幾千年の愛を
見てはいけない。
想ってはいけない。
彼は私とはちがうのだから。
手に入れたい。
守りたい。
その全てが欲しい。
君さえいれば他に何もいらないのに、
大事な君はこの手をすり抜けていってしまうんだね……
「………おい、**」
見事に濡れ鼠と化した私に声をかけてきたのは、呆れたような顔の零。
「何一人で遊んでんだ」
「あ、遊……違う!事故で水やりされたの、さっき!」
「………はぁ?」
その哀れむような目、傷つくな。
私が頭おかしい人みたいじゃないか。
なんて言ってもどうせおかしいんだろ?位しか言ってくれないのは知ってる。
長い間一緒にいたら嫌でも学習するわ。
「見回り中に夜間部の子が水やりしてたの。それで飛び火……いや飛び水か。して………」
「………もういい。とりあえず上着脱げ。風邪引くぞ」
問答無用で上着を引っぺがされた。
………今更そんな遠慮がどうこうとか言わないけどさ。
「わっ、寒っ!」
何てったって今は冬真っ只中。
雪が積もってるとまではいかないがそれでも肌を刺すような寒さは嫌ってほど身にしみる。
上着を奪還しようとして、
………視界の端に見えてしまった人影に動けなくなった。
優姫と、
枢。
ズキン、と胸が痛みを訴えた。
音が何も入ってこない。
(………馬鹿………)
私は馬鹿だ。
知ってたのに。
………諦めなきゃいけないって分かってるのに。
泣いちゃ、駄目。
この想いは、私の中だけに秘めておかなきゃいけないもの。
溢れそうになった涙をどうにかしようと顔を上げた瞬間、勢いよく腕を引かれた。
ばさりと馬鹿でかい上着がかけられたと思えば、
「んっ………!?」
唇に押し付けられた、熱くて柔らかい感触。
目を見開いた。
「……っん……ぜ、んぅ………!」
目の前に見える、細められた紫色の瞳にぞくりと背筋が震えた。
息をする間も、名を呼ぶ余裕も、この状況に対する無粋な問いも、全て彼の唇に奪われていく。
歯列を割って入ってきた熱い舌に、びくりと腰が引けた。
………が、それより先に腰に回された彼の腕がそれを許してくれない。
「んんっ……!はぁっ………」
力が抜けそうになる体を、彼に抱きとめられた。
「………俺にしとけよ………」
目を見開き、思わず彼の顔を仰ぎ見た。
「俺はお前しか見てない。………あんな奴のことなんて考えるな」
「………な、んで……」
なんでそれを知ってるの。
知られてはいけないその想いを、なぜ。
「言っただろ。……お前を見てたら嫌でも分かる」
もう一度、啄ばむようなキスを落とされた。
「少しでも応える気があるなら、見回りが終わった後俺の部屋に来い」
するりと頬を撫でられる感触に、微かに吐息が震えた。
私の顔は今、さぞかし真っ赤に熟れているだろう。
「………忘れられるの……?」
この、自分じゃどうしようもなかった猛獣のようなこの想いを。
彼は肩越しに、不遜とも言える笑みを浮かべた。
「忘れさせてやる。……覚悟しとけ」
また熱を持った頬を誤魔化すように顔を隠せば、彼が愉しげに喉の奥で笑ったのが聞こえた。
色々なことがぐるぐる頭の中を巡っていたが、体はなんとも律儀でいつもの順序で巡回を進められた。
むしろ無心でいられた分、今日は見回りに感謝だ。
「夜歩きさんはいないですよっと………」
さて。
終わってしまった。
どうするべきだろうか。
立ち止まってふと外を眺めると、向こうの校舎の窓ガラスに銀髪が見えた。
薄暗い宵闇の中に埋もれることのない、彼の髪。
彼もこちらに気づいたようで、こちらへ視線をよこした。
口元にあの不敵な笑みが見えた気がして、かぁっと頬が熱くなった。
パタパタと扇いでほとぼりを冷まそうと思った、その時。
「………っ!?」
目の前のガラスに映った、自分ではない影。
目を疑って、振り返ろうとしたその瞬間、
その人物の腕に捕らえられた。
「なんでここに………っ!?」
「君に会いに」
そう言った彼は、
私が何度も想いを断ち切ろうとした相手。
玖蘭枢だった。
「……い、今夜間部は授業なんじゃ………」
「関係ないよ。………それともあれを見せつけられて、そのまま放っておけるほど僕が辛抱強いとでも思っているのかな………?」
背筋に冷たいものが走った。
何か、不穏な空気を感じる。
「何のことを、言って………」
「本当に分かっていないの?……それとも、分からないフリ?」
腰に回された腕の力が、ギリっと強くなった。
急に襲ってきた圧迫感に顔を歪めると、強引に彼の方を向かされた。
そして、つっとなぞられた、
唇。
鼓動が一つ、大きく跳ねる。
「許さない……。君だけは、錐生くんに渡すわけにはいかない」
「何を、んっ………!?」
今
私の唇に
触れているのは
何?
玖蘭先輩が
しているのは
何?
私がされているのは、
何?
「んっ……!は、くら……んぅ……っ!」
性急に捻じ込まれた舌は、口内を好き勝手蹂躙しだす。
逃げようとひっこむ舌を逃すまいというように執拗に追いかけられて、何度も捕らえられてしまう。
ぞくりと背筋が震え、舌が絡まる度に溺れそうなほどの危うい甘さに酔ってしまいそうになる。
自分の力で立っているのが難しくなってきた頃、背中を壁に押し付けられた。
「んん……!は、ぁ……っむ……ん……っ!」
「………はっ……**、………」
乱れた吐息と、聴覚まで犯されそうな水音だけが静かな夜の廊下に響く。
………あぁ、
おかしくなる。
「**………」
そんな、
………まるで愛おしむように呼ばれたらたまらない。
「……い、や……っ!はな、して……!」
それでも僅かに残った理性で、彼の肩を押しのけようとした。
だがそんな力で彼が離してくれるわけもなくて。
「どうして君は僕を避けるの……?」
「……っ…優姫が、いるでしょ………!?」
彼の顔がこわばった。
知ってるの。
優姫はあなたの婚約者だって。
だから私は、二人を壊さないようにって、この想いを封じようと、消そうと決めた。
その日から、枢先輩、そう呼ばなくなった。
「もう、やめて……っ!私を振り回さないで……!!」
涙がこぼれた。
もう、これ以上私を迷わせないで。
忘れるから、許して。
「………振り回されているのは僕の方だよ……」
彼は小さくため息をついた。
「僕が愛しているのは**、君一人だ」
やめて。
やめて。
やめて。
「違う……!あなたが大切なのは優姫一人。あなたの隣にいるのも…!」
「君さえいれば何もいらない。……全てを捨てていい」
陳腐なよくある言葉。
………そう済ませられたらどれだけ楽だったか。
「信じられないなら、僕は君を攫ってこの学園を去る。どれだけ時間がかかっても、僕の気持ちを伝え続けるよ。あらゆる手段を使って。……この長すぎる生が嫌だと言うのなら、そのせいで君が僕を拒むと言うのなら、それこそなんだってやる。他の純血種の心臓を使って人間になってもいい」
いっときの嘘だって、そう笑えたらどれだけ楽だったか。
………でも、そう言うにはあなたのその瞳は切実すぎた。
「愛してる……。そんな言葉じゃ足りないくらい、愛してる」
幾千の年月を生き永らえて、愛したのは君一人。
届かぬ愛を、それでも謳おう。
君に少しでも、一片でも伝わることを願って。
「………っ……それが本当なら、私をあなたと同じ生き物にして……っ!」
彼のダークレッドの瞳が大きく見開かれた。
「愛してくれているなら、同じ時を生きさせて…っ!」
「………本当に、後悔しない?」
私は無心で頷いた。
彼のダークレッドの瞳は、鮮やかな赤へと変わっていた。
………彼の渇きを満たせるのが、本当に私なのか。
まだ迷いはあった。
でも後悔はしない。
首筋へ穿たれた甘い痛みとともに、幾千年の愛を伝えて。