洗濯物を干し終えて、見遣った時計は準決勝が始まったことを示していた。フットボールフロンティア、準決勝。名門であり、豪炎寺がいた木戸川清修との一戦。一之瀬と土門、それに木野の幼馴染もいるらしい。その場で応援ができないのは残念だけど、もう慣れたことだった。昨日、やたらと染岡に来るなと釘を刺されたけど、それが無くても元々行かないようにしていた。それが、サッカー部に入部することになった時の、約束だから。
 部室の片付けは終わった。ボール磨きも終わってるし、他の雑務は特にない。洗濯物が乾くまでは時間がある。……お見舞いに、行こうかな。
 空になった籠を抱えて振り返り、思わずびくりと身体が跳ねた。
「……眞藤」
 こちらにゆっくりと歩み寄ってくる制服姿は、眞藤に間違いない。みんなと一緒に会場へ行ったはずなのに、どうして。
 硬直したように動けない僕の目の前に立って、眞藤はにっこりと微笑む。
「何と言うか、簡単な人たちですね。忘れ物をしたと言っただけであっさりと信じるなんて」
 棘のある言い回しに眉根を寄せる。よく考えれば、眞藤の目的はさっぱりわからないままだ。
 あの日から、特に接触があったわけじゃない。音無のことに気を取られていたけれど、元を正せば眞藤が最初だ。薄っすらと笑みを口許に載せた彼女の、僕を陥れた理由は、なんだ。
「そんなに警戒をしなくても…、」
 不意に言葉を切って、眞藤はポケットから携帯を取り出した。微かに聞こえるバイブ音。電話ですよ、と疲れたように呟く。
「勘がいいのか……最早見られている気がしますね」
「……言っている意味がわからないよ。お前は何がしたいんだ…?」
 思わず零れた疑問符に、眞藤は嬉しそうに頬を緩めた。目を瞠る。謎が消えない。よくできましたと言わんばかりの、蕩けるような笑み。
「やっと見てくれましたね。だから、正解をあげますよ」
 未だに着信を知らせて震える携帯を差し出される。躊躇するまでもなく、身体が動かない。応えろ、ということなのか。
「不思議だったでしょう?何の面識もない。ないはず。そんな相手が、どうしてこんなことをするのか。恨まれることでもしただろうか、と」
 動かない僕の腕を優しく引いて、すとんと掌に携帯を載せられる。眞藤の言うことは最もだけれど、それよりも現状がうまく飲み込めない。喉の奥が渇く。
「答えは、此処にありますよ」
 やけに柔らかな声が耳元で擽る。白い手が、ぎゅっと掌の端末を握らせた。音無に比べると骨張った手だな、なんて、ぼんやり思った。
 息を吸って、応答のボタンを押す。そろりと耳に押し当てても、向こうからの声はない。もしもし、と問い掛けても、何もない。不信に思って、もう一度声を掛けようとした時だった。
『瑞希、か?』
「──っ」
 ひゅ、と喉が鳴る。空気が絡まる。どくん、と心臓が大きく跳ねて、その余波が身体を駆け巡っていく。かたかたと震える手から、零れ落ちた携帯がかしゃん、と音を立てた。自制の訊かない戦慄きが、呼吸をままならなくさせる。
「そん、な、はず……ど、して…!」
 信じたくない。もう二度と、その声で名前を呼ばれることはないと、思っていた。安心していた。まさか、眞藤は。
 向けた視線の先。喜色にほんの僅かな嘲りを溶かした笑みに、途方も無い現実を悟る。考えがまとまるのを待たずに、身体が動き出していた。
 縺れそうになりながら、駆ける。何処に行けばいい?どうすれば逃げられる?ぐるぐると回る思考が答えを出さないまま、校門を抜けて、果ての見つからない道を走り続ける。心臓が痛い。身体中が、痛い。血液が凄い速さで巡って、苦しくて。
「──は…っ、!」
 硬いアスファルトに、膝がぶつかる。無意識の内に左胸を掻き毟るように掴んだ手に、自分の携帯が当たった。──頼ってください。成神はそう言ってくれた。全てを話さないといけなくなる、それでも……!
 指がうまく動かない。やっと携帯を取り出したけれど、意識が黒に染まっていく。ばくばくと激しい鼓動と重なるように、さっと翳る。誰かが僕を呼ぶ声がしたけれど。
「成、神……」
 ぷつりと、意識の糸が切れた。

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