部活に向かう途中で栗松と壁山に捕まった。木野と土門は日直で一之瀬は委員会の仕事。円堂はどうやら夏未に呼び出されたようで、一人だった。一人になった途端にこれとは……、思わず溜め息が洩れる。
 連れて来られた第二体育館裏にはいつもの面々が揃っていた。此処は実質使われなくなった廃墟みたいなもので基本的に誰も寄り付かない。つまり、助けはないわけだ。この場所を選んだのは邪魔されない為だろう。
 放課後の喧騒さえ此処からは遠い。
「……今日は何?」
 何も言わない面々に問う。いちいちに理由を付けては制裁だと手を振り翳す。大抵は眞藤が進言することによるらしいのだが。いつもそう声を荒げる染岡が静かで不思議だ。
「…音無だ…」
 答えたのは風丸だった。静かに、押し殺したような声に片眉をつり上げる。怒りに任せたものではなく、悲愴の彩る小さな囁き。それを感じ取れたのは風丸だけで、他はいつもと同じ。射殺す視線が肌を刺す。
「音無が、お前を見る度に泣くんだ」
 それは僕も知っていた。あの日から明らかに憔悴し、部活でも目を合わせることも滅多にない。それでも、遠目に見る泣き腫らした目は痛々しくて。……だけど、僕にはどうすることも出来ない。あれからまともな会話どころか接することもないのに、原因になることも原因を知ることもないんだ。
「何をしたんだ」
「……答えは変わらないよ、何もしてない」
「嘘を吐くな!!」
 叫んだ風丸の腕が一直線に僕の肩へと伸びて、力任せに押される。後ろには壁もなく、支えを失った僕は呆気無く倒れた。頭を打つことはなかったが、背中を強かに打ち付けて一瞬呼吸が止まった。
 咳き込みながら痛みに強く閉じた瞼を必死に開けば、僕に乗り上げた風丸の表情に喉がひくついた。泣き出しそうに、くしゃりと歪めて。
「音無が、泣くんだよ…」
「お前が何かしてんだろうが!」
「っあ…、!」
 風丸にばかり気を取られていた僕の足首を染岡が踏み付ける。スパイクの底が肌を擦って、一拍置いて集まる熱に皮膚が裂けたのだと悟った。
「いい加減にしろよ…!」
 風丸が顔を逸らしながら僕の上から退いて、それとほど同時に染岡の蹴りが横腹に入る。身動ぎもできずに痛みに呻けば、その反対に宍戸が蹴りを入れた。
「言えよ!サッカー部から出て行くって……もう二度と関わらねえって!」
「言うでやんす!」
 僕を見下ろす風丸の橙の目から涙が溢れ、それが僕の頬に落ちて。
「っは…、僕、は……」
 ……過ぎた望みだったのだろうか。僕が此処にいることも、みんなの傍にいたいと思うことも。円堂の手を取ったあの日から既に間違っていたのかな。
 逃げてきた僕が、居場所を願ったことは、間違いだったのか。
「おい、やめろ!」
 突然飛んだ声に全員の動きがぴたりと止まる。豪炎寺先輩……?と壁山の震えた声。信じられない、と言いたげな声色に、豪炎寺がいることを悟る。――でもどうして、豪炎寺が。
「なんだよ豪炎寺……てめえも芦川の味方すんのか?!」
「よく考えろ、染岡。誰がどう見ても暴力事件だぞ。明るみに出れば明日に控える準決勝に出ることさえ出来なくなる。フットボールフロンティアを棄権する羽目になってもいいのか」
 風丸以外がはっと息を飲む。やはりそんなことは頭になかったらしい。……風丸はわかっていたみたいだけど。
 染岡は忌々しげに舌打ちし、僕から離れた。行くぞ、とぶっきらぼうに告げてみんなを連れ立って去っていく。後ろ姿が見えなくなってほっと嘆息したのと、先輩!と声がしたのはほぼ同時だった。
「成神…、?」
 駆け寄ってきた成神の手を借りて立ち上がる。成神だけじゃない……源田も佐久間も一緒だった。なんで此処に……?
「鬼道さんとちゃんと話をする為に来たんだが…」
 僕の姿を見た佐久間が顔を顰める。源田が僕の足元に屈み込み、ゆっくりとズボンの裾を持ち上げる。皮膚が破れて紫色に腫れた患部には、自分のこととはいえ顔が歪んだ。源田もぐっと唇を噛み締めた。
「ッ、なんで…!」
「!おい、成神!なにしてる!」
 佐久間の制止を振り切り、成神が豪炎寺に掴み掛かる。胸倉を掴まれた当の本人は驚く様子もなく、静かに成神を見下ろした。
「あんた……さっき瑞希先輩を助けたってことは瑞希先輩の味方なんだろ?なんでこうなる前に何もしなかったんだよ!!」
「……俺が表立って庇ったところで、何か変わるのか?」
 豪炎寺の凛とした声が耳朶を打つ。
「怒りが助長するだけだ。さっきの染岡を見ればわかるだろう。ああいう風にしか庇えない……分からないのか?!」
「っ…それはッ、」
「成神、いいんだ。豪炎寺も……ごめん」
 腕を引いて成神を止める。悔しそうな表情は、豪炎寺の言い分も理解できるからなのだろう。仕方なしに手を払った成神を気にする様子もなく、豪炎寺が僕を向いた。
 僅かに絡んだ視線は、戸惑うように彷徨って伏せられた。
「俺はお前のことを完全に信じられるわけじゃない。……それでも、真実が知りたいと思う」
「…うん」
「すまない…」
 消え入るような謝罪は、一体何に対するものなんだろう。もしかしたら豪炎寺自身もはっきりと掴み取れていないのかもしれない。
 返事をするにも出来ずに濁してしまう。漂う居心地の悪い沈黙を破ったのは佐久間だった。
「思ってたよりも状況が酷いな。鬼道さんと話すつもりで来たんだが、それより円堂と話した方がいいかもしれない」
「……円堂なら雷門に呼ばれて理事長室にいる。案内しよう」
 豪炎寺がついてこい、と歩き出す。
「芦川は保健室で手当てをしてもらった方がいい。成神、任せるな」
 源田の大きな手が、成神の手を僕の腕へと導く。成神は何も言わずに視線を伏せて、それでもしっかり頷いて見せた。
 僕と成神を残して、三人は理事長室に向かった。

1 / 2
prev|next