人魚姫


「………俺は高いですよ、姫さん」

「別に私が頼んだわけじゃない。……逃げてくれても一向に構わないわ」




口の端を歪めて笑った護衛に、姫は冷笑を浮かべた。


これが、俺たちの出会いだった。
























「……はぁ?火の部族の姫の護衛だぁ?」

ハクは酒片手に素っ頓狂な声を上げた。


「そうじゃ。しかも風の部族宛だけではなく城の方にもお前を貸してくれときた。断る訳にゃいかんだろう」
「………とかいって金だろ金」
「分かっとるな」


飄々と抜かすムンドクに杯を投げつけようとしたが、酒がもったいないので辞めておいた。
腹いせに一気に飲み下せば、喉がかっと熱くなった。

………くっそ、これ強いやつだった。


「嫌だね、めんどくせぇ。第一、守んのは姫だろ?俺じゃなくたって火の部族にゃ兵士がわらわらいるだろうが」
「それが特別な事情があるらしくてだな」
「わーったわーった。行って断ってくるわ」


本人がいないところでどれだけ拒絶の言葉を並べ立てようと意味がない。
ハクは大刀を担いでよっと立ち上がる。



「わーもしかしてハク様、一目惚れされたんじゃないのー?」
「あーあるかもねー。なかなかお近づきになれないからこの機にって」

「てめーらちっと黙っとけ」


好き勝手に囃し立てるヘンデとテウに拳骨を食らわせ、早々火の部族領へと出かけていった。









「………これはこれは、ソン・ハク将軍……。ようこそ、はるばるお越しくださいました」



そう言って慇懃に礼を取るのは火の部族長、カン・スジン。

呼んだのてめーだろうが。あほらし。
なんて思ったのは心の中だけにとどめておいた。我ながら英断。



「………なんで俺を指名されるのかが分かりません。火の部族にも優秀な将軍がいるでしょうに」

やんわり拒絶の言葉を向ければ、彼は首を横に振った。


「ハク将軍ほどの腕が欲しいのです。そうでなければ止められないかもしれない」
「………は?」


これはとんだじゃじゃ馬姫か。
好き勝手どこにでも行くからそれのお目付役をってことか?

………冗談じゃねぇ。



「将軍には娘の命を守って頂きたいのです」
「………は……狙われてるんですかい?」
「いえ………それが………」


妙に歯切れの悪い、煮え切らないスジンに苛立ちが募り出したその時。



「………護衛なんて要らないと言いましたのに、お父様」


静かな声が割り込んできた。
そちらを見れば、一人の美しい娘が立っていた。


「お前がそう言ったって、私としては心配なのだよ。……さて、少し二人で話すといい」


どうやら、この娘が護衛対象の姫らしい。

(………どう見ても手がつけられないじゃじゃ馬って感じじゃないよな、コレ……)


少々失礼なことを思いながらまじまじと見ていると、彼女は首を傾げた。



艶やかな黒髪に、真珠のように白い肌。
そして何より印象的な、桜色の瞳。
まるで外に咲き誇っている桜の色を、そのまま写し取ってしまったかのような綺麗な色。

深窓の姫というにふさわしい可憐さを備えた姫の姿に素直に驚く。


………ふと、ヘンデたちの声が蘇ってくる。


(んなわけねーだろ。こんな時に出てくんなアイツら)



馬鹿な考えを振り切るように目を閉じ、傲岸な笑みを浮かべて言い放ってやった。



「………俺は高いですよ、姫さん」


深窓の姫が何と返してくるか、性格悪くも面白がって見ていると、
……彼女はその可憐さに似合わない冷笑を浮かべた。



「別に私が頼んだわけじゃない。……逃げてくれても一向に構わないわ」


目を見開いた。
彼女は呆気にとられたような彼にくすりと笑いを零す。



「受けてくれなくて構わない。むしろ断ってほしいくらい」



………あのな。
人をここまで呼びつけておいてそりゃないだろうよ、姫さん。

勝手に来た血の気が多い馬鹿は自分だということも忘れて、ハクは呆れ返った。


そして、妙な加虐心を煽られる。
辞めとけば良かったのに。………本当に、辞めとけばいいのに。



「………そんなに言うなら受けてやりますよ。嫌い嫌いも好きのうち…ってね」
「………はぁ?」



嫌いなんて一言も言ってないんですけど。
というか受けるって何。
いかにも気が乗りませんって感じだった面倒くさがりな男はどこ。


彼は彼女の途方にくれたような、呆気にとられたかのような顔を見て影で舌を出した。













「………嫌な夢……」


妙にリアルな、嬉しくない夢を見た。
おかげさまで朝から頭が痛い。

ため息をつきながら寝台から降りようとして、……ぎょっとしたように動きを止めた。


「………なんでいるの………?」
「もうボケましたか。俺より若いのに大変ですねぇ」


………忘れるはずもない、この生意気な口調。



「……………まだ夢か……」
「おいこら待てや」


コロンと寝転がれば、布団を剥がれた。……なんて奴。


「だから私は頼んでないんだって言ったじゃない……というか女の部屋に勝手に入るな!」
「護衛なんだから仕方ないでしょう」


無駄にドヤ顔決めてるあたり憎らしい。


「着替え手伝いましょうか?」
「刺すわよ」


………なんなんだこの護衛。さっきから肩震わせて何がそんなに面白い。


「いやー、姫さんには着替えるのにも手伝いが必要かと」
「じゃあいい事教えてあげるわ。私はいつも着替えは一人でやってます。侍女も呼んでませんからお気になさらず」


そう言ってとりあえず彼を閉め出す。
まだ笑っていたのは癪に触ったが、まぁ知らないフリ。












「………はぁ……」


物憂げなため息をつく彼女の前には、大量の料理が並ぶ。
高級食材だという名前を覚える気もさらさらない何とやら。
こんなに並べられると嫌でも食欲失せる。


「食べないんですか」


ひょっこり顔を覗かせたのはあの護衛。


「食べたいなら食べていいわよ……」
「食わなきゃ死にますよ。食わせてやりましょーか」

「………ねぇ、護衛さん」



彼女の目が悪戯っぽく光る。
何を言われるんだと背筋に薄ら寒いものが走った。















「何を言うかと思えば………」


ハクは大きなため息をついた。

彼は今、そこそこ大きな風呂敷を抱えている。
その中に入っているのは彼女に出されたあの大量の料理。



『これ、持ち出すの手伝って』



彼女にそう言われた時は目が点になった。
彼女はせっせとお重に料理を詰めて、それを彼に持たせる。




かなりの量の食物を抱え(させ)、彼女が向かった先は、………貧しそうな農村だった。


「おばさん!元気にしてる?」
「あら、**ちゃん!久しぶりねぇ」


彼女は親しげに一人のおばさんに声をかけた。



「**ー!ねぇ、見て見て!」


子供が駆け寄ってきて、彼女に手を開いて見せたのは一羽の折鶴。


「わっ、すごい!」
「**に教えてもらってからお母さんとれんしゅうしてたんだ!これ一人でつくれたんだよ」


そう言ってニコニコと笑う少年に、彼女も屈託のない笑みを向ける。


「知ってる?この鶴、千羽折ると願い事が叶うんだって」
「ほんと!?じゃあ、お母さんが長生きしますようにっておねがいする!」


無垢なその願いに、彼女は温かい笑みを浮かべ子供の頭を撫でた。


「あ、そうそう。これ、ここの人たちで食べるか売るかして使って」


彼女はハクの抱える荷物を指して、おばさんに言う。
中から二つあるうちの大きな方を渡す。



「いつも悪いねぇ……。私らにしてあげられることが何かあればいいんだけど」
「気にしないでって言ってるでしょ?……あっ、じゃあ今度鳥か猪辺り狩れたら焼いたの食べさせて」


隣で聞いていたハクは内心顎を外した。


(なんつーことを言うんだこの姫さんは………)

深窓の姫?嘘ばっか。
かといって別にじゃじゃ馬ってほど手がつけられない訳でもない。
……掴めないな、コイツ。



「そんなことでいいのかい?」
「ええ。楽しみにしてるわ」


その後も何人か村人が彼女を見かけては嬉しそうに駆け寄ってきていた。
ハクはただひたすら存在を消すことに努めていたが、結局村を出られたのは軽く一刻後だった。









「………あんた、いつもあんなことしてんのか」
「いつもじゃないけどね」
「慈善か?」


我ながら少し嫌味っぽくなってしまったと思った。
キレられるかもしれないと思ったが、彼女は首を振った。


「そう見えるならそれでいいけど、違うわ。もう少し付き合って」


付き合うも何も、護衛なんだからついていくだろうよ。
なんて言葉には出さない。



だが、そうして到着したのは活気溢れる市場だった。
一つの店に近づいていくと、彼女は店主に話しかけた。

二人は顔見知りのようで、親しげに言葉を何言か交わすと揃ってハクの方を見た。


「その荷物渡して」


残ったもう一つの方のお重を渡せば、店主は顔を輝かせた。


「いつ見てもいいねぇ。今日は何がいいんだい?」
「んー……これとこれかな……護衛さんは?」
「はい?」


急に話題を振られたハクが素っ頓狂な声を出せば、彼女はトントンと何かを指した。
そこに書かれていたのはお品書き。


「どれ食べる?ってこと」
「いや、俺は……」
「食べてないでしょ。食わなきゃ死ぬって言ったの誰よ」


彼女はそう言うと、勝手に三つほど注文した。
店主が頷いて奥へ下がると、彼女は慣れたように席に腰を下ろす。



「………どういうことだ?」
「慈善かってさっき聞いたでしょ?……全然違うの。私が城の料理を好きじゃないだけ」


くすっと笑う彼女に、口を開けたまま固まった。


「高級なもの使ってるのは分かるんだけど、どうにも気取ってるというか、すましてるというか……なんて言えばいいのか分からないけど、こういうとこの方が好きなのよね」


だから店主に掛け合って、城での食事を代金がわりにしてもらってるの。
という彼女に言葉も出てこなかった。


「だから二つに分けたのか……」
「そういうこと。いつもはもっと小さいのでいいんだけど、今日は二人分だから多め。店主も喜んでたわ」



屈託のない笑みは、ただ素直に可愛かった。

そんな表情もするんだと……
第一印象とのあまりの違いに半分ほどついていけていなかった。



「……つかさっき、俺のこと護衛さんって呼びましたよね?」
「え、うん。駄目だった?」
「駄目じゃないすけど、なんか嫌です」
「嫌……なんて呼んで欲しいの?」
「フツーに名前でいいです」
「………あー……ごめん」


彼女はあはっと情けなさそうな笑みを浮かべた。



「護衛引き受けられちゃうの予想外で、名前、聞いてなかったわ………」



木魚の音が聞こえた気がしたのは、きっと気のせい。












そんなこんなで穏やかな日々が続いたのだが、ある時彼女が姿を消した。


「**!?どこだ、**!!」


父親であるスジンは完全に取り乱し、城の中を落ち着きなく歩き回っていた。

「ハク将軍!!こうならないためにあなたを護衛につけたんですぞ!!」


その怒りの矛先がハクに向かう。
………異様なほどの熱量に、彼は眉を寄せた。


「………お待ちを」

(………どこに行った……?あの村か……市場か……)



スジンの前では意地でも焦燥を見せなかったが、彼とて焦っていたことに変わりはない。
少し暇をもらって休んでいたところの脱走だ。


(チッ………)


なんでこんなに振り回されなきゃいけねーんだ。

あの村へ行き、村人に彼女を見たか聞いても誰も見ていないと言う。
二人で寄った市場の店の店主に声をかけても、見ていないと。


「どこにいるんだよ、お前は………!」


攫われた、とか


しかし彼女が城から出ていないとなれば人の目が多すぎる。
自ら、そんなすぐにバレて捕まるようなことをするのは余程の馬鹿か手練れしかいない。

未だに見つかっていないことを考えても、後者と考えるしかなさそうだ。


そいつが彼女を連れて海を渡ってしまえば、もうこちらに打つ手はない。
船がないかどうかだけ確認しようと海の方へ走り、

………目を疑った。



「**!!」


一人で波打ち際に立つ、その後ろ姿は確かに彼女のものだった。

(入水自殺する気か!?)


焦って彼女の元まで追いつこうと走る。
……しかし、彼女はびっくりしたようにこちらを向いたまま固まった。


見つかってまずいとか、急いで海の中へ入ろうとするとか、そんな素振りは欠片も見当たらない。
ただなんでここに来たのか……そういう眼差しが向けられる。



「………はっ………」
「え、どうしたの?ハク」
「どうしたのじゃねぇよ!」


一気に肩の力が抜けた。


「入水自殺するつもりですか。ここ浅瀬ですよ」


せめてものお返しとばかりに言ってみたら、彼女は呆気にとられたように口を開けて固まった。

………しかし、次の瞬間には寂しげな微笑を浮かべていた。



「………!」
「それも良かったかもね………」


耳を疑った。


「お父様、慌ててたでしょ?」


彼女が砂浜に腰を下ろしたので便乗して隣に座り込む。
足が痙攣寸前だ。情けない。


「そりゃあ。ま、大事な姫がいなくなったらそうだろ」
「………違うの」


彼女は俯いたまま、力なく首を横に振った。



「何がです?」
「お父様が大事なのは私じゃない」


眉を跳ねあげた。
そうじゃなかったらあんなに取り乱しはしないでしょうよ、
そう言おうとして、言えなかった。



「知らなかったでしょ?私のお父様はカン・スジンだけど、お母様は今の正妻……イグニ様じゃない。かつてのお父様の愛人だって」



ハクは絶句した。


















「お父様とお母様が出会ったのは、お父様がイグニ様を迎えるより前だった。……縁談が持ちかけられた時にお父様は一も二もなく飛びついたわ。私のお母様も一応貴族の出ではあったけど、イグニ様の方が身分も高くお父様に返ってくる利益も桁外れに大きかったから」



縁談を決めた時、もう既に彼女の母親は**を身ごもっていた。
それを知ったスジンは慌てふためいたが、観念してイグニにそれを話した。

結局話し合った末、生まれてきた子供はスジンとイグニの子として彩火城で育て、どこかへ嫁がせることが決まったのだという。

本当の**の母は城で侍女として働き、我が子を影から見守っていたという。



「……昔、お母様とお父様との仲立ちをしていた侍女がいたの。唯一心を許せた侍女だったけど、本当のお母様のことを私に教えてくれたことがバレたのね。それが原因で彼女は解雇されたわ」


里帰り、なんてもっともらしい理由をつけてね、
と言って自嘲するように笑った彼女に、ハクは何も言えなくなった。



それからスジンは壊れ物を扱うように**を気にしだした。

だがそれは親愛の情というよりは、使い勝手のいい道具になるはずだった娘を利用できなくなるんじゃないか、そういう不安でしかなかった。

イグニの娘として嫁に出せば、厄介払いも出来て出世にも繋がる。
それを思って、彼は彼女の機嫌を損ねないように今まで丁重に扱ってきたのだ。


「だからお父様が心配なのは私が嫁ぐ前に自殺しようとすることなの。姿が見えないっていうのも攫われたなんて考えてないはず。どこかで命を断とうとしてるんじゃないかって、それだけがお父様の不安なの。……今回の縁談が破談になれば、火の部族の評価はガタ落ちするだろうから」


権力で全てを決めた父。


一度その道を選んだら、もう後には引けない。
無常の世の中で、より強く、大きく、そして安定した権力を手に入れようと必死な父の姿はいっそ滑稽だった。


………だから、彼女を愛してくれる人なんていなかった。



兵士だって守れと言われているから守っているだけ。
仕えている侍女だって、姫に会いにきた殿方が自分を見初めてくれることを夢見ているだけ。


誰も、彼女を見てはいない。




「………私は望まれない子だったの……。だから、せめて最後くらい利用されてあげようと思った…。でも……!」




なんつーことを言わせてんだよ、


あのクソ親父。




「………あの村人だって、市場の店主だってお前が来るの楽しみにしてる」
「……だからあそこにいた方が気が楽だったの…。城にいても、私は本当はここにいちゃいけないはずなんだって、考えれば考えるほど目眩がする」


せめて城の中だけでも、何も感じないように自分を取り繕って生きていこうと思っていた。


(………だから初対面、あんなだったのか………)


全ての感情を排したような冷たい微笑と声音。
……似合わないことこの上なかった。


「………お前はこの運命を受け入れるのか?」


不条理で、理不尽極まりないこの人生を是とするのか?


「……それ以外に道があったら、もうここにはいないわ。……あぁ、それか」


彼女の端整な顔に、消えてしまいそうに危うげな微笑が浮かんだ。


「いっそ海の中の泡になって消えた方がいいかな………」


彼女は目を閉じ、波の音に耳を澄ませた。




「私のお母様も、海に還ったの……。お母様の所へ行けるなら、その方が何倍もいい」


「………じゃあ一緒に消えちまいますか」




耳を疑った。



「……え?きゃあ!」


ばさりと羽織を落とされたかと思えば、次の瞬間には抱き上げられていた。


「な、な、ちょ、何してるのハク!」
「愛の逃避行としゃれこみますか。海に還るのもいーですが、………その前に俺の心、返してくれませんかねぇ?」



心臓が、うるさい音を立てた。



「クソ親父のとこだか、どこの馬の骨だか知らない坊ちゃんのとこだか知らねーが、知っちまった以上帰さねーよ。つかやらねーよ。……海に還る前に俺と来い」


ちなみに俺たちが入水自殺したって見せかけるために羽織脱ぎ捨ててきたんで。
なんてちゃっかり工作してた彼に絶句した。



「………なんで………」
「何が?」
「なんでお前は私をそこまで振り回すの………?」


彼の横顔に浮かんだのは、………思った数倍、優しい微笑。



「振り回せてんなら、光栄だな」



優しく触れた、柔らかい唇の感触。
初めて感じた、甘やかな味。


「俺にはお前が必要だ。……俺と来い、**」





その日、火の部族の姫は護衛もろとも姿を消した。


彼女の真実は海の底に………




それを掬い上げたのは、風の部族の将軍だったという。









。・゚・。。・゚・。。・゚・。。・゚・。・゚・。。・゚・。。・゚・。。・゚・。


読者様から頂いたリクで書き上げた短編(というにはちと字数が多いが)。
切甘……甘?;;





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*現在お礼:トラファルガー・ロー
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