ランスがエリアスとキングズ・クロス駅に着いたのはまだ早い時間だった。教科書やローブを含めた衣服、リストに書いてあった荷物を詰め込んだ重いトランクを乗せたカートを押して、二人は人混みを縫って「9」と「10」のプラットホームの間を目指す。
 荷物や格好より、エリアスとランスの容貌がより人目を引いた。特にエリアスの容姿は誰の目にも文句なしに整っていた。口許に浮かべた微笑が柔らかさを引き立て、その表情から穏やかな為人が見てとれる。ランスと同じ紫の瞳が親としての愛情を湛えて我が子を映している。十一年前、腕の中に抱いていた子どもは今、愛した人が学生時代を過ごした学校へと向かっている……寂しいが、嬉しさと誇らしさがあった。思わず頬が緩むのも仕方がない。
 柵の前に立ち、ランスは父親を振り返った。どちらからともなく腕を伸ばして抱きしめ合う。別れを惜しむように……冷やかすような笑い声が小さく聞こえたがランスは恥ずかしくとも何ともなかった。腕を解いて、エリアスはランスの頬に口付けを落とした。
「元気で、無茶はしないんだよ。いつでも父さんが、母さんが、ついていることを忘れないで……それから、友達を大事にね。何にも代えがたい宝物になる」
「うん。父さんも、元気でね。たくさん手紙を書くよ」
 僅かに見つめ合って、お互い笑みを零した。列車到着案内板の上にかけられた時計を見て、エリアスがこんな時間か、と独り言ちる。仕事に戻らねばならない時間が迫っていた。
「行ってらっしゃい、ランス」
 エリアスの大きな手に背中を押され、ランスは一歩を踏み出した。――行ってきます。振り返らずに告げて、柵へと歩く。
 話には何度も聴いていたが初めての体験だった。ドキドキと心臓が煩く跳ねる。緊張から生唾を飲み込んだ喉が上下した。覚悟を決め勢い任せに駆けた。ぶつかる……感覚はなく、すうっと吸い込まれるような感じがした。思わず閉じていた目を開くと、ランスは紅色の蒸気機関車の停まるプラットホームに立っていた。九と四分の三番線。
 発車まで優に三十分以上の時間があった為か、まだそう多くの乗客はいなかった。何人かの生徒とその家族が会話する間を抜けて、ランスは列車に乗り込んだ。どの車両もまだ空いている。何処に座ろうか……とコンパートメントを覗き込んだランスの肩に、手が触れた。
 ぱっと横を見ると、見覚えのある男の子が立っていた。青白い肌に金糸の髪、自尊心の滲む顔立ち……ドラコ・マルフォイだと悩むまでもなかった。
「やあ、君、席はもう決まったのかい?」
「いや……まだだよ」
 なんで声を掛けられたのだろう、とランスは首を傾げた。逃げるように去ったものの名前は告げたし、あの驚いた表情からすればドラコがアッシュフォードのことを知っているのもわかった。純血主義の家の子が、まさかそれを知って尚関わってくるというのは些か予想外だった。
 そんなランスを気にした様子もなく、ドラコは荷物を持っていないランスの腕をとった。思わず目を丸めると、来い、とだけ短く言われ引っ張られる。抵抗もなくついて行くと、一つのコンパートメントに放り込まれた。そこには既に二人の男の子が座っていた。
 ランスやドラコに比べるまでもなくガッチリとした体型で、意地の悪さが顔に出ていた。ランスも、二人の男の子も、互いにきょとんと顔を見合わせた。コンパートメントの扉を閉めながら、ドラコが「クラッブ、ゴイル」と声を上げる。
「こいつがランス・アッシュフォードだ」
 クラッブもゴイルもドラコと同じ純血主義の一家ではないか。それにこの体格の差……ランスは密かに殴られるのも覚悟した。気に食わないという理由で……世の中には手をかける者がたくさん居るのだ。ぐっと唇を噛み締めたが、そんなランスの覚悟を一蹴するようにドラコが何をしてる、と不満気に言い放つ。
「早く座れ、僕の隣だ」
「……へ?」
 呆けているランスなどお構い無しにドラコの指示でクラッブがランスのトランクを中に詰めた。ドラコが背中を押して急かすのでランスはゴイルの向かい側の席に腰を降ろした。優雅な振る舞いでドラコが隣に腰掛ける。
 静かな空気がコンパートメントを満たした。向かい合うクラッブとゴイルが物珍しいものを見る目でランスを見つめるので微妙に居心地が悪いし、何故ここに居るのかわからなくなってきた。つれてきた当人は澄まし顔でコンパートメントの外を眺めている。
 あの……と捻り出した声はか細かった。ドラコがやっとランスを見た。
「マルフォイ、なんで僕ここに……?」
「この僕が席を用意してやったのに、不満なのか?」
 ドラコがむっと眉根を寄せる。その表情は幾分か歳相応に見えた。
「いや、そういうわけじゃないけど……君、僕のこと嫌いなんじゃないかなって」
「……確かに、君は純血というわけではないけど、あのミネア・ロゼニアの息子だろう?父上が知り合いだったんだ。素晴らしい力を持った魔女だったと言っていたからね」
 仲良くしてやってもいいと思っただけさ、と締め括ってドラコはまたそっぽ向いた。ブロンドから覗く耳が微かに色付いている。一拍置いて、ランスは小さく笑った。下手くそな精一杯が微笑ましくもあった。
 ドラコは笑われてキッとランスを睨んだが、目にした柔和な笑みに言葉を失った。性別に関係なく綺麗で……顔に熱が集まるのを感じた。視界の端に映ったクラッブとゴイルも僅かに赤面しているのが見て取れた。
「ありがとう、マルフォイ」
「……ドラコでいい」
「じゃあ、ドラコ。僕もランスでいいよ」
 ちょっと変わった友人が出来たなあ、とランスは目を伏せた。十中八九、ドラコもクラッブもゴイルもスリザリンだろうが……僕がスリザリンじゃなくても友達でいてくれるだろうか。
 ハリーはグリフィンドールだろう……ああ、ハリーを捜すつもりだったけど……ホグワーツに着けば会えるはずだ……そんなことを考えている間に、ランスは微睡みに落ちていた。ドキドキして、不安と期待が胸の中で混ざり合ってあまり眠れなかったことを知っているのは、部屋にある写真の母だけである。

 車内に響き渡る声で目が覚めた。
「あと五分でホグワーツに到着します。荷物は別に学校に届けますので、車内に置いていってください」
 コンパートメントには誰も居なかった。かなり眠りこけていたようだが……起こしてくれてもいいのに、と思わず口を突いて出た。
 トランクの中からローブを取り出し、上着を脱いでそれを着た。その間に汽車は速度を落とし、やがて完全に停車した。通路に溢れ返る人の波が過ぎてからランスも外へ出た。既に夜だった。冷たい空気が小さなプラットホームを流れていく。
「イッチ年生!イッチ年生はこっち!ハリー、元気か?」
 ずらりと並ぶ生徒の向こうから頭ひとつ分どころか上半身分飛び抜けたハグリッドが笑いかけている。そこにハリーが居るんだな……しかしかなり前の方で、駆け寄りたくても生徒の群れが邪魔をする。
「さあ、ついてこいよ――あとイッチ年生はいないかな?足元に気をつけろ。いいか!イッチ年生、ついてこい!」
 ランプを光を翳してハグリッドが険しく狭い小道を降りていく。滑って、つまずく生徒も多い。見通しが良くないのは木が鬱蒼と生い茂っているせいなのだろう。誰も何も言わず、黙々と歩いていたが、ランスの背後で嫌な音がした。ぐき、と足を捻る音……そう思った時には、ランスは腕を突き出していた。案の定、真後ろにいた生徒が滑ったのだが、ランスがストッパーになったので何人もが転げ落ちることにはならなかった。
 しかし思ったよりも重さがあり、ランスも僅かに滑って、止まる為に脚を地面に押し付けた。重さと勢いで、布越しでも肌が擦れるのを感じた。ごつごつとした石が皮膚を裂く。痛みに声にならない悲鳴が上がった。生徒の列が止まる。
「ご、ごめん!大丈夫…?!」
 泣き出しそうな声に心配を掛けまいと笑いかけたかったが、痛みを耐える苦笑にしかならなかった。前にいた生徒も、勿論後ろの生徒を歩みを止めて何事かとざわめく。
「どうした?何が起こった?」
 先頭の方からハグリッドの声がした。
「何でもない、大丈夫だよ」
 なんとか声を張り上げて返事をし、ランスは後ろに立ち尽くした生徒を振り返った。
「大丈夫だから、先に行っていいよ」
「で、でも……」
「後ろもつっかえちゃうからね、ほら、どうぞ」
 端に身を寄せ、ランスは今度こそちゃんと笑顔を浮かべた。後ろ髪を引かれながらもおどおどした少年は先へ進んだ。ランスを横目に見つつ立ち止まっていた生徒たちが流れていく。最後尾の生徒の背中を見つめ、ランスは深く息を吐いた。
 立ち上がると体重の負荷にズキン、と痛みが走る。熱を持った傷口が脈を打つ。歯を食い縛り、片足を引き摺るようにして、ランスもやっとのことで狭い道を降りきった。
 大きな湖のほとりに出る。その向こう岸には高い山がそびえ、てっぺんに壮大な城が佇んでいた。大小さまざまな塔が立ち並び様を眺め、感嘆の息が漏れた。
「四人ずつボートに乗って!」
 ハグリッドの指示に従って生徒たちが岸辺につながれた小船に乗り込む。ランスが最後だった。
「みんな乗ったか?よーし、では、進めえ!」
 ハグリッドの声に反応してボートが湖面を滑るように進む。黒い水面には零れんばかりの星屑を鏡のように写していた。
 蔦のカーテンを潜り、ボートは崖の入口へと進んだ。城の真下に当たるであろう暗いトンネルを抜け、地下の船着場に到着する。全員が岩と小石の上に降り立ち、下船した後のボートを調べていたハグリッドがヒキガエルを捕まえた。
「おまえのヒキガエルかい?」
「トレバー!」
 大喜びで手を差し出したのは、ランスが助けた少年だった。うんうん、と頷きながら他には何もないかと辺りを見回したハグリッドが、ランスに気付いた。ついでに言えば、その怪我にも。
「ランス!おまえさん、どうしたんだその怪我!」
「ちょっとね、大丈夫だよ……大したことないから」
 なるべく心配を掛けないようにへらりと笑ってみたもののハグリッドは納得しなかった。
「もうちいっと歩くんだ、その脚じゃ無理だろう」
 ランスが断る間もなく、ハグリッドが片手でランスを抱え上げた。自然と生徒たちの視線を集めることになってしまい、ランスは顔を手で覆った。指の隙間からハリー、ドラコ、先程の少年の姿が見えたが何も出来なかった。大人しくしている方がいいはずだ。
「こういう時に無理をしちゃいかんぞ」
 ごつごつとした岩の路を登り、湿った滑らかな草むらを進みながらハグリッドが言った。ランスは素直にごめんね、と謝った。
 石段を登り、樫の木の扉の前に辿り着いて、やっと降ろしてもらえた。
「みんな、いるか?おまえさん、ちゃんとヒキガエル持っとるな?」
 ハグリッドの大きな握りこぶしが、城の扉を三回叩いた。



1 / 3
prev|next
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -