決めた、
その覚悟を誰より、
ローよりもよく理解しているのは、皮肉なことにこのハクなのだ。
「………こうなるなら最初から奪っちまえば良かった………なぁ、セラフィナ……?」
「やっ、め………ん………!」
鳩尾を蹴って飛び離れようとした一瞬前に足の間に割り込んだ彼の足。
顔をいくら背けようとしても逃げられるはずもなくて、やがて背中が壁に当たる。
手首を押さえつけられていた腕を解かれたと思えば、膝から崩れ落ちそうになった腰を支えられて、いっそうキスは深まっていくばかりだった。
「い、やっ………!ハク………!!」
「ROOM」
彼の、声がした。
何度、この声に救われただろう。
何度、助けに来てくれただろう。
あの独特の浮遊感を感じた後に、もう馴染んでしまったローの腕に抱き込まれた。
「てめぇか………」
ハクの刺すような殺気がローに向けられる。
「………コイツに何の用だ」
ローのいつもより一段階低い、怒気を含んだ声が向けられる。
「こっちの台詞だ。セラフィナにお前はふさわしくねぇ」
ローの眉が不機嫌そうに寄せられる。
「それはお前が決めることじゃねェ。……噂の海軍大佐ともあろう奴が賞金首に惚れこんで、挙げ句の果てに人気のねェ所で襲うなんざ末期だな。皮肉なことこの上ねェ」
「海軍だ大佐だ、んな肩書きには何の価値もねぇ。セラフィナの背中を守るのは俺だ。それ以上何が必要だ?」
凛と言い放った彼に、………不覚にも何も言い返せなくて。
「戻ってこい、セラフィナ」
まだ潤んだ、涙の残る瞳をあげるセラフィナ。
伸ばされた疾風の手を映す、
その目が、大きく揺れた。
彼女の返答を聞きたくなくて。
「ROOM!!」
「何を迷う?あいつを…………アルヴィを忘れるのか!?」
「やめて!!」
「シャンブルズ!」
“疾風”の目の前から、一瞬で二人が消えた。
…………残されたハクは血が流れるのも構わず、壁を殴りつけた。
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