神経質な白。鼻を突く薬品の匂い。見慣れた白衣と看護服。もう通い慣れた病院……診察室で、先生は嬉しそうに頬を緩めて僕を見た。
「大分良くなってきてるよ。リフティング程度ならもう大丈夫そうだね。けど、無理は禁物だよ?走ったりはまだだめだね」
「しませんよ、マネージャーです」
 先生としてはジャージ姿なのが気掛かりだったらしい。先生には学校で男子の振りをしていることも知っているから制服で来ても構わないけど、この後すぐに部活に向かわないといけないからジャージの方が都合が良かった。そう説明すると先生は安堵の息を洩らす。
「ならいいんだ。最近、何か気掛かりなことはある?」
 脳裏に、眞藤の姿が浮かんだ。
 あの後……特に眞藤と何を話したわけでもない。染岡が中心になって僕と眞藤を近付かせないようにしていたんだと思う。部活自体は滞り無く終わって、僕は円堂と河川敷に寄って帰った。時間はあったけど、円堂にも言えなかった。開きかけた口を閉じて首を振る。先生に言うことでもない。
 先生は陽だまりの微笑みで僕の頭を軽く撫でた。その温もりは、昨日触れた円堂の手と似ている気がした。





 同時刻、雷門中グラウンドにて。フットボールフロンティアを勝ち抜くサッカー部は既に練習に勤しんでいた。パス回し、ボール捌きと基本的な練習に熱が入る面々にアドバイスをかける円堂の背中を、木野の小さな手が叩く。
「ねえ、円堂君」
「ん?木野か、どうした?」
「その……放課後になってから、瑞希君の姿が見当たらなくて」
 木野の何気ない一言に、円堂の肩が大きく揺れる。
 サッカー部のみならずこの学校の中で瑞希が病弱であると知るのは円堂だけだ。伴って、瑞希が通院していることも、今この瞬間も病院に行っているのだと知るのも円堂だけになる。
 知られたくないんだ、……俯いたまま落とされた消え入りそうな声が、小さくなったその姿が今でも簡単に浮かぶ。瑞希の秘密を共有し、その望みを守ると決めた。悲しむ姿は観たくなかったから。
「ああ!俺が包帯買ってくるように頼んだんだ!」
「え?でも……包帯はちゃんとあるよ?」
「げ、マジ…?」
 苦しい言い訳に慌てる様子を、木野は早とちりしたのだと思って笑う。安堵にホッと息を溢した円堂の耳に、半田の痛みに呻く声が聞こえた。
「半田?!」
 地面に尻もちをついたまま、きゅっと眉根を寄せて半田は染岡を睨め付けた。
「何すんだよ染岡!」
「なんだよ、ただのスライディングだろうが!」
「今のはファウルだよ、染岡。何を苛々してるわけ?」
 松野の指摘に染岡は不機嫌さを隠すことなく舌打ちをする。苛立ちの炎を宿した視線でぎろりと円堂を睨む。
「おい円堂!」
「えっ、ああ……どうした?」
「なんで瑞希は居ねえんだよ。昨日だって朝練にも来ない、部活には遅れる!たるんでるんじゃねーのか!」
「それは…、」
 染岡の勢いに押されて円堂は思わず口籠る。しかしその圧を撥ね退けるように木野が一歩を前に出た。
「瑞希君は今、買い出しに行ってるの!」
「秋…」
 隣に立つ土門は気が気ではなかった。いくら腹を立ててるとはいえ、よもや手を上げるようなことはないだろう……とは思うものの、あまりに臆せずに立ち向かって行くので不安にもなる。
 納得出来ない、と言わんばかりに染岡の目は更に険悪さを増す。
「買い出しにしては遅いんじゃねーのか?!大体、瑞希の奴、」
「僕が」
 染岡の声を遮って、後方から声が飛ぶ。突然のことに全員が驚いて振り返ると鞄を肩に掛けて、ジャージ姿の瑞希がそこに居た。
「僕が、何?」
 虚を衝かれ息を詰まらせたが、やる気なく佇む姿に鋭く目を細める。此処最近の瑞希の言動がどうしても神経を逆撫でする。特に昨日のことが、脳裏に絡みついて離れない。
「お前、昨日のことは眞藤に謝ったのかよ」
 いらえはない。
「謝ってねえのか?何考えてんだよテメェは…!わざとじゃないにしても謝るべきだろうが!!」
 カッとなって振り翳した右手は半田と松野が慌てて押さえつける。落ち着け、どうしたんだよ、と言われても頭に昇った血は怒りを助長させるばかりだ。尚も瑞希に掴みかかろうとする様に緊張が走る。止めに入れるようにと全員が身構えるが、当の瑞希は静かな目で染岡を見つめていた。
「……謝っておくよ」
 さらりと風に髪を揺らし、瑞希は部室に向かって歩き出した。
 その後ろ姿を睨み、力の緩んだ半田と松野の手を振り払って、染岡は舌打ちと共に地面を蹴る。
 昨日よりも空気は刺々しく辺りを包んだ。

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