Collapse 69
「セラフィナ!!おい、セラフィナ!!」
人々が歓喜に沸いているその声ですら、今のローには届かない。
感傷に浸っている暇なんて、一秒たりとも残されていなかった。
倒れた彼女を受け止めようとしても、
受け止めるには、腕が一本足りなくて。
すぐにオペをしなければ、彼女は助からない。
気持ちばかりが急く一方で、妙に冷静な自分もいる。
その事実が、何より苛立たしかった。
いっそ錯乱してしまえばどれだけ楽だったろう。
いっそ現実が見えなくなるほど動揺出来てしまえば、
(………分かってる)
どれだけタラレバを考えてみたところで、良くも悪くも彼の頭は現状をよく理解していた。
片腕のない、満身創痍の彼。
今この状況でメスを握ったとしても、失敗して命を奪うのがオチだ。
自分以外の医者を探すか、
何とかして腕をくっつけるか。
それが最優先事項だと分かっている。
……頭では、嫌というほど理解している。
だが、
(俺の状態が整うまで、セラフィナが生きていられる保証はない)
どう考えても、今の彼女は瀕死だ。
今から処置を施しても、助かるかどうかは五分五分だろう。
──セラフィナが、死んだら──?
あの時、
ドフラミンゴしか見えていなかったあの時、自分が命を失う覚悟をしていたというのに。
彼女を置いていくまでの覚悟をしていたというのに。
……なのに。自分が置いていかれるかもしれないこの状況には耐えられない。
“13年前の悲劇”を繰り返すかもしれない、
そう思えば気が狂いそうになる。
………なんてザマだ。
唇を噛みしめた。
───その時、
風が頬を撫でた。
彼はハッと目を見開いた。
一度の瞬きの後、彼のすぐ隣に立っていたのはあの疾風だった。
「な、」
「……治癒」
反射的に応戦しようと身構えたローだったが、
疾風はそれを無視して、彩色を発動させた。
ローの、失った腕へ向けて。
「テメェ……何のつもりだ!?」
「人の親切は素直に受け取れ。今回は珍しく裏も表もねぇからよ」
珍しくって言ってんじゃねェか、誰が安心できるか。
「……その腕じゃ、ロクに治療も出来ねぇだろ」
治癒を使い続ける彼は、ぽつりと呟きを落とした。
その言葉にハッと我に返ったローは、彼の腕を掴んで治癒を中断させようとする。
「何だよ」
「何故俺に治癒を使う。セラフィナに使え」
「使えねぇからお前に使ってやってんだろ」
「………は?」
命の危機があるセラフィナには使えず、命だけは確実に保証されているローには使える。
疾風からしてみれば、救いたいはずのセラフィナには使えないくせに、どうでもいいどころか下手したら邪魔だと思っているローには使えると?
「……治癒は特殊なんだと」
彩色を無効化出来る、イブの結晶でも無効化されないという治癒。
現に今、イブの結晶で出来たバングルを付けているはずのローは治癒の恩恵を受け取っている。
「彩色使いが別の彩色使いに“治癒”を使うには、相応の代償が必要だって話だ」
まぁ今までは、同時代に彩色使いが複数人いたなんてことはなかったんだろうけどな。
と肩を竦める疾風に、ローは眉を寄せた。
「代償…?何故だ」
「知るかよ」
だろうな。
「……で、その代償ってのは具体的に何だ」
「それが分かったら苦労しねぇよ」
前もって失う覚悟が出来ているのと、出来ていないのとでは雲泥の差がある。
それも今回に限って言えば、“誰が”代償を背負うのかも分からないのだ。
治癒を使う疾風なのか、
治癒を受け取るセラフィナなのか。
何一つ、確かなことは分からなかった。
……だから、治癒を使えなかった。
「………疾風」
「あ?」
「お前の彩色を使えば、セラフィナの“命”を保証できるか」
「……は?だから、」
「代償については一旦無視しろ。治癒を使って、何が何でも命だけは繋ぐ……それは出来るのか」
真正面からローの瞳とかち合ったハクは、知らず息を詰めた。
そのアンバーに映る、狂おしいまでの光に。
「代償なんざ、後でどうにでも埋め合わせしてやる。……今大事なのは、コイツを生かすことだ」
例え彼女が代償を背負うことになったとしても、
自分がその隣で支えてやろう。
何が起こったとしても、
「命さえありゃァ、どうにでもなるんだ」
死んでしまえば、それで終わり。
そんな残酷な事実なんて、とうの昔に身をもって痛感した。
疾風は逡巡するように黙したが、やがてふっと息をついた。
彼が無言でセラフィナの上に手を翳せば、淡い薄緑色の膜が彼女を包み込む。
ローはROOMを広げ、一瞬で彼ら三人を船の上へ移動させた。
「トラファルガー・ロー……!!お前、生きてたのか」
船の上に降り立てば、ちょうど近くにいたらしいキャベンディッシュが驚いたように目を丸くする。
後ろでバルトロメオがぎょっと身を引いたのが見えたが、今はそんなことを気にしている場合じゃない。
「医療室と道具を借りる。………最低6時間は出入りするな」
「僕にそんな……いや、分かった。助手はいるかい?」
「いらねェ」
傍若無人なローの態度に思うところはあったのだろうが、セラフィナがやったことは彼も見ていたのだろう。
その傷の具合も、またローの失った片腕のことも彼は知っている。
それ以上何も言わずに請け負ってくれた。
部屋に入ってすぐ、疾風の治癒を麻酔代わりに自分の腕にオペを施した。
……疾風がいなかったら、そう考えるとゾッとする。
麻酔無しで自分の腕を縫合するのだ、痛いことこの上ない。
我慢できずに麻酔を打ったが最後、肝心のセラフィナのオペの時に腕がうまく動かないこと確定案件だ。
どちらにせよ全くもって嬉しくない。
「………さて……。久しぶりの大手術になるな」
白衣も羽織らず、メスを取った。
…………彼女の手術は、予定を2時間上回った。
総計、およそ8時間。
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