ナマエさんに記憶が無いことが救いであるとぺトラさんが考えるのには、その最期の悲惨さに理由がある。もしかしたらぺトラさんも出来ることなら忘れてしまいたいからそう思うのかもしれない。俺だって全てを失くしていれば苛まれる必要が無かったことがたくさんある。けれどそれを補って余りある程、掌に落ちてきた僥倖は大きい。リヴァイ班、104期生、団長やハンジさん……皆と涙でぐしゃぐしゃになった顔をへたくそな笑みで緩ませて抱擁を交わした時、柄にもなく信じてさえいないカミサマとやらに感謝したくらいだ。
 誰にとっても壁外を目指し志半ばで手放さざるを得なかった命の終わりが凄絶であることに違いは無い。それを思い出して欲しいと願うのは残酷なのかもしれない。けれど問いたかった。どうして俺を庇ったのか、と。あの人は俺を庇ったせいで死んだのだから。

「あのねエレン、私だってあなたの気持ちは分かってるつもりよ?」
 運ばれてきた安物の紅茶を一口飲んで、テーブルを挟んで目の前に座るぺトラさんが溜め息混じりに零す。平日の午後4時過ぎ。ファミレスに大した客はいなくて、抑えた声でもしっかりと聞き取れる。憂うような、呆れたような表情だった。それでも決して放り出したりはしないのは、ぺトラさんにとってナマエさんが大切な友人だからだろう。
 ぺトラさんとナマエさんが通う大学にはリヴァイ班の面々が勢揃いしている。団長や兵長、分隊長たちは俺が再会できるより一足先に社会人になって、今は「自由の翼」というIT企業を立ち上げて……毎日忙しそうだ。皆、覚えていた。だからこそ皆、ナマエさんのことはショックだったらしい。
「昨日なんて凄かったのよ。『なんだかずーっと昔から友達だったような感じがするね』って言われたんだから」
 事実、ナマエさんとぺトラさんは同期で訓練兵の時から仲が良かったのだから、その感覚は正しい。けれどその通りだと告げられない。喉の奥に言葉が閊えるような息苦しさ。俺にもわかる。言いたかった。ナマエさん、俺ですよ、会いたかったんです。もう何年も腹の底に落としたままの言葉。
 テーブルの上で組んだ手をぐっと握り締める。行き場のない感情を尚更に押し込めるように。
「俺は……そんな感覚すら持ってもらえないんです」
 片鱗さえ無い。ナマエさんの中にある俺はあくまで引っ越してきた先にいた年下の、今の俺だけ。忘れられた「俺」は面影も消し去られてしまったまま。
「ねえ、エレン……こんな言い方をしたら傷付けるかもしれないけど、今のあなたとナマエじゃいけないの?」
 ぺトラさんは優しいからそろりそろりと選んだ言葉をゆっくりと紡ぐ。その優しさに応えられるだけの余裕がない。手の甲に立てた爪が薄らと血を滲ませて、その色に眩暈がしそうだった。この腕の中で足掻く間もなくあっさりと息絶えたことも、紅く濡れた笑顔も、総てが無くてはいけない。俺はどうしても、ナマエさんが俺を庇ったわけが知りたい。
 口から零れるのは謝罪か咎めるものか。詰るのがおかしいのはわかってる。だけど俺の為に死んで欲しくなんて無かった。特に、ナマエさんには。生きて欲しかった、願わくは俺の隣で。いつでも手の届く場所で。
「俺たちは、あの日からじゃないと始まらないんです」
 ぺトラさんは泣き出しそうに唇を震わせたけれど、引き結んだまま何も言わなかった。



20140203




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